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「後悔したくない」の馬力~代替エネルギーの台頭

思い立ったが吉日。

ことわざって、人々がよく思うことをキュッと短く粋な表現にし、だらだら説明するよりこの一言を出せば皆わかる、なんて優れているのだろうと思います。

日々が忙しくなり、やりたいこと・やるべきことであふれかえっています。悩みがあってもモーニングページに告白すると、ポジティブな流れに方向づけられます。まるで自分がどうすべきだとわかっていたような錯覚に陥り、時には自分がかっこよく思えたりします。モーニングページ様様!

自分の行動を分析すると、「イヤの原動力」が働いているなと思います。
何かしたいなとふと思うと、ムーミンみたいに「でも~」と心配事も浮かんできます。(わたしが知っている何冊かのムーミンの絵本の中ではムーミンが「でも~」とうじうじすることが多い)

結局ふっと湧いた「したいこと」を実践することが多いです。直感そのままで行くほうが自然な気がする、なんて今ひねり出して書いていますが、一番大きな理由は「後悔したくない」です。
何か思いつくとそれに付随した面倒や、他人の否定的な反応が「でも待てよ」とストップをかけます。そうだよな~、こう思われちゃうかもしれないしな~、などと一般論で決断しようとしますが、そこに立ちはだかるのは直感を不採用にすることのかすかな抵抗・不快感、そして「後悔したくない」という大きな気持ち。

「後悔したくない」でいろんなことを決めて日々を歩んでいるなんてネガティブだなと思うのですが、今のところ自分にはこれが一番効くようです。

後悔先に立たず。

先日の「虐待禁止条例改正案反対」でせこぐちまりかさんの呼びかけに応じ駅まで行った時、気持ちに駆られて行ったけど実際何をするかわかっておらず、しかもそこでスタンディングとは駅前にスローガンを持って立つことと知ったくらい無知でした。知っている人に会ったら何か言われるかな、マスコミを通じて親に知られたら怒られるかなと実はかなり縮こまりましたが、それらは自分の思いとは全く別物で「外野」以外の何物でもないことに気付きました。

だんだん「後悔したくない」ではなく「わたしこうしたいから」と物事を決めることができるようになるかもしれない。

一年前に日本語音読指導者として養成講座同期生しゅりさんと活動を始め、大宮のみどりの学び舎に行くようになり新しいつながりができ、地元で市議に立候補した世古口まりかさんを訪ねて教えてもらった浦和コモンに行くようになり、そこでそれぞれ特技を持った方々と知り合い地元を大切にすることはどういうことであるか学び、楽しくパワフルに毎日を送っています。

なじみのなかったことを初めて体験することも増え、そのたびに戸惑いが訪れます。でもやってみようと思う、それで十分ですが、その原動力が色々考えた挙句の「~したくないから」より瞬間的に「~したいから」になったらますます悩み少ないおめでたい人になり、時間の使い方も変わり、違う何かが見えるかも。

思い立ったが吉日、でいこう♪

自分の思考も分析すると語ることがあるものだ、これもひとつの発見です。



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