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祖母の家に1人で行ったときの話

今回は番外編です。昨日が終戦記念日でしたね。

第二次世界大戦が終わってから今年で75年。この時期になると祖母の家に初めて1人で行ったときのことを鮮明に思い出します。

中学1年生の夏、部活動の日程と両親の休暇が合わなかったため、1人で祖母の家に行きました。人生初の1人での帰省ということもあり、当時とてもワクワクしていたのを覚えています。祖母の家が東京にあり、当時茨城に住んでいた私にとっては東京はまさしく「憧れの地」でした。小学生のころから長期休暇の度に東京の祖母の家に行き、中野のカードショップや新宿などでお買い物をしていました。

そもそも祖母と2人で暮らすのは人生で初めてだったので、変な感覚だったのを覚えています。そのころ、祖母はもう体が弱まっていたので、どこか電車で遠出することもなく、近くの商店街を一緒に歩いたのが記憶の片隅に残ってますね。商店街を歩いていた時、祖母の友人と一緒に世間話をしたのが印象的な記憶です。祖母の友達の多さに驚いた記憶があります。自分の孫だと祖母が嬉しそうに友達に紹介していたのを見て、私も思わず嬉しくなりました。そして近所のドーナツ屋で塩キャラメル味のドーナツを買い、祖母の家に戻り、祖母と一緒に食べました。とても暑い夏でしたね。このドーナツ屋は今でも近所にあります。たまにそこのドーナツを食べるのですが、その時に当時のことを思い出してとても懐かしい気分になりますね。

そしてそのドーナツを食べていた時に、祖母と戦争のことについて話しました。祖母は1935年生まれなので、幼少期を戦争と共に過ごした世代です。当時、祖母は疎開していたみたいで、富山に行ったそう。本当にご飯の量は少なかったと聞きます。太っている人なんて誰一人いなかったと聞きました。本当に食糧が足りなかったのでしょう。そして自分のクラスメイトが1人亡くなったということも話してくれました。東京大空襲の時、その亡くなった人は疎開せずに東京にいたそうです。防空壕に避難していた時に、その防空壕内に火がきてしまい家族全員焼死してしまったそうです。私は、防空壕は安全な場所だと思っていたので、そのエピソードにはとても驚きました。

終戦の時も何が起こったかわからなかったそうで、終戦を知らせるラジオを疎開先でとりあえず土下座して聞いていたそうです。天皇が何かをおっしゃったとしか思っていなかったようで。その後、疎開先の先生から聞いてようやく終戦の事態に気づいたようです。そして祖母は疎開先から東京に帰ってきたとき、本当に焼野原で驚いたそうです。たまたま祖母の家は水をかけまくったら燃えなかったそうですが、ちょっと離れた地域にいくとほとんど燃えてしまっていたそうです。

当時、茨城に住んでいた私に対し、「そういえば茨城にも行ったことあるのよ、父親と買い出しに!」と言っていました。さつまいもかなんかを買いに茨城に行ったと聞きました。機関車に揺られ、父と2人で。本当に自然が美しいとこだといってました。

そして祖父のことも話してくれました。祖父が毒ガスの研究をしていたこと、祖父の父親が大地主で、軍のお偉いさんに土地を貸していたため、祖父の家族は比較的危なくない戦地に配属となり、誰1人死なずに帰ってきたこと、農地改革の影響で土地をタダ当然でほぼ没収されたこと、祖父の家もたまたま燃えなかったこと、本当に色々な話を聞きました。今から約9年前の話なのにこんなに鮮明に覚えています。それだけ強烈な話だったのでしょう。その戦争の話のあとも、祖母が街一番の美人で駅を通るたびに振り向かれたとか、私の父親がしじみをピンセットで食べていたことなども聞きました(笑)きっともっと沢山のことを話したんだろうけど、9年前のことでもう忘れちゃってますね。

私にとっては物心ついたときにはもう父方の祖母1人しか、おばあちゃんと呼べる人はいませんでした。私が生まれる前、もしくは1歳か2歳の時に、父方の祖父、母方の祖父母は亡くなっていたので、本当に祖母の家に行くのが楽しかった記憶があります。帰るときは本当に帰りたくないなと思いながら、父親の車に乗っていましたね。

もう祖母は亡くなりました。そして私は現在、亡くなった祖母の家に住んでいます。今でも祖母との一番の思い出は何か考えると、このことを思い出しますね。祖母と2人きりで過ごした最初で最後のひと時、今の私にとって本当にかけがえのない思い出です。

この先もどんどん祖母との思い出は薄れていくだろうし、色々な思い出も忘れちゃうんだろうなと思います。きっと覚えていたい記憶も。

これから先、色々なことを経験していく中で、様々な思い出が生まれてくると思います。そして、古い思い出はどんどんと消されていく。

だから私は、古い思い出たちに失礼のないように、こうしてたまに思い出していきたいです。これから先も、ずーっと色あせないように。そして沢山の思い出をこれからも作っていきたいなと思います。思い出はいくつあってもいいですからね。

それでは皆さん、さよなら、さよなら、さよなら。




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