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子は親に感謝「しなければならない」ということはない

親子の関係について、ガチで考えたことがあるでしょうか。

僕は大人になるまであんまり考えませんでした。だけど、ある知り合いの話を聞いてから、超考えるようになりましたので、この機会に紹介してみます。


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その人はしょっちゅう親とケンカをする人でした。
ある日のケンカで

「親に向かってなんて口聞くんだ」って、なんで親がいうわけ? 何? こっちが「なんとか私を産んでください」と頼み込んだとでも思っているのかな。親の勝手で子作りをして、親の勝手で私を産んで、子孫が残せた? おじいちゃんおばあちゃんもハッピー? よかったね。で? 今現在頼んでもいないのに勝手に産み落とされて育てられた私は、そんなのいい迷惑だと思って、死にたいと思っているわけだけど、それについてはどう思う?

みたいなことを親に言ったら黙っちゃったんだ。

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と言っていました。

先述のとおり、親子のあり方に疑問を抱いていなかった僕にとって、その親子ゲンカエピソードはとてもセンセーショナルなものでした。

確かにそれは興味深い問題だ、と思った僕は、その人と話をすることにしました。その人は自分なりに「命とは」についてひとしきり考えていたようだったので、自分とは違う考えが聞けると思ったのです。

僕はあれこれと質問し、その人はそのたびに「その質問、待っていました」とか、「普通は、そう思うよね」と、十分対策をしていたであろう回答を述べてくれました。なぜかちょっと得意げに。

たとえば

「親はきみにご飯を食べさせたり、学校に行かせたりことあるごとにお金や労力を払っているから、感謝すべきひとなのでは」

→なぜ感謝をしなきゃいけないのか、考えたことある? 前提として「産んでくれてありがとう」と思っていないのに、なんで感謝しなきゃいけないの? 勝手に産んだのだから本来死ぬまで面倒をみるのが当然では? 

ほかには

「僕たちが知らないところで子どものために色んな苦労をしているのではないでしょうか」

→紙飛行機を遠くに飛ばしたいと思って、よく飛ぶ形を研究して、何回も折り方考えてやっとできた飛行機が思うように飛ばずにソッコーで墜落したとき、自分で折った紙飛行機に向かって「こんなに苦労して作ってやったのに、なんでちゃんと飛ばないんだ」「感謝してちゃんとまっすぐ飛べよ」って飛行機にいう? 紙からしたら「いや、飛行機折ってくれって頼んでないし、私に言うなよ」ってなるよね。

「ヒトに限らず動物は、本能的に子孫を残すものと(たしか)科学的に……」

→(笑)で? ほら、もっと頑張って。

と、いう感じに、僕は何も言えなくなるのでした。

その日は、随分ともやもやしたものを自宅に持ち帰り、風呂の中で指がしわしわになるまで考えました。でも結局、なんとなく腹落ちしたのはそれから10年以上経ってからでした。

暫定的な僕の結論は

子は親に感謝「しなければならない」ということはない

です。

そうです、結構考えましたが、僕には「子は親に感謝しなければいけない」を論理的に説明することができないのです。

「いつまでも親のスネをかじっている引きこもりニート」「いつまでも結婚をしない親不孝」「なんで子どもなのに介護が必要になった親の面倒をみないんだ」などなど、ニュースやワイドショーではいつも「ダメな子ども」が批判をされているのですが、そのたびに、あれ? なんで批判しているのか論理的に説明できなくね? と思ってしまうのです。

それはそれはもどかしいのですが、どういう方向で考えてみても最終的に「でも、そもそも親の都合(勝手)で子を産んでいる」「子どもには産んでくれと頼んでいない」という事実を突きつけられたら「ぐぬぬ」としか言えないのです。ただ、個人的にはどうしても「親には感謝したほうがいい」という感情があるため、なんとも回りくどい言い方の結論としているわけです。

同様の問題はネット上でも議論されていました。そのなかでちらほら言われていたのが「まず、子どもにそんなことを言わせた時点で親失格。そんなこと言われないようにちゃんと育てろよ」ということ。なんとなく、何かを煙に巻いている感もありますが、これはこれで、なかなかいい感じの視点でものを言っている気がします。

余談ですが、その後僕がどういう考え方になったかというと、

「産んでやったんだから感謝しろ」とか「親に向かってその口の聞き方はなんだ」とか怒っている親御さんやコメンテーターの人たちに、この問題を一回ぶつけてみたいと思うようになりました。




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