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ド近眼、眼鏡をはずしてみる

外からの情報を遮断してみる。
この試みを新鮮に感じている今日この頃です。

SNSを覗くと色々な機会があってスケジュールの空きがある限り予定を入れたくなるわたしですが、家にいて自分周りのことをするということでも外から得ることに匹敵するほどの学びがあり、外からの情報は耳よりだったり「これよさそう!」が無尽蔵にあるからある程度調整弁を持つのが自分がバカの壁に覆われないひとつの策である、こう考えるようになりました。

バカの壁、かの有名な本は読んだことがないのでその引用かもわかりませんが、先日読んだあるブログの記述(以下)が脳裏にあります。

「現代人は知りすぎて」いて
それが「バカの壁」となって
なにも見えなくなっているともいえる

自分の視点が変わり、家でのことに向き合えるようになりました。
出かけるためにおろそかにしていた家事、家にいることも対等に考えるようになり多少やりがいを感じるようになりました。

情報を遮断。
ふと思い立ち、昨日お皿洗いをしながら眼鏡をはずしてみました。わたしは両眼0.01のド近眼で普段はコンタクトをしています。家では朝メイクをするまでと夜入浴した後は眼鏡です。
眼鏡ですら不便で外に行くときにはコンタクトするので、裸眼で何かするなんて考えたことがありませんでした。

子どものころ見た「大草原の小さな家」では主人公ローラの姉メアリーが失明したのち家事を一切任されていました。
ママ友の義母さまでも目の不自由な方がいて、その代わり聴覚や嗅覚がとても敏感になっているという話を聞いたことがありました。

裸眼で食器洗い、手は慣れているし、触れば見えなくとも汚れが残っているかはわかるので大した困難も感じずにできました。へーえ。
お昼にパンを買いに行った帰り、また眼鏡をはずしてみました。陸橋の階段でしたが、それくらいは裸眼でも見えました。犬の糞があっても通常サイズなら何とかわかりそう。知り合いがいたら100%わかりませんが、信号も見えるし安全に帰ることができました。

息子にしょっちゅう「観察が大事」といい、お皿の洗い残しや片付けできてないことを「見るだけなんだよ」と注意しています。
周囲に目を当てることを大推奨してきた立場ですが、新たな発見でした。

思えば目が悪い人はたくさんいるけど、耳が補助がいるくらい不自由な人の率は低い。現代人は目を使い過ぎているのだろうなと思いました。
こんなに視力が悪くなっちゃってからではもう手遅れでしょうが、たまには裸眼で散歩をしたり、知っているところだったら電車に乗ったりしてみよう。スマホも本も読めないけど、それがどんな感じか知るのもいいかもしれない、思いのほか快いかもしれません。

息子への「観察が大事」にも一味加える必要があるかもしれないとおもいます。目だけではない感覚での観察。

何十年ぶりに裸眼で歩いた外の世界。
気持ちよかった!


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