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「辞める」と伝えたその日から考えたこと。

退職のきっかけは、夫の転勤だった。商社の営業職は、毎日刺激的でやりがいもあったので、「すぐに辞める」という決断ができず、東京ー北海道で1年間別居をしていた。

けれど、コロナの影響で簡単に行き来ができなくなり、夫がこの2〜3年以内に関東圏に戻れる可能性がゼロになった。悩んだ挙げく、「これ以上今の生活は無理だ…」と、上司へ相談した。会社側は、できるだけ長い間いて欲しい…と。

私の頭の中で別人格の2人が葛藤していた。

「私がいなくたって会社はまわる。すぐやめて北海道に行ったらいいよ。だってもう30代後半でしょ?子供のことも考えなきゃ。」
かたや「本当に辞めていいの?14年もやってきて、課長まですぐそこだよ?辞めて知らない土地で、仕事もなくて…どうするの??」

「転勤族との結婚」は自分が選択したことだと分かっていても、夫に八つ当たりしてしまい、1人寝る前に気づくと涙がツーっとこぼれている。私ってこんなに弱かったんだっけ…と。

結局、私は北海道での転職先も決まっていなかったため、会社と話し合い、「半年後の退職」を折衷案とさせてもらった。

残された時間で何ができるか

私は妙に心配性なところがあって、辞めるときにはできるだけ人に迷惑をかけたくないと思っていた。(大なり小なり迷惑はかかるのだけど)

部下や同僚に退職を伝えるタイミングは非常に悩んだけれど、早めにチーム内で共有したいと上司に頼んだ。通常は辞める1〜2ヶ月前に通達する。なぜならチームとしての士気が下がるから。

「偉そうなこと言ってるけど、どうせ辞めるんだし!」的な気持ちになる部下もいるかもしれない。

過去に同僚が急に辞めて、苦労して引き続ぐメンバーの姿を見てきた。今のチームは若いメンバーが多かったので、私は裏方としてサポートしながら営業の仕事を任せていくことにした。

しかし、半年は結構長かった。

そうは言いながら、私自身が仕事へのモチベーションを、徐々に保てなくなっていったのも事実。チームが新しいプロジェクトを始める際に、力が入らなかったり、そんな自分をメンバーはどう思っているのだろう…と勝手に悩んだりもした。

気がつけば、カレンダーの出勤日を数えたり。

辞めるって意外と体力いるのね…フゥ。

気分が晴れない日が続いたため、残った時間で自分がやるべきことを今一度見直す。

そうだ。私がこの会社で働けるのは人生で、あと3ヵ月しかないんだ!

そう思うと、1日1日を大切に過ごしたいと思うようになる。

再びエンジンがかかる。まず始めたのは部下育成。育成といっても堅苦しいものではなく、若手社員向けに勉強会を開き、これまでの経験やノウハウを可能な限り伝える。人事に、女性活躍推進のために必要な施策をヒアリングさせて欲しい頼まれれば、ミーティングにも参加した。会社も利用できるものは、最後まで利用しようという意図だと思うが、それでも良いと思った。

2つ目は、裏方仕事を引き受ける。部門の事業内容の提案資料や商品のプレゼン資料を作る。思いつくGiveは行動に移した。

そして、自分のために次のステップへの準備をする。今まで100%仕事に費やしていたエネルギーを、自身のスキルアップに費やすべく、オンラインのキャリアスクールに通い始めた。

終わってみると、気持ちを整理できた半年間。

今になって言えることだけれど、私は半年前に「会社に辞める」と伝えてよかったと思っている。

なぜなら、これまでの人生に1つの区切りをつけるための時間を持てたから。新卒から14年間続けた仕事を振り返り、気持ちを整理し、少しずつ次のステップへの準備ができた。

それに、いわゆる円満退職をできたことも大きい。途中で周りの目を気にする時もあったけれど、これまで育ててくれた会社への恩返しと思って、自分の役割を果たす姿勢は意外と見てくれている人がいる。思いがけないところで人脈は役に立つこともあるのだから、自分から人間関係をこじらせる必要はない。

また半年の間に、仕事をしながらオンラインのキャリアスクールで学んで、好きなことをじっくり模索した結果、ライターの仕事に興味を持つことができた。今は文章を書くことが楽しい。

1ヶ月で退職を決め、夫の転勤先ですぐに転職活動をするという選択もあった。でも、それでは私はいつまでも、「自分の意思に反して、仕事を辞めないといけなかった」という亡霊に悩まされてメソメソしていただろう。時間はかかったが、やり切ったとことで前に進めた気がする。

「自分が納得するまで悩めばいいし、焦る必要はない。」もちろん、多少のお金と時間の余裕は必要となるけれど…

転勤族のキャリアは本当に難しい。けれど諦めず前に進みたい。これからも後悔しない選択をしていきたい。

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