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「自分について、気づいていないこと」が多すぎるものだと思いました。



人は
「自分自身のことなんて、
当然分かっている。
だって自分そのものなんだから。」
と思っていると思います。

そりゃそうですよね。
24時間365日、一緒にいる(?)わけですから。


ところがですね、
一緒にいる(?)時間が長すぎるが故に
見えていないことの方が実は多い

と思います。

自分に起きていることは
自動的にプログラムされていることばかりで
当たり前にやっていること、
「それが自分」だからこそ

他人から見ると
「〇〇さんってこんな人だなぁ」
という明らかな部分も
『自分ではそうでもないと思っている』
んですね。

意識してやっているわけじゃないこと、つまり
無意識でやっている事には気づいていないものです。


具体的にいうと

いつも人に頼れずに、
なんでも自分でやってしまうタイプの人は

・大半は自分だけでやっている(無意識)
・たまに人に頼むこともある(意識)

無意識は、自分が気づいていないけど、
他人から見ると明らかな部分。


“意識的にやってる“ことは気づいているわけで
「わたしは、ちゃんと人に頼んで甘えてるよ」
という自己認識になる。


意識的にやらないと、人に甘えられない時点で
この人は「なかなか人を頼ることができない」
そういうシステムを持っている人なのです。


本当にできている人は、
できている状態がデフォルトなので
それこそ無意識から
人に頼ったり甘えたりできるのです。

これが「自己認識」と「実際のその人」に
大きな差異が生まれることに
繋がっているのではないかということです。


だからなんだ、って話になるのですが
まずは、「無知の知」からだと思います。


「自分について、気づいていないこと」
が多すぎるものだ

ということを気づいているかどうか。

このことは大きいのではないかと思います。


気づき、という概念があることが
わたしたちが人間たる最大の特徴かもしれません。





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