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あたりまえだけど母はエライ。叫びたいくらいだ

母から電話があった。
出られなかったので、メールを送ってくれていた。
「胡蝶蘭ありがとう。清楚で綺麗」とのこと。

数年前から母の日に花を贈るようにしている。
2日前に着いたようだ。
妻が選んで買ってくれていた。

あたりまえだけど、そのあたりまえのことができなかった自分が、かつてはいた。

人生山あり谷ありって言うけれど、谷ばっかりで鬱屈とした人生を送っていた時期があったから。

それでも、今こうして生きているのは、母がいてくれたからに間違いない。
苦しかった頃、いい歳をした大の男が母に電話した。
泣き言は我慢して、一言も言わなかったけれど、泣きたかった。

泣いて恥をさらしてしまわないように、母に「ありがとう」と言った。
なんにもない、ただの日。
なんにもない、ただの会話。

何を察するでもなく、母は「いいのよ。あなたが生きてくれているだけで嬉しい。」と返事をくれた。

余計に泣きたくなった。
必死に涙を堪えて、また「ありがとう」と言った、と思う。
その後、何を話したか覚えていないけれど、あの母の言葉だけは何年も経った今でもはっきりと覚えている。

あの言葉をきっかけに、もう少し頑張ってみようかと思うようになれた。
ダメ人間のダメ人生、それでも、もう少しやってみてから、本当のダメ人間のダメ人生か決めれば良いと思った。

開き直れた。

それから、少しづつ、ほんの少しづつ、前へ進んだ。
進んでは、後ずさりして、また進んだ。

病気を受け入れられ、そして、少しづつ回復した。
妻に出会い、結婚した。

ゴールデンウィークが終わり、人手も少なくなり、コロナ禍で息が詰まりそうなので、人気も気にすることなく出かけられる公園へと家族3人で出かけた。

大きなすべり台や網の目になった紐を登る遊具がいくつも並んでいる。
どうやら、まだうちの子は怖いらしく、あまり楽しそうではない。

一面緑の芝生へと歩いていき、駆けまわった。
ついこの間まで、よちよち歩きの延長だったのに、ちょこちょこと走り回る。
まだ、パパの方が随分と早く走れることに安堵する。

「昨日楽しかったね。」と、まだ話のできない子供に向かって話す。
「のんびりできたね。」と、また話す。

すると、妻が言い出した。
「のんびりしたパパで良かったね。」
「ママみたいじゃなくて良かったね。」

「そんなことないよ。」
「ママ大好きだよね。」と僕が言う。

でも、妻は自嘲気味に話をつづけていた。

ほんの数年前、芝生の上を子どもと駆け回る自分を、想像することなんてできない生活だった。
3頭身半の短足な天使が、ぱたぱたぱたっとやってくる姿に心を奪われることもなかった。

産婦人科では、出産前に親子教室に参加することが義務づけられていた。
父親も必ず出席しなければならない。

出産に関する知識なんてないし、父親がどういうものかだってよくわかっていなかった僕は、喜んで参加した。

ところが、いざ話を聞くとそれほど楽しいものではないことがわかった。
楽しいものどころか、かなり驚かされた。

戦争がなくなって死が身近にない世の中で唯一身近な死があります。
それが、お産だと。

えっなにそれ、父親になるための心構えとかそういうのじゃないの?
とかなりめんくらった。

考えが甘かった自分を恥じ、その気持ちを正直に妻に伝えた。

緑の芝生の上に立ち、燃えるような新緑の木々と透きとおるように真っ青な空を背景に写る3人の写真を前にして、穏やかで、そしてしっかりとした感覚が身体中にしみわたっていく。

かつては感じることのなかった感覚だ。

谷から這い上がった。
谷を登ったのは、僕自身だ。
ひとりで登ったが、ひとりではなかった。

電話口で聞いたあの言葉がなければ、そもそも登らなかったかもしれない。
「もし私に何かあったら、赤ちゃんだけでもお願いします。」と言った妻がいた。

子育てのイライラと、子どもの愛おしさの前で自嘲する妻の言葉を遮りたい。
「あなたがいてくれるから、今の3人がいる。」

母は強しとは言うけれど、生まれもって強い人間などいないと思う。
女性が母親になった瞬間に強くなるのではない。
子どもという存在が刻んでいく、絆という、なんだかよく分からないが偉大なつながりが、力を与えていくのだと思う。

そして、僕たち子ども、つまりすべての人間は、その子どもになった瞬間瞬間に自身の存在を感じられるのだ。

「母の愛」と言うと、月並みな感じがするかもしれないけれど、その力強さを感じない人はいないし、心の中に永遠に生き続けるもの。

母の愛に畏敬の念をもって感謝したい。
「ありがとう」

あの時の一言と母に
「ありがとう」

子どもの母である妻に
「ありがとう」

「産んでくれてありがとう」
「いてくれてありがとう」

母に感謝することができる自分がいることに感謝します。
「お母さん、ありがとう」

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