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2022年、《江戸時代 / 戦前 / 戦後》までを俯瞰するタイミングなのかもしれない

明治維新から終戦までが、77年。

終戦から2022年までも、77年。

そのどちらのタームも終わり、どちらでもない枠組みや考え方がこれから形成されていくタイミングな気がしてならない。

僕はたまたま、音楽ジャンルの分断に疑問を持ち、音楽史に興味を持ち、別々に存在していたクラシック音楽史とポピュラー音楽史をつなげてみた。すると、思いのほかそれが西洋史観であることが浮き彫りになってしまった。

日本において自明のものとされていたクラシック音楽史とポピュラー音楽史のそれぞれの視点が、戦前のヨーロッパ帝国主義と、戦後のアメリカの強い影響下にあるとしたら、我々の"文化"とはいったい何なのか、大きな問題提起が浮かび上がってくる。これから今度は日本音楽史を考えていく上で1つの重大な事項になる気がする。

これは音楽以外にも言えることな気がしていて、

文学史やカルチャー史も、政治も、

・江戸時代
・戦前
・戦後

この3つの文化やイデオロギーを俯瞰で捉えるべきタイミングなのではないかと思った。



少なくとも音楽において、音源が横並びになった今、
そもそも

クラシックが権威的ダー、
ロックやフォークは反体制ダー

っていうレッテルすら
おじいさんの感覚のように感じる。

ナチュラルに僕ら世代からすると
右翼とか左翼とかで分けてる地点で
嫌なオジサン的な空気を感じるっていうのはあるからね。

そのあたりが無知とか無関心とか言われるのかもしれないけど。

かといって無視するわけにもいかないのもわかっている。

だから、中庸が理想なのかもしれないけど、そんな立場なんかないからやっかいなのだ(あるとすればそれは神の視点である)。

右でも左でも中庸でも無視でもない、
そんなものを飛び越えたオルタナティブが必要になってくる。

音楽史も文学史もそうだし、
政治的な立場もそうかもしれない。


音楽と政治を結びつけるな!とか、
ミュージシャンが政治的意見を発言する是非とか
そういうのはよく議論になるけど

単に音楽家が政治的メッセージを表明するかどうかとか、音楽が政治に接近するかしないか、とかいう安直な軸ではなくて、

別に政治問題を出発点にしなくても、ピュアに身近な音楽や文化を考えるにあたって、そのルーツや系譜学を辿っていった先に辿り着く根本的な政治や社会背景との関連性や根の深い問題点があって、そこを考えていかねばならないのだろうな、と感じています。

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