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初心者

患者さんを見送った。
この半年間で何人目だろうか。
最期は家で
そう希望して御自宅に戻られる方が多いのだから看取りが多いのは当然なのかもしれない。
当然だが、患者さんの疾患は様々だ。
年齢と共に弱っていく方、神経難病の方、癌の方・・・
在宅医療に携わり、病院以上に感じる事、それは
「同じ看取りはない」
ということ。

癌の終末期で御自宅に戻られた患者さんがいた。
本当に穏やかな方だった。
私たちが訪問すれば色んなお話を聞かせてくれた。腹水でお腹がパンパンで苦しいだろうに笑顔が常にある、そんな方だった。
ご家族も「先生も看護師さんも忙しいんだから、話すのやめて」と笑いながら言う。
痛みもあった。息苦しさもあった。
往診の回数が増えていく。
医師は鎮痛剤の内服やパッチの使用を提案した。医療用の麻薬だから依存性は無い。
けれど患者さんはずっと拒否されていた。

そんなある日、ご家族から連絡が入る。患者さんが痛くて暴れていると。先に訪問看護ステーションから看護師が来ていた。電話を代わり状況を聞くまでもなかった。
電話越しに患者さんの叫ぶ声が聞こえた。

御宅へ着く。
そこには私の知らない患者さんの姿があった。
苦しさ、痛さのあまりに暴言を吐き、暴れている。身の置き所が無いのだなと感じる。
ご家族は泣きながら患者さんの手を握ろうとするのだけれど、それさえ払いのける。

ご家族は辛いだろう。
けれどもっと辛いのは間違いなく患者さんだろう。
自分のこんな姿を見せたくなかっただろう。笑顔で穏やかなままでいたかっただろう。ご家族の記憶にこんな自分が残るなんて辛くて嫌だっただろう。
全て「だろう」なのだけれど。
本心を知る事は出来ないから、全て私の想像なのだから。

医師が鎮静剤の注射を打つ。
ほどなくして患者さんはうつらうつらと眠り始めた。
そこで医師がご家族に医療用麻薬と鎮静剤の点滴をしてはどうかと提案する。これを使うことでのメリット・デメリットも併せて説明する。
その時、眠られていた患者さんがはっきりと言った。
「お願いします。こんなに辛いなんて思ってもいませんでした」

その言葉がスタートの合図でもある。
私は麻薬が届くまでの繋ぎとなる鎮静剤の点滴を作る。
患者さんのそばに行くと、小さな声で何かを言っていた。

「怖いです・・・」

そう言っていた。
薬を使うことかな?
また痛みが出ることかな?
これからのことかな?
死を感じることかな?

私は頭の中でぐるぐると色んな事を考えた。
言葉は見つからない。見つからない時には無理して言葉を探す事はないと私は思っている。
「怖いです」と繰り返す患者さんの手を握ることしか出来ない。

「あのね、死ぬのが怖いの」
宗教を持っている方で、沢山のお話が出来た頃は死ぬ事は怖く無いと言われていた。
「私、まだ死ぬっていう事を経験していないから・・・怖い・・・」

そうだよね・・・とおもった。
今、ここにいる人たちは誰も死んだ事がない。

「私、死んだ事がありますよ。あの世はこんな所でってガイドさんはいないのかしらね」

患者さんに笑顔が戻った。少しは楽になったのかな。

人に平等に訪れる事、それは「死」という事だ。
看護師として多くの患者さんの最期に立ち会わせていただいたけれど、私も死んだ経験は無い。
亡くなられた方を看てきた経験はあるけれど、死んだ事はない。

帰りの車の中で医師と話す。
死ぬことは老若男女問わず皆が初心者ですねと。
死を意識した事があっても「死ぬ」という経験に関しては全ての人が初心者だ。
それから1週間後、患者さんは初心者になった。

初心者でも何でもない私に何ができるのだろうか?
何もできる事はないのかもしれないし、もしかしたら何かあるのかもしれない。

「死は誰でも初心者だ」

そう教えてくれた患者さんだった。

それではまた

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