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社会正義におけるキャリア支援

キャリア相談やキャリア研修を実施していると、労働組合が行うキャリア支援と会社(主に人事)が行うキャリア支援とどう違うのか、と聞かれることがあります。答えは人によってさまざまであると思いますが、私は幹部以外の広く組織を構成している一般の従業員(組合員)に対して、それぞれの置かれている課題や状況に配慮しながらキャリアについて考える機会を平等に提供していることではないかと感じています。

キャリア支援は個人の支援を中心に語られがちなため、ともすると「転職支援につながるのでは」という誤解を与えることもあり「労組として取り組むのに二の足を踏む」という声を聞くこともあります。それについては誤解を解くために各論文やこの「ネタ帳」でもさまざまな語り口で解説をしているので脇におき、今回は個人の集合体として組織や社会をとらえた際、キャリア支援が決して個人に対してだけではなく社会全体の問題や課題を解決するための重要な手段であることや、「社会正義」という視点に立つとキャリア支援が労働組合活動と深くつながっているのではないかと感じられ、この点についてお伝えしたいと思います。

社会正義とキャリア支援

労働政策研究・研修機構キャリア支援部門主任研究員の下村英雄氏によると、社会正義のキャリア支援とは「人々の不平等や格差、それによって生じる分断に着目する考え方」(社会正義のキャリア支援:2020年図書文化社)であるとしています。「職業選択の父」とも言われキャリア支援の始祖であるパーソンズは、産業革命後の混乱の中、不安定な職業生活を目の当たりにし職業指導の必要性を痛感したのをきっかけにキャリア研究を始めました。そうした意味ではこの「社会正義のキャリア支援」は決して新しい概念ということではなく、むしろ原点に立ち返った考え方と言えます。

世界的に見ても社会正義のキャリア支援は各国際機関でも盛んに議論されており、ILOのキャリアガイダンス報告書(2006年)では「社会的平等と社会的包摂の目標。疎外された不安定な集団の教育・訓練・雇用への再統合を促進すること。除外された集団を一般的な訓練プログラムや労働市場サービスへと統合(主流化)すること」と記され、2018年のILOのSDGsの目標として「ディーセント・ワーク(働きがいのある、人間らしい仕事)」を掲げています。多数派・主流の人たちが「良い」と思うルートを外れると、とたんに仕事も生活も不安定になるのは洋の東西に限りません。ILOはそうした人々を、再び、教育なり、訓練なり、雇用なりに取り込むこと、それを促することがキャリアガイダンスでは重要であると述べています。
一般的にも、こうした「ルートを外れる」ということは日常の中で誰しもが起こり得ます。

イメージしやすいのはワーキングマザーや仕事をしながら介護をする、もしくは自身の病で療養しながら仕事を続けるなど、人生のイベントの中で「自身の才能」がさまざまな制約を受け制限されてしまった場合です。制約を取り払うには各種制度の充実や取りやすい職場風土の醸成など環境整備も必要ですが、個人としても、おかれている状況や能力に悩み、壁を越えられない方も数多くいます。こうした方々に対して、専門家のよるキャリア相談や研修を行うなどのほか常日頃組合の職場活動において悩みを聴くなど、やむなく制約されている才能や資質を自然に伸ばせるように支援することも「社会正義のキャリア支援」なのです。

民主的な社会の土台となるキャリア支援

人は誰しも自分の人生を自分で自由に決められる権利があります。民主的な社会とは、人々が中心になって、話し合ってものごとを決める社会であり、それにはまずだれもが自分の考えを自分で自由に決められるという前提が必要です。この前提が覆されると正常な民主的な社会が成立しません。先出の下村先生は書物の中で以下のたとえ話をされています。少々長いのですがとても分かりやすいのでご紹介いたします。

「例えば5人で昼食に何を食べるか相談しているとします。みんなであれを食べよう、これを食べようと話し合うのですが、なかなか決まりません。いろいろ意見があって決まらないので、民主的に多数決で決めようという話になったとします。しかし、この5人の中に1人、金持ちがいて、どうしてもカレーが食べたいとします。この金持ちがカレーを食べようとしたら、いろいろな手段があります。一番簡単なのは、残り4人のうち2人に、自分がおごるから賛成してくれと持ち掛けることです。そうすればカレー派は3人になるので、表面上は多数決という公式の手続きによって民主的に正式にカレーになります。結局、金持ちの金の力によって民主的な手続きである多数決は歪められ、金持ちの意見が実現します。・・・(中略)・・経済格差があると(中略)やがては人々の様々な自由は奪われ、多くの人が隷属状態に置かれることを問題視しているのです。」

この話からお分かりの通り、経済格差は民主的な社会の根幹を揺るがしかねません。キャリア支援はこうした経済格差を是正する上でも非常に重要な政策手段でもあります。

経済格差はこれまでも、男性と女性、大企業と中小企業、正社員と非正規、都会と地方などの賃金格差が問題視されていました。しかし今回のコロナ禍で社会全体に一気に拡大していきました。さらに今後ジョブ型雇用が企業内に導入されることにより、今まではこうした格差が「対岸の火事」であった階層でも、同じ組織の中においてじわりと広がっていくのではないでしょうか。自らのキャリアを自分のものとして主体的にとらえることなく組織にゆだねたまま、気がつけば「こんなはずではなかった」という後悔と、会社に対する不満が頭をよぎる、これでは本人も会社も誰もが幸せとは言えません。

格差問題は社会全体の課題ではありますが、個人については、いわゆる自律的なキャリア形成を促進するため個別の状況に応じたキャリア支援を丁寧に行うことで、ある程度まで緩和することが可能なのです。

一人ひとりに向きあうキャリア支援を

1つの企業に長く務めるという前提が崩れつつあるいま、一人ひとりが自分のキャリアに真剣に向き合う時期に来ています。
法政大学の諏訪康雄名誉教授は「雇用政策とキャリア権―キャリア法学への探求」のなかで組織におけるキャリア支援について従業員のキャリア問題に対処するキャリアの窓口をつくり、個人への相談体制を整え、キャリアの視点から社内の諸問題を洗い出すことの有用性を伝えています。キャリア展望が立たず悩んでいる若年層や中堅層がキャリア相談で自分の思いを吐き出すだけでもずいぶん明るい表情になり帰っていくということは、私自身もキャリア相談の中でたびたび経験することです。

これからは多様な働き方が選択できるのはもちろん、多様な働き方をしても公正に取り扱われることが社会正義でもあります。一人ひとりの組合員に向きあい、その人が持っている貴重な能力や資質を本人の側からも組織や社会の側からも存分に発揮できるよう、私自身も組合活動を通じて支援しつづけていきたいと思っています。

清水康子
国家資格 キャリアコンサルタント

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