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わたしの怒りポイントはココだった!

あれ?
二日前、インスタグラムを見ていた時、ひとつの投稿画像に目が留まりました。
なじみのある文章。タイトルもサブタイトルも一緒。中の文章も一字一句わたしが書いたものと同じ。わたしが1年半前に言語について数日かけて作った渾身の文章約10行が他人のものとして掲載されていました。

え?!
その画像には他にもまだ見覚えのあるというか、わたしの身体が生み出した瞬間を覚えている文章が載っていました。これもわたしの文調だ、記憶もある、音読のホームページを見たらやはり全く同じ文を書いていました。こちらも一字一句同じ。

これも!?
その投稿の別画像に書かれている文言も、1年半前になかなか適切なワードが見つからず相棒しゅりさんと四苦八苦した上に作り上げホームページに掲載した文の数々と全く同じでした。

なんと!
その人の投稿画像にはわたしの文しかありませんでした。違うところといえば最後にその人の名前があることくらい。

インスタのタイムラインで見つけたのだから当然知っている人です。
こういうことは常識なのだろうか。参考にして自分の言葉で書けばいいのに。自分の文を採用してもらえたと喜ぶべき?
自分のブログを書くとき誰かのブログをそっくりコピペして載せるようなものでしょう?わたしにはできない。
せめて「使わせてくれ」と言ってくれればよかったのに。

わたしの了見が狭いのかもしれませんが、第三者がその人の投稿を見た後にわたしのホームページを見て「この人あの人のインスタの文完コピしてる」なんて言われるのは我慢なりません。

周囲の人に話したら、特に問題に感じないようでした。わたしがしつこく悲痛に一字一句同じなんだ、無断流用なんだと訴えると、自分の意見と言うよりはわたしのために「それはないね」と同意してくれました。

お互い有名人じゃないし、だれも気に留めないと思います。両方の文を並べて「同じだ!」と気づく人などいないでしょう。そう思ってその人もわたしの文を使ったのでしょう。

一日考えましたが、やっぱりカッカしてきます。
しょうがない、これは感情だ。
物事に対し自分の意見は割とはっきり持って発言もしますが、どちらかと言うと穏やかな性格、特に対人関係でけんかをすることなどまずありません。

そんな自分でも譲れないことがあるんだな、と気づきました。
わたしの怒りポイントは「日本語」でした。
自分の生み出した文章は自分の身体が覚えていることを知りました。
それは今回の収穫としましょう。

よかった、ありがとう。





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