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100年は夢また夢|プロマイド店は毎日が恋する季節#04

 1000年は一瞬の光の矢…松本零士「1000年女王」のポスターをお部屋に貼っていた小学生だった、じゅんぷうです(将来なりたいもののひとつはクイーンエメラルダスでした)。

 フリーランス業もしつつのお勤め先「プロマイドのマルベル堂」が、本日5月5日に創業100周年を迎えました。4月23日から東京タワーで「マルベル堂100周年記念展」も幕を開けたところでの、3度目の緊急事態宣言。現在、記念展も浅草の店舗も休業中です。それでも100周年にまつわるもろもろや事務的作業もあって韓国ドラマのことをnoteに記す余裕もない4~5月を過ごしているわけなんですけど、あらためて「100年」に思いを馳せてみると、きっとわたしなんかの想像をはるかに超えるいろいろなことがあったのだろうと思います。

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 映画がまだ「カツドウシャシン」だった創業期。娯楽の聖地だった浅草はどんなに華やかだったことでしょうね。「はいからさんが通る」の浅草オペラの時代ですよ(紅緒にもなりたかった)。そして関東大震災、太平洋戦争からのプロマイド黄金期、平成の空白期、3.11にコロナ。

 何年か前に、子どもの通っていた小学校の周年記念誌編纂のお手伝いをしたとき、小学校の歴史に関する資料の中にマルベル堂創業者の三ツ澤実四郎氏に関する記述を見つけました。昭和20年3月10日の東京大空襲の際、小学校を類焼から防ごうと屋上で火の粉を払う措置をしていた紳士が三ツ澤氏だったのだとか。浅草の住人であれば、どんなに激しい空襲だったのか、浅草がどんな被害を受けたのか少なからず知識があるはずです。マルベル堂の店舗もプロマイドも焼失したものの、ネガ類は疎開させていたので戦後早々にまた商売を再開できたのだそう。このたくましい初代、少年少女の夢であるプロマイドの価格高騰を抑えるためサイドビジネスを展開した2代目…資料でしか知り得ない時代を、わたしも映画のように目にしてみたかった。

 プロマイドを見て思い出すのは、そのスターのことだけではなく、スターに夢中だったころの自分とその時代。今までお店で対応させていただいたお客さまたちの無数の思い出の中に、ほんの一瞬でもアクセスできるときがある。その瞬間が楽しいお仕事です。再開のおりにはまたそんな時間がくることを願って。

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