KISSは拳に 第1話 三沢真也

 ゴングが鳴ると同時に助走からの飛び膝が炸裂した。
 三沢はキッチリと脇を締めたアームガードでデイフェンスしたが、すぐにパンチのラッシュが降り注がれた。
 フック、ボディ、アッパー。どれもスピードがあり的確な打撃だが、軽い。岩の様な筋肉で身体を守りながら、三沢の眼はその時を待つ。
 相手はデビューしてから5戦連続で1ラウンドノックアウト勝利を収めてきた活きのいい新人選手だ。飛ぶ鳥を落とす勢いと若さ。そして強気な性格。興奮で見開かれた瞳は獣のようだった。
 しかし、三沢は相手の弱点をすでに理解していた。「スタミナ」だ。ゴングと同時のラッシュで全ての試合を終わらせてきたという事は、おそらく三分を超えた展開を考えてはいないだろう。三沢はガードを崩さずに攻撃を受け続けた。無酸素での打撃には必ず限界がある。息が上がったその瞬間に勝機がある。
 ラッシュの勢いに押されてコーナーを背にした。その刹那、大振りのフックが視界の外から弧を描いて飛んできた。しかしそれも想定内。幾度もトレーナーと相手の得意のフックのタイミングはシュミレーションしてあった。三沢はガードしながら完璧に拳の軌道を読みきり、ここぞと相手の懐に入り込んだ。そして首に腕をかけた。首相撲の体勢だ。すかさず膝で相手の太腿の柔らかい部分に膝を見舞う。嫌がったところでボディにも拳を見舞う。太腿とボデイ地味な攻撃だが確実に相手にダメージを蓄積させる事ができる。
 数発目の攻撃で、ルーキーが嫌がって腰を引いた。それと同時に三沢は相手の首を支点にして身体を入れ替えた。
 瞬時に戦況が変わる。ルーキーはコーナーを背にして追いつめられた。三沢はここを勝機とみなすと、丹田に力を込めた。滲み出る覇気に相手は気負いを消滅させ、ジリジリと後退してゆく。30秒の無酸素運動の果て、狙い通りに肩で息をしている。加えて、自分の攻撃で倒れなかった初めての相手に対しての恐怖が瞳に滲んでいた。
 三沢はスタンダードな右構えから狙い澄ました左ボディを繰り出した。微かに口が歪んだのを見ると、更にもう一発。
 そして腹に意識を向けさせた後、ガードの甘くなった顔面に右フックを見舞った。ルーキーはガクリと腰を沈めた。それと同時に膝で鼻柱にもう一撃。はち切れんばかりの若さが戦意を失くしリングに倒れ込む。
 しかしまだ意識はある。油断は禁物だ。レフリーに止められるまでは戦いは続く。すかさず三沢はマウントを取ってパンチの雨を降らせた。
 的確で重い拳が顔面に炸裂する。試合開始と同時にパンチを打ち過ぎたせいでルーキーのガードにはもはや拳を防ぐ力はない。
 やがてルーキーは三沢の拳に打たれるがままになった。そして何発目かの拳を振りかぶった所で勢いよくレフリーが割って入った。
「ストップ!」
 会場が歓声に満ちる。興奮した観衆が腕を天に振りかざす。まるで自分達が戦っていたかの様に、皆恍惚とした表情を浮かべている。三沢もアドレナリンの噴出を抑えきれない。すかさずコーナーに登り、手を広げ歓声に応える。格闘家の至福の瞬間だ。
 四本のコーナー全てによじ登り耳にわざとらしく手を翳し、客を煽る。
「勝者、パンドラスミドル級チャンピオン。三沢真也!」
 勝ち名乗りと共にレフリーに腕を上げられる。
(メイン試合で、1RKO。最高じゃねえか)
 スポットライトの下でマイクを渡された。会場が静まるのを待ってから、焦らす様にゆっくり口を開く。
「えーみなさん。こんばんわ」
 会場からほんの少し嘲笑が漏れる。
 実は喋りはあまり得意ではない。しかし、喋りたい。プロレスを見て育った世代だ。総合の試合だとは言え、試合後のマイクパフォーマンスも試合の一部だと信じて疑っていない。
「今回も、皆さんの応援のおかげで勝つ事ができました。相手は強かったですが、楽しんでくれましたか?」
 歓声が再びリングを包む。
「次も勝ちます。みなさんまた見にきてください」
 観衆の期待に満ちた視線が刺さる。三沢はマイクをもう一度握り直し腕を振りかざした。
「それではみなさん。ご唱和ください」
 プロレス時代から恒例のコールの合図だ。三沢が腕を振り上げ「最高!」と叫ぶと、それに続いて観衆が「最強!」と応える。
 さらに三沢が「最強!」と叫ぶと「最高!」とまた続き、会場は無蔵の一体感に包まれた。
客の賛辞に包まれながら花道を戻る途中、トレーナーの渋川が呟いた。
「アホ。次の試合の宣伝を忘れおって」
「あ、すいません。。。」
 試合後のコメントとしては辛辣だったが、厳しい渋川にしては表情が満足気だった。選手が教えた通りの勝ち方をしたのだ。トレーナーとしてこれ程誇れることはない。
「まあいい。この後は記者会見だ」
 観客の賛辞は止まない。おかげで退場するのにかなりの時間がかかった。負けたルーキーは暗い花道を静かに帰って行った。勝利した者には称賛だけが降り注ぐ。敗者には誰も目もくれない。それがこの世界なのだ。
 やっとの事で控室に戻ると、三沢は用意されていた記者会見を欠席する口実を考え始めた。彼にはすぐにでも行きたい場所があった。
 試合が決まってから今まで、溜めに溜めた欲望を吐き出せる場所。しかし、すぐにイベンターが控室に入ってきたのを見るとさすがに今回は無理だろうと諦めた。
 三沢は次の試合からメジャー団体に参戦する。完璧な勝ち方をした本人の決意表明を誰もが聞きたがっている。明日にはスポーツ誌の一面を飾るだろう。まだまだ一般的に名が売れているとは言えない彼にとって、世間に注目されるまたとないチャンスでもあった。
 できればすぐにでも男だらけのこの場から抜けだしたかった。ここ数カ月、男の汗にまみれていたのだ。女のやわ肌を掻き毟って放出しないと試合の後は眠ることさえできない。
 特に今日の様なKO勝利の日は特に拳の感触と、相手が倒れてゆく映像が頭から離れない。
 氷嚢を頭にのせられ体温が下がってゆくと、三沢は花の世界の夢を見た。そこにはいつもの女がいた。吉原でも、どこでも出会った事のない女。三沢はその女を勝利の女神だと信じている。女は試合が終わると、必ず三沢の前に現れる。まるで「私が付いている」と存在を誇示するように。
 この女が現れる間は俺は勝てる。三沢には妙な確信があった。背中にもその女を模倣した刺青を入れた。女はマリアのように微笑み三沢を抱いている。デビューした頃は女を身体に彫るなんてと揶揄されたが、連勝を続けている今では勝利の女神を背負った男と言われるようになった。
女が妖艶な手招きをしている。三沢はその懐に迷いなく飛び込んだ。しかしその瞬間、現実に帰った。「おい。おい!」トレーナーの渋川の声だ。
「ん?」
「ぼーっとしてんな。頭でも打たれたか?」
「いやまったく」
「記者会見行くぞ」
「しかたないか」
迸るフラッシュを煙たがりながら、三沢は光に包まれていった。

三沢真也 16戦 14勝 2敗 14KO

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。