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家族が変わってきた~訪れた優しい時間

息子が先日期末テストでとんでもなく低い点数を取ってきて、息子の勉強に向き合うことを考えています。
成績が悪くてもいいですが、机に向かう時間を点数に還元できること、勉強ができると見える風景が違うことなど知ってもらいたいなと思っています。

中学生時代の自分に置き換えると、そんなこと自分でできるのだけどと思いますが、息子を見ていると全く違う人間であることが一目瞭然、自分の経験則は通用しない、ほかの子だって塾や家庭教師に勉強の仕方を教わるだろう、親がやっちゃダメと言う意見もあるけど、その経験則だってケースバイケース、他人の意見を尊重して親としての感覚を犠牲にする必要があるものかと手を出すことにしました。

土曜日、夫が忘年会で不在にしていた夜、夕飯の後息子に、
「ぼぼくん、期末テストで遊ぼうよ。テストの答えを教科書にあるか見つけるゲーム」
と誘いました。息子は何を思ったか知らないけれど乗り気になり、その後スマホで連絡業務をしたわたしに「早くやろうよ」と言いました。

社会の教科書と期末テストを持ってこさせ、テストの問題を読み、その答えが教科書にあったら、該当箇所に赤い太い線を引く。
「ここにあった」
「これも!教科書丸写しじゃん!」
息子は面白く感じたようです。数問一緒にやってわたしが家事をするために離れたら飽きてしまうかなと思ったら、ひとりになっても最後の問題まで集中して教科書や資料集と突き合わせて赤い線を引きました。

結果、テストの問題はほぼすべて教科書から出ていることがわかりました。
息子も取り組みがいがあることがわかった様子、夫が帰ったら報告をしていました。
彼もわたしも次のテストが少し楽しみになりました。もっと早くやってあげればよかったと、自分のことにかまけていたことを反省。

時を半日遡ったその日のお昼、珍しいことがありました。
わたしが昼ごはんに食べるパンを買いに出て戻ったら、息子が「支度をしたよ」とぴょんぴょん跳ねていました。

テーブルにランチョンマットが敷かれ、パン用の取り皿が置かれていました。

こんなことは初めてだったので、大いに喜びました。

暖簾に腕押しだと思いつつも息子に言い続けていることが少しは届いているんだ。音読もしているし、届くようになったのかもしれない。そのうち、打てば響くようになる日も来るかもしれない。

夫も頑張ってくれています。
自分の食べたお皿を洗うようにお願いしてから、夫は積極的に洗い物をしてくれるようになりました。洗って脇の水切りカゴに濡れたお皿を置くときにすでに乾いているお皿があるとそのお皿まで濡れちゃうよと教えたら、乾いているお皿をしまってから皿洗いを始めるようになったり、わたしの分まで洗ってくれるようになったり。使った水筒を洗うから流しに出してと言うと、ふたを開けて出すようになったり。
昨日は息子を促して二人で洗濯物をたたんでいました。

自分の使った食器は自分で洗うようにしてから、夫が少し変わったように感じます。偶然だろうけどテレビを今までほど見なくなり、気遣いを見せてくれるようになりました。
「家事か地獄か」を著した稲垣えみ子さんの深い洞察力に恐れ入るばかりです。

少しずつ少しずつ長い目で。
衝動で行動して「変化」という言葉が大好きなわたしにはハイスペックなことですが、トライすると応えてくれる家族に感謝です。

人の忠告はありがたいけれど、時には自分を信じることも大事だなあ。

息子はいつまで家にいるのかわからない。
3人でいれる時間を大切にできる仕掛けを作っていこうと思います。


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