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未来の私からのメッセージ

こんにちは。

ここ何日か昔の記憶が蘇って、珍しくノスタルジックな気持ちになっています。9月に50歳の誕生日を迎えるので、私もよくここまで来たなあと感慨深い気持ちになっているのもあると思います。

私は丁度4年前の9月の始めに18年一緒にいた元旦那さんと別れ、16年住んだアパートを出ました。この季節になるとその時の事を思い出してしまいます。

彼は心の優しい人だったけれど、結婚には向かないタイプだったのだと思います。結婚してからもほとんど生活スタイルを変える事なく、自分の好きなようにしていました。フリーランスでロードバイクのトレイナーをしたり、タイル職人だったり、友達とebayで何か売ったり、定職に就くことはなく、それでもなんとか生活は成り立っていました。でも16年間2人で言った旅行は日本へ行った1回だけ、外食もほどんど私が出す、2人でマンハッタンから出たことも殆どない、という贅沢とは程遠い生活でした。彼のために付け加えると、彼は料理上手で夕飯は彼が本当に美味しい料理をいつも作ってくれました。今でも時々懐かしくなります。

私はというと、そんな中「彼には頼れない。私がしっかりしないと。」って頑張りまくってました。不思議と彼にもっと頑張ってほしいというより、私が頑張れば何とかなると思っていました。働きながら大学行って、その当時私の夢だった「自分でデイケアを開く」という夢のために、自分で起業している人たちの集まりに参加したり、株をやってみたり(お金を作るため)、シュタイナー教育の研修に行ったり(色んな幼児教育論を知るため)、自己啓発のセミナーに行ったり、、、

書いていて疲れてしまう。。😅

今思えば、私には「I'm not enough. I'm not worthy(私は十分でない。私は価値がない)」という気持ちがずっと根本にあったんですね。だから、何かを足さないと安心できなかった。それが知識であったり、お金であったり(これは全然増えなかったけど😆)。何か足りないものを足そうと一生懸命だった。

前夫は短気なところがあり言葉の暴力が酷くて、毎回そのものすごいネガティブな言葉、私を否定する言葉に打ちのめされて、それでも何となく「私はこんなところで終わらない」と信じて頑張っていたんですよね。

今になればわかります。私は本当にドラマ好きだったんだなあ。自分で悲劇のヒロインになって、わざわざ苦労していたんだなあ。幸せは苦労して手に入れるものって思っていたんだなあって。

昨日、久々に昔の日記を読み返したのですが、そこには「苦しい。もうダメだ。生きて行くのが辛い。光なんて全然見えない。どうしたらここを抜け出せるのか全然わからない。」ってもがいている自分がいました。

周りの結婚しているお友達の何気無いFBの投稿、旦那さんからの結婚記念日の花束のプレゼントや、家族旅行、素敵なレストラン、子供自慢、全てが本当に羨ましくて、私の何がいけないのだろう?こんなに頑張っているのに。。と変わらない毎日の中、それでもそこにある小さな幸せを見つけては自分を納得させてることに必死。本当はもっと欲張りたい。もっと幸せになりたい。旅行も行きたい。おしゃれなレストランで外食もしたい。でもそれを認めると、惨めになりそうでできない。自分の欲望に忠実になることをまるでいけない事のように感じていたのでした。

あ〜なんて健気で一生懸命な私。私は何だかそんな自分が愛おしくてたまらなくなりました。「大丈夫だよ。あなたはそこから抜け出せるよ。そして、本当に幸せになれるよ。自分を信じて。何も足りなくないよ。」って伝えてあげたいと心から思いました。

そして、思ったんです。今ここで思ったことは、実は過去の自分にちゃんと伝わっていたんじゃないかって。

だからこそ、今思えば「私結構ひどいところにいたなあ」って思う状況の中、それでもセントラル・パークに行ったり、空を見上げたり、街角のお花に目を止めたり、子供達と遊んだりしながら、自分をちょっとでもホッとさせて進んで来たんだなあって。

それはここにいる未来の私が、過去の私に「大丈夫」ってメッセージを送り続けていたんじゃないかなって思うんです。そしてそれが伝わって、表面的には結構辛いときも心の奥底で「何となくこのままでは終わらない」という何の根拠もない「思い」がひっそりと私を支え続けていたのかもしれない。

そして今、夢に見た現実を生きていて、もちろん今だって、順風満帆なわけではないけれど、何となく大丈夫な気がしている。

一緒にいるときは喧嘩のたびに「死んでくれればいいのに」と思うくらい😨憎らしくてたまらなかった前夫に対しても(もちろんいいところも沢山あったのですが)、彼は彼で精一杯だったんだな、私が頑張りすぎたから、彼の頑張る機会を奪っちゃったんだな、でもこのリレーションシップのおかげで、本当に私は成長したな、と感謝の気持ちが湧いてくるまでになりました。(と言っても別れる時も、喧嘩別れではなく、感謝の気持ちで終わらせていたつもりではいたのです)

人は生まれてくる前にこの人生で体験して学びたい事を計画してくるそうです。そして一番仲良しのソウルメイトがわざわざ悪役をやってくれて、学びの経験をさせてくれるのだそうです。そう考えると、前夫はわざわざあの役を買って出てくれたのかもしれません。(知らんけど😆)

とは言えあの過去のお陰で、今の生活が本当にありがたく思えます。ネガティブな過去も今が幸せだと、全て必要な経験だったのだと思えるのです。まるでオセロの駒が全部ひっくり返るように、過去に意味が見出せるようになるのです。

それを身を以て体験したので、今また色々あっても、全ては良い方向へ向かっている。私の目には今それは見えないけど、未来の私は知っている。という事を信じています。そして全ての経験が私の人生に彩りを与えているのだと思えます。

こんな事を思うのも、人生の後半を迎えているからかもしれませんね。

絶望の中にいる時、全ては良い方向に向かっていると信じるのは、とても難しい。

でもそれを信じられると、自分のコントロールできない事象を大きな力に委ねて、ただ淡々と自分を生きることができるように思います。



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