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自分のパトロンになろう
困っている人を放って置けないたちだ。
別に頼まれたわけでなくても困っていそうなら助けたくなる。
お節介と言われるのかもしれないが、自分ではそうは思っていない。
だって、やりたくてやって、それで助かる人がいるのだから。
家族や恋人や親友が困っていたら、その人のために尽力するのは当然と言えば当然だろう。
かつては何の疑問も持たずにそうやってきた。
母がとても尽くすタイプというか、なんでもやってくれる人だったので、そういう血を受け継いだのか習性がうつったのかは、わからないが僕もそれが普通になった。
ところが、である。
親友とまでは言えない友人に親切にしていると、時々バカらしくなることがあった。
例えば、あるトラブルを解決してあげようとトラブル相手に意見をした場合などだ。
解決はする。
ところが解決して助かったはずの友人は、たいていなんだか無関心というか、当然というような受け止め方をしているような気がするのだ。
いや、友人も「ありがとう」くらいは、もちろん言う。
でも、その「ありがとう」の大きさが、僕がして得られたメリットほど大きくないような気がするのだ。
いや、これは完全に僕の主観的意見である。
感想である。
それにどれくらいの大きさの「ありがとう」をもらえたら気が済むのかなんてわからない。
そもそも、僕はしたくてしているわけで、見返りを求めてやっているわけではないのだ。
仕事でやったのなら代金を払ってもらって回収しなければ納得いかないだろうが、そうではない。
なんだろう、このモヤモヤ感はと思っていたら、ある時わかった。
世間の人は自分が考えているほど他人のことを気にしていなかったのだ。
なるほど。
言葉は悪いが皆自己中心的なのである。
ところが、これがスタンダード、普通なのである。
このことがわかったら自分ももう少し自己中心的になればよい、お人好しでいるなんて馬鹿らしいという気持ちが湧いてきて、少しモヤモヤが晴れた。
ただの友人や知人の場合はこれでいいだろう。
ところが、本当に親しい間柄の場合はどうだろうか。
こういう関係こそ見返りを求めているわけではないのでモヤモヤを感じる必要はない。
ところが、やっぱりモヤモヤを感じるのだった。
親密な間柄の相手に何かをして馬鹿らしいとは思わない。
お礼が足りないとも思わない。
でも何だかモヤモヤが残るのだった。
そこで、考えてみた。
いつも自分ばかりが人に尽くしているなという感覚である。
やっていることに不満はない。
後悔もしていない。
見返りも不要である。
ところが、自分も大変なのにという気持ち、感覚が、人に尽くすことによって増してくるのだ。
そう、自分も構ってもらいたいのである。
お節介を焼いてもらいたいのである。
ところが、そういう人がいないのである。
このなんとも言えない孤独感がモヤモヤの正体だったのだ。
「自分にも自分が欲しい!」という叫びだったのだ。
さて、どうしたら良いだろうか。
答えは2つあると思う。
構ってくれる人を見つける
自分で自分を構う
構ってくれる人を見つけるのは簡単ではないだろう。
であるならば、自分で自分を構ってあげるしかない。
いや、自分にも自分のような存在が欲しいと思って、自分がその役割になるのだったら解決してないはずだ。
どうすれば良いだろうか?
自分で自分のパトロンになるのは、どうだろうか?
パトロンとは支援者のことである。
画家や音楽家などの芸術家を経済面で支援して活動を支えるのである。
自分で自分のパトロンになる場合は経済面ではなくて精神面のパトロンである。
生きていく上での精神的余裕を与えてあげるのである。
人のことばかり構ってあげるのではなくて、自分のことも気にかけてあげるのである。
最近優しい言葉をかけられたことがあるだろうか?
褒められたことがあるだろうか?
なかったら、自分で自分に優しくして褒めてあげて欲しい。
頑張っているよ。
誰にも認められていないかも知れないけれど、知っているよ。
と。
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