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繰り返し起こる困りごとはラッキーアイテム♬

日々楽しく過ごしているけれど、時にはモヤっとすることもあります。

ある人を助けたいと思い良かれと思って、代わりにやるよと申し出ました。
その人はとてもありがたがってくれ、状況的にそうしないと解決しないことであったので、わたしの多少の労力は気になりませんでした。金銭の負担は一時的な立替のみで、一切ないことです。

数日後、これもあれもお願いしますと同じ類の助けを求める連絡があったので、それに応じました。
その翌日である昨日も複数の依頼がきましたが、物理的にその人のタイムリミットに間に合わないのでその旨説明し、応じることができませんでした。

昨日は雪のために天真体道が休みになり、ポッと夜の時間が空いたので、やることを思い浮かべて楽しみにボランティアの小学校から帰ったのだけど、結局そのやり取りや何とかしてやれないかの調べごとでたくさん時間を使ってしまいました。

そして、残ったのは疲弊感。
その人に絶対プラスになるだろうという機会を提案したら「時間がない」と辞されたのも影響しているかもしれません。
げんなりしてしまいながら、ふと気づきました。

わたしこういうこと多くない?
よかれと思って色々やる。それが続いて疲れたり時には利用されている気分になったり。
自分の人の好さ故とかサガだと思っていたけど、これはサインだ!
そもそも自分が買って出たことの結果ではないか。
そこにわたし独特のバランスを求めているのはおかしいでしょう。
自分勝手な善意を振りかざしているのとさして変わらない。

以前NVC(ノンバイオレントコミュニケーション)のワークをしたとき、辛かったり嫌なことでも、自分がすべて巻き起こしているんだと聞きました。
ドラマの登場人物のように周りの人が自分にわからせてくれるセリフをしゃべってくれているんだ、と。

くりかえし似たようなことが起こるのは、間違いなくわたしに気付かせるため。なるほど~。

少しでもネガティブな感情が湧いたのを申し訳なく思いました。
ちょっと嫌なことがあったときに、同じような人や事例を探して共感しあうより、自分の中に答えを探したほうが面白い。
そのツールとなる学びもいいのでしょうけど、活かせなかったら腐ってしまう。

いい循環が自分の中に生まれそうです。
よく磁石の極から生まれる曲線が書かれたようなイメージ図がありますが、磁石の代わりに自分を置いた感じ。

夜、雪がわんさか振りながらドドドと雷のような音がしました。
雷は稲妻ともいい、落ちると稲がよく育つから稲妻と言われるようになったとつい最近何かで読みました。電気が通ると元気になる、の原則。
わたしにも雷が落ちた気分。

これからの困りごとが楽しみになりました。
何が来るのか。何を教えようとするのか。

よかった、ありがとう。


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