Overconfidence ~過信~

子どもの頃、誰しも一度は乗ったことのある公園のブランコ。
思い切り漕いで勢いに乗ったとき、柵を飛び越えられるんじゃないか…という衝動に駆られた人は少なくないかもしれない。

これは紛れもない『過信』。
あの柵は設計上、子どもが飛び越えられないように計算され作られている。
「自分ならできるのではないか」という気持ちは過信でしかなく、そこには実現できる確証がひとつもない。

特殊な訓練を重ねた大人ならば、あるいは可能なのかもしれないが、少なくとも子どもが遊具として遊んでいるとき、安易に超えてしまうことのないように作られている、それがブランコの柵。

この話は中学の時、ある先生がしてくれた。
その先生は子どもの頃、「俺ならできる」と思ってブランコの柵を飛び越えようとしたらしい。

結果、どうなったか。
もちろん越えることなく、手前で足が引っ掛かり転倒。
幸い大事には至らなかったが、ケガをした事実だけが残ったというエピソード。

「“自信”があるというのは、『そのことが実現できる』というある一定程度の確信があるってことなんだ。それに比べて“過信”は、できたこともないことなのに『できるかもしれない』という根拠のない予想。
自信をもって臨めるとちゃんと身体は反応するからケガを防ぐことができる。対して過信してやったことは、ケガを誘発する。」

―――自信はケガを防ぎ、過信はケガを誘う。

この話には、とても重要なヒントが隠されていると思う。

自信というとメンタリティの話になりがちだけれども、自信を持って臨めることを『実現可能』と定義した場合、何度も行ってきたことを再度繰り返すことであり、エングラム形成(※)における見地からも確実な再現性でケガを防ぐことができる局面はあると思う。

対して未経験の動作の実現は『不確定要素』でしかない。
身体が体験したことのない動作のため、予測して動かなければならない。予測内に運動が収まってくれていれば、あるいは今までの経験値で補える程度のものであれば成功する。

しかし、予測をはるかに超えてしまった場合や、そもそも予測できない運動の場合、身体は反応できずケガにつながる。

自分の身体の状態を正確に把握しておくことは難しいし、コンタクトスポーツの場合、そもそも相手の動きを100%予測することは難しく、不可抗力でケガをしてしまう場合もあると思う。

どこまでが“自信”で、どこからが“過信”なのか?
その線引きも非常にあいまいだ。

ただ、『未経験の運動』において、それがどんな種類であれ、程度の低いものから少しずつ難易度や強度を上げている必要はあると思う。

それはどんなに簡単そうに見えても、自分の身体にとっては『未知』だからだ。

「自分ならこれくらいできるだろう」という感覚ももちろんあるかもしれない。
しかし、的確に身体を使えているのか?相手が提示したことと正確に理解できているのか?そういった観点で捉えた場合、やはり自分は初心者にすぎない。

だから、運動神経が良い、普段身体を動かしている、とかではなく何か新しいトレーニングなりスポーツなどに取り組むときは、専門家に初歩から教わるのが安全かつ確実だと思う。

それは、ある意味で『謙虚さ』と同義なのではないだろうか。

謙虚と謙遜は違う。
謙虚さというと「いえいえ、そんな。できません」ということと思いがちだけれど、そうでなはなくて未知のことがある前提を踏まえた上で、既知の経験をもってなお、『初歩から学ぼう』とする姿勢なのではないか、と私は思っている。

人は過信をするとき、謙虚さを失っている。
知りもしないのに、できると思う。
身体のことだけじゃなくて、やっぱりそれはケガをする。

自信とは自己を信頼する力。
自信を持つことがどうこうという事ではないし、ここで自信について言及するつもりはないのだけれど、何かを成さなければならないとき、自己の能力を少なからず信じている必要はある。
(自分を信頼して電車に乗らなければ、目的地にたどり着けない。これも立派な自信)

今、自分が持ち合わせている能力を見極めて、きっちりと信頼する。
そしてできないことを踏まえて、理解していく。
それが自己を客観視する力であり、言い換えるなら自分を俯瞰する力だ。

自信とは能力を正しく認知することでもあり、「できないな」という理解にもつながる。
それは過信を防ぐともいえるかもしれない。

すべてのケガが過信によって起こっているとは思わないし、そうでないときの方が多いかもしれない。
ただ、自分の体調や体力、つまりコンディションを過信することは往々にしてある。
そのリスクは、ほんの少しの意識改革でも防げる。

そのことに、多くの人に気づいてもらいたい…そう思うのだ。


(※)エングラム形成とは…ある一定の運動動作プログラムが脳の中で形成され、無意識下において既知の運動を成立させるメカニズム 



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