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モノクロ写真を語る。①

お疲れ様です。
早いもので4月も終わろうとしております。
すぐにでも、夏が来そうですね!

暗室で、モノクロ写真をプリントすると浮かんでくる言葉達を、一度シリーズ化してみてもいいのではないかと考えておりました。

自身でプリントすると見えてくる、
モノクロ写真としての確立。完成度。
そんなことを語れたらと思っています。

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モノクロ写真は、意外と荒が見えやすく後処理(落ち着くところ)がいかように変えられるので、作家がどうにでも出来る反面、どう決着をつけるかで印象が大分違ってきます。それは、濃淡がはっきりするから。

私は、カラーがあってこそのモノクロ写真と考えています。とはいえ、カラー撮影で、フレアや光の粒が映えたりするのですが、捉え方により厄介だったり返って締まりが悪くなる時もあります。写真によりけりなので、一概は言えないと付け足しておきますが。

標準的な基準を決めることは、モノクロ写真を撮る、プリントするにおいては重要かもしれません。
いかようにするための「0度」であるから、それ以上に出来るわけです。その標準は、自分軸で決めるといいと思っている。それは「自分の写真」だから。

写真は、自分の体験や経験からが大半である時もあれば、憧れている写真や映画や音楽であったりするわけです。
それは、シャッターを切るきっかけ。

だからこそ、モノクロ写真は、背景がある。
何かを感じ取れるかのような魅力があるのだと思います。


ここでは題材的な物を出しながら、解説していけたらと思っています。
私のワークショップでのものも抜粋しながら、よりモノクロ写真にハマって頂けるよう、努めてまいりますので是非フォローして頂けたらと思います。


坂本純子






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