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『ミュージカル この世界の片隅に』@日生劇場

2024年5月16日(木)

日生劇場で『ミュージカル この世界の片隅に』。

原作と映画版は傑作、TVドラマ版もなかなかよかった。でもミュージカルにするのはどうなのだろう…。そもそも歌にして盛り上がる種類の題材ではないし、繊細な部分が失われてしまうのではないか。そんな不安も初めはあったのだが、ミュージカル音楽作家に転身したアンジェラ・アキさんに去年今年と2度話を聞き、アルバム『アンジェラ・アキ sings 「この世界の片隅に」』を聴いて、彼女の音楽がどのように活かされているのかをちゃんと確かめなくてはならないと思い、観に行った。

これが……素晴らしかった! 
アンジェラの楽曲がときにダイナミックに、ときに繊細に、芝居と物語を動かしていた。

原作者のこうの史代さんはパンフレットのインタビューでこう話している。「台本は、物語をうまく前後させながらすごく面白くまとめてくださっていることと、言葉の使い方に知性があるというか、”ミュージカル”というところから想像していたよりも落ち着いた雰囲気になっていることが印象的でした。音楽も、力強くて生命力があって、それでいて重苦しくなく軽やかですごく良かったですね(後略)

そう、自分も「想像していたよりも落ち着いた雰囲気になっている」のがいいと思ったし、音楽に関してこうのさんが感じられたことにもまったく同感。「力強くて生命力があって、それでいて重苦しくなく軽やか」で、それがそのまま役者たちの芝居の力強さや生命力や軽やかさを表わすことにもなっていた。

アンジェラはインタビューで「音楽をひとりの登場人物として考えて、それがどういう動きをするのがいいのか、どういう役割を果たせばいいのか。そのことを考えながら作曲していました」と言っていたが、その言葉の意味を強く実感できた。

メインどころの4人はWキャスト。主役の浦野すずは昆夏美さんと大原櫻子さんで、このミュージカルとアンジェラの楽曲について話しているふたりの映像を見たときに昆夏美さんの話す内容と表情がとてもよかったこともあって僕は迷わず昆夏美さんの日を選んだのだが、これが大正解。すずのどこかのほほんとしたところも体現しながらのびのびと軽やかに(2幕の重要場面ではエモーショナルに)演じていた上、歌唱表現力も豊かで実に素晴らしかった(自分は普段ミュージカルを観ないので存じ上げなかったのだが、『ブギウギ』で李香蘭役をやられてた方だと後で知って、そうか!  あの人だったのか!   となった)。

また、白木リンの存在が映画版やドラマ版以上に重要度のある作りになっているように感じたが、演じる桜井玲香さんも艶やかな上に芯が感じられてとてもよかった。

上田一豪さんの舞台演出は、原作の柔らかさを残しつつ、ユーモアの要素も大事にしながら(しかし過剰に笑わせにかかるようなことは一切しないで)、トーンとしては(原作者のこうのさんもおっしゃっているように)落ち着いたもの。いい意味で淡々としていて、大袈裟に盛り上げようとせずに丁寧に物語を伝えるものになっていたことがとてもよかった。

脚本は、1幕に関しては時系列通りではなく過去と現在を行き来するものに変えられているので、原作や映画版に触れてこなかった人はもしかしたら理解するのに少し時間がかかるかもしれないが、時系列通りの2幕を見ればそういうことかと理解できるはず。こうした時系列のいじりは最近の映画をよく観ている人とそうじゃない人で理解の深さが変わりそうだが、僕はこの物語をこの尺に収めるにあたって効果的な脚本・演出だと思った。

自分はミュージカルを観ること自体が(ブロードウェイで観て以来)10年近くぶり、日本で日本制作のミュージカルを観るのは恐らく40数年ぶりだったのだが、昔のイメージ/あり方とは大きく違っていて、日本のミュージカルもこのように進化しているのだなと感じた(よく観ている方には何を今さらな感想かもしれないが)。役者さんも脚本/演出家も新しい世代が活躍されているので当然なのだろうが、それを知ることができただけでも観に行ってよかったと強く思った。何より、やはり音楽の質の高さ。歌と芝居部分が分かれていて、芝居→歌→芝居→歌というふうに進むかつてのミュージカルと違い、アンジェラのここでの楽曲群は完全に役者の演技の心情と重なり、芝居とひとつになって物語を動かす、そういうものであった。

「欧米ではずいぶん前からシンガー・ソングライターがミュージカルの世界に進出して成功している、日本もそう遠くないうちに必ずそうなる」と、アンジェラが話していたが、確かにそうなったら間違いなくミュージカル自体のクオリティはアップするだろう。ただ、それができる才能と実力、スキルを持ったシンガー・ソングライターがどれくらいいるかはわからないが。とにかくここを目指して海外で勉強して力をつけてきたアンジェラの音楽は、この作品において本当に生命力を感じさせる素晴らしいものだった。アンジェラの起用がこのミュージカルの成功に繋がったと、そう言って間違いないだろう。

最後にもうひとつ。今月『オッペンハイマー』を観たばかりだったこともあって、原爆投下に関しての表現と言葉がかなりリアルかつ重く響いた、ということもつけ加えておく。


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