#15.時間をかけること。
ここ最近は、ゆるりと心穏やかに過ごしています。
リサイタル後すぐ、次女の持病の治療のため10日間ほど入院の付き添いをしていました。その間、"リサイタルに向けての日々シリーズ"を綴っていました。リサイタル準備で音楽に集中した日々から、パタっと音楽から離れる日々でした。
それはいい時間でした。娘の看病の傍ら、静かに振り返ったり、自分を見つめたり、これからのことを考えたりする時間。限られた空間の中でしたが、とても豊かな時間を過ごせました。
お家に帰ってきてからは、ぼーっとしたり、静かに座ったり、本を読んだり、新しいsnsやってみたり、練習したりしています。
先生たちがブルガリアへ一時帰国しているので、
自主練習を再開しています。リサイタル前と終わってからでは、練習への向かい方が大きく変わったように感じています。
何が大きく変わったのか。
以前は昔ほどではないものの、ジャッジをしたり、不安な気持ちがあって小さくまとめていたように思います。
頭の中では、
" どうしてできないんだろう "
から
" どうしたら良くなるか "
" どう使うか どこが心地よいか "
" 答えはわたしの中にある "
に考え方が変わりました。これはわたしにとってとても大きなことです。
限界突破レッスンのおかげで、ちょっとやそっとのことでおかしなことにはならないと信じられるようになりました。ここにいれば大丈夫、おかしなことになるとすぐわかる、土台ができたように思います。
土台ができたことで、先生とともにわたしの中に詰め込んできた、蓄えてきたものの中から、これはどうかな?これがこうなら、こっちは?と、取り出して実験をするようになりました。その度に気づきや発見があり、練習が面白いと感じられるようになってきました。
" 毎日まっさらな気持ちで練習する"
路子先生がよく言う言葉です。
この言葉はずっと言われてきていたのですが、頭の中ではわかっていてもなかなか腑に落ちなかったのです。ここにきてやっと、先生たちの言っていたことや一緒にやってきたことがいろいろと腑に落ちてきたところです。これからもまだまだ続いていくと思います。
なんと時間のかかったことか。
遠回りの人生です。
もっと早く先生に出会っていれば、もっと早くこの発声に出会えていれば、もっと早く演奏活動できていたんじゃないか、と思うこともありました。
けれど、これで良かったんです。無駄ではなかった。わたしにはこれだけの時間と経験が必要だったんだと今は思います。時間をかけないと気づけないこともある。わたしの場合は、発声の癖、思考の癖、ブロックがあることが時間がかかった大きな要因です。今もまだあると思います。
レッスンだけではどうにもならないことでもあります。技術的なことだけではなく、考え方、暮らし方も変えていかないといけませんでした。そういったところまで、先生たちはそのとき必要なタイミングで必要なことを話してくれました。
すべてはプロセス。プロの音楽家になるための必要不可欠な時間です。時間をかける、かけられることがあるってとても贅沢なことなんじゃないかと思うのです。
我ながら、遠回りしたけど結構良い歳のとり方をしているな、と思います。笑
何にどれだけどのように時間をかけるか。何かしなきゃいけないということではなく、むしろその逆で、自分の本当にやりたいこと、大切に思うことに時間を使うことなのかな、と思います。
試行錯誤しながら、自分と向き合いながら、
気楽にやっていこうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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