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初めてのおはなし会

ついに初めてのおはなし会を開催しました。

はじめてのおはなし会はリクエストからそして一緒にやりませんかのお声がけから。

以前何かするためにはお金を稼がなくてはなと思っていた時に認知症高齢者のおはなし会をしてみようと思ったことがありました。

でも動機がお金と自分のやれること。

自分がやりたい、ワクワクすることとはならず

なんか違うなあと思い、その時は行わなかった

その後本当の自分がやりたいことは?

自分の好きなことは?

などなど自分自身と向き合おうとすればするほど迷子になる私

ある講演家の方が言われた自分のやりたいことは背中に書いてある

自分ではわからないもの

というお話を聞いたことでずいぶんすっきりしました

そうです。

私は自分のやりたいことを探さなければとまた必死になっていたのです。

シンプルに考えることが苦手でどうしても左脳を使って思考が優先する私。

とにかくやってみようと思って行動するのは早いのですが、その先のどうありたいからのイメージが想像しにくい

自分が息をするように心地のいいことがわからない

はい、また迷子になりかけてました。

でも今回おはなし会をすることで、

「来てよかった」

「楽しかった」

とお話ししてくれた参加者の皆さんを見て、

私こそ自分の心地いいことが分かった気がしました。

人がワクワクして話したくなるスイッチが入った姿を見ること

まさに自分が整えた環境で人の心と体が動いた姿を見ることが楽しくてたまらない

そして私自身もワクワクしながら自分が好きな話をするときのニヤニヤが止まらない感じ

こんな世界を作りたい

こんな風にしたら面白そう

できないことを考えるより、どうやったら楽しくなるかを考えるとき

それにはワクワクしている人たちをたくさん見て材料集めをすること

そんな人たちをたくさん作ってその人たちが作る環境でまたワクワクする人たちが増える

きっとそれを見て拗ねてしまったり、和の中に入ることを躊躇する人もいるかもしれない

でもそれはまだその人のタイミングではないだけ

負の感情も生きていく中では当たり前のこと

「そんな自分も受け入れて、認め、許し、愛しています」と

「まなゆい」の言葉ででまるっと包むと何もかもが愛おしくなる

自分だけでなく、周りの人もそれをまるっと包んで笑ってくれると

愛と感謝でしかなくなる

昔研修会で聞いた「死生観」

自分が死ぬことを想像したとき、寂しさや悲しさではない涙があふれてきたことを思い出す

「死」を意識したとき「生きる」を感じる

「自分はどう生きたいか」

仕事をしていた時に対峙したたくさんの「生きる」

生きづらさの中で一瞬で変化する笑顔や怒りの感情

必死の抵抗、「生きたい」のがむしゃらさ

「私もこうありたい」と何度望んだことか

今仕事を辞めて、危うくまたやらなくてはいけないことに振り回されそうになるけど

出会う人出会う人に教えられる自分の在り方

一人の時間に集中すると見えてくる心地いい感覚

マーケティングでいうペルソナは自分ビジネスでは

誰かではなく自分

自分が心地いいこと、自分が喜ぶこと、自分がしてほしいこと

それに気づいて満たすことで、新しい創造(イメージ)が見えてくる


おはなし会で出会ってくれた方々本当にありがとうございました。

どっぷりつかって、創造して、また楽しもうと思います