「書くこと」が大切な理由

わたしはずっとずっと不安だった。心の居場所、身の置き所がなかったから。外の世界にではなくて、自分の中に居場所が無かった。

セッションを受けて、少しずつどんな自分も受け入れられるようになってきた。どんな自分も責めないようになっている。そして、わたしは自分でいることに安心し、喜びを感じるようになっている。

ここに至るまでに欠かせないのは、自分の気持ちを書いて言葉にすることだった。最初は「毎日書いてね」って言われたから書いていた。褒められたい気持ちもあったし、書くことが好きだったこともある。動機は何でもよくて、重要なことは、書くことを続けてるうちにその行為に自分が助けられていることに気が付いたこと。

どうして、書くことでこんなに変化するんだろう?

書くってなんなん?

改めて素朴な疑問が湧いたので、どうして書くことが自分を知り、助けるために大切なのか、自分の経験したことを振り返りながら見ていきたいと思います。

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言語化して理解する
自分の感情、考えていることは一旦出してみないと俯瞰しにくい。意識の中だけに保留していると、煙みたいに曖昧でもやもやしている。何となく、あの人嫌だな、なんか不安だな、、相手が悪い、わたしが悪いのかな?はっきりした形にならない。その靄に、名前や輪郭を与えるのが言語化だと思う。自分の感情を表す言葉を見つけてあげる。悲しみ、怒り、嫉妬、喜び。どんな出来事で、何を感じたのかを入り口に、細かく丁寧に対話していく。書いたものを俯瞰すると、自分の中の思い込みや、本当の望みが見えてくる。自分をほったらかしにしてきたわたしたちには、新しい習慣だと思う。だから、新しい言語を習得するみたいに、何度も何度もノートを書いて、自分と対話する方法を身に着ける。

手で書くからできること
手書きのノートとブログの両方を続けて気づいたこと。それは、基本は手書きだなってこと。やってみればわかると思うけど、タイピングと実際に手を動かすことは感覚が違う。わたしは、手で書く時の方がいろんな自分が現れる。ごにょごにょ小さな声で自信無さそうに話す自分、すごく怒っている自分、絶対こうでしょ!案外当たり前に縛られている自分、昔の小さな出来事を繰り返し持ち出す自分。手書きの方が、いろいろ炙り出されて来る気がしている。いい意味で、ぐちゃぐちゃに散らかっている自分も現れる。嘘が無いのだ。それに、出てくる情報量がとても豊かだ。筆跡に感情の熱量や勢いが現れる。それがすごくいいなと思っている。

ブログを書くからできること
外に向かって自分を表現することができる。やってみると、自分を表現することはすごく楽しい。そして、自分を隠そうとするのをやめる練習になっている。外に向かって素の自分を表現できると、とてもらくちんになってくる。そこに行く練習を、自分のペースでやればいいんだと思う。話したくないことは、話さなくていい。書いてから、やっぱりやめたいなと思えば下書きに戻せばいい。書いて、投稿して、自分はどう感じるかを見てあげるのが大切だと思う。楽しい?怖い?不安?不満?それが収穫で、次に繋がる糧になる。最初は人にどう思われるかなって怖いけれど、やっていくうちに自分は人のことなんてどうでもいいと思っていることに気が付いた。人にどう思われようと、わたしはありのままのあなたを受け入れるって自分に表明する場になっている。

毎日続けると変化する
日々、自分の心の動きを書いていると、自分の内側に常にアンテナを張るようになった。何を感じているのか細かく拾って、アウトプットする。その循環を作り出してる。わたしにとってブログを書く時間は、今日一日を自分と振り返る大切な時間。何を受けて、自分の心がどんな風に動いたのか。わたしが自分に知ってほしいこと。自分にかけたい言葉を探す時間。繊細な自分、ぴーぴーうるさい自分、怠け者な自分、自己否定して拗ねてる自分、話しかけてくる自分と話をする。それぞれの言い分、価値観、バックグラウンド、本当はどうしたいのか。対話を続けるうちに、自分との付き合い方が分かってくる。過剰に反応しなくなる。悪者にしたり、やっつけよう、追い出そうとしなくなる。最初は、自分との対話を続けていると、うるさい声は無くなって、本当の望みひとつになり、そこに向かって願いが叶っていくのだと思ってた。でも違う。うるさいのも、拗ねてるのも、いなくならない。でもそれでいいと思って、一緒にうまくやっている。それがわたしの大きな変化。

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安心したい、好かれたい、認めて欲しい、理解されたい、優しくしてほしい、甘えたい、守って欲しい、褒めてほしい、自分の全てを受容されたい・・・実は全部自分で満たしてあげれる。他の誰かじゃなきゃダメだと思うけれど、誰でもなく自分自身に気づいてもらうことを望んでる。自分と対話を始めて、そのことに気づくことができたのが大きかった。どうして欲しいのか知ってあげれば、自分で自分に与えて循環できる。自分が自分の居場所になる。そのためのベースが、書くことなのだ。ここでは紹介しないけれど、書き方も重要で、方法がある。

人は自分の気持ちや考えを言葉にして理解し合う。みんな、人に対しては理解しようと努力してる。それを自分に向けて、細かくやり取りするだけなんだ。そもそも自分を優先することを禁止してるから怖いし、自分には必要ないと思いたくなる。始めてみると、今まで無視していた分、呼びかけても反応が無かったり、深いところに届かなくて苦しい気持ちになることもある。思うようにできない自分を責めたくなる。ネガティブな感情の波に呑まれて、たまらないときもある。けれど、地道に続けることで、確実に自分との関係が変化する。本当に全部慣れで、そのうち全ての自分と顔見知りになり、「こんにちは」って、普通に会話ができるようになる。怖がっていたり、嫌っていた自分自身と、普通にやり取りできるのだ。すごい人になることではなく、自分のままで楽しく生きる。それが、自分の世界の豊かさを受け取ることだと教えてもらった。

書くことは、自分の感情や思考を言語化する作業。書くことで、細かい会話が可能になる。視覚化され、俯瞰もしやすくなる。データとして自分のために残していける。手書きも、ブログもそれぞれに良さがある。そして毎日続けるから、確実に身に尽くし、自分の心の動きに敏感になれる。自分のデータ(財産)も蓄積する。続けた分だけ確実に変化する。自分を満たす循環が出来てくる。その土台を育てるのが、書くことで自分を知ってあげる営みなんだと思ってる。

おわり

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