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Focus on what you can control.

本当はBLMについて書こうと思ったけど、纏まってないのでまた今度に。今日はタイトルのこと。「自分がコントロールできる範囲に集中しろ」である。
これは本当に人生を生きやすくするし、それができない人と付き合えば付き合うほど、とんでもないストレスを抱えることになる。
この考え方は複数のコミュニティに属していたり、渡り歩いた経験がある人に多い印象。

アドラー曰く「あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込んだときと、自分の課題に土足で踏み込まれたときである。課題を分離することが大切だ。」
噛み砕くと、自分が意思決定できる範囲だけを気にして生きて、誰であっても相手の課題に土足で踏み込まない事、である。家族も上司も部下も親友も。Twitterでよく見られるクソリプなんかはこの辺が全く分離できていない例。

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相手にどう思われるのか、相手がどう行動するのか、相手の価値基準、などは最終的にはこちらが意思決定できることではない。
「こうした方がいいに決まってる」「何でこうしないんだ」「君のためにやったこと」「これだけしてやったのだからお返しがあるだろう」
これらは全て他者の課題、他者の意思決定の範囲に踏み込んでいる。自分の正義を守りたいのなら、他人の檻に手を突っ込まないこと。できるかできないか、ではなく「するかしないか」自体が個人の自由なのだ。

対人関係の悩みは全て「他人と関わること」で発生しているから、これさえ守って違いを受け入れれば、殆どすべての対人関係の悩みから解放される。思い通りに行かないという経験が基本的に無くなるからである。

では、執拗に相手から踏み込まれる場合はどうしたら良いのか?
答えは簡単。「関わらなければ良い」だけ。
もしそれが容易にできないのなら、どんな環境にせよ健全ではない状態だ。長い付き合いだとか、断りづらい関係なるもので、自分の人生の手綱の一部を他人に握られているのと同然だからだ。

お互いが自分のスタンスを持って関わり、相容れなければそれはそれ。受け入れれば良い。もし自他が混合した状態が心地よいのなら、それもそれで良いと思う。他人に強制さえしなければ。

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冒頭に挙げた通り、家族・会社・友人全ての近しい関係でも同じ。自分らしく生きるにあたって障害になるのなら、どんな間柄であっても距離を置く事がストレスを軽減する近道なのだ。

もちろん、最後は無条件に受け入れてくれる家族や親友という存在は大きく、大事だという意見は分かる。ただ、それが本当ならば、例え気が合わずとも、罪を犯そうとも、受け入れてくれるはずだ。
「いやでも、これは本人の為だから」と思うのなら、本人の好きにさせたらいい。それが気に食わないのは、他人の人生に土足で踏み入っているからなのだ。

「そんな当たり前のことを今更」と思うだろうし、「そんなものかなぁ?」と思う人もいるだろう。他人の課題に首を突っ込みまくって、人をコントロールして大成功を収めている人だってたくさんいる。もちろん突っ込まれまくって成り立ってる人も。だから一概には正解とは言えないのが難しいところ。

これを書いているのは、課題の分離が徹底できていない自分がいるからなのだけど、改めて記しておこうと思う。少しずつでも、みんなが生きやすい社会になればいいね。

初めてnote書きました!2018,06,24 よかったら応援お願いします!