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バーチャル戦記

「毎日の退屈な生活を、送っているだけのそこのあなた。青年達よ。VR戦闘キャンプに参加しませんか。
 銃やマシンガンを撃って、敵を倒すのです。
 あ、体力に自信が無くても、戦車やミサイルもあります。戦闘機を操縦してドッグファイトだってお望みのことが出来ます」
 アナウンスと共に、バーチャルの戦闘シーンの映像が流されている大きなディスプレイの下では、VR戦闘キャンプの受け付けで賑わっていた。そこは、官庁が集まっている円形の大きなサークルと呼ばれるビルの一階であった。
「ワクワクするな」
 原田学は、初めての体験に胸を膨らませていた。原田は太ってはいないものの、がっしりとした体形でスポーツ万能だ。
「そうそう。マシンガンを派手にぶっ放して、敵をやっつけてやる」
 永山泰平は、マシンガンを持つしぐさをしながら、「バババババ」と、声を出した。永山は、原田とは違い痩せぎすで細面の長身である。
「それって、人を殺すって事?」
 今沢明菜は、余り乗り気ではないようだ。明菜は、美人というよりかわいらしい顔立ちをしていた。三人とも、高校生らしい若者たちだ。
「バーチャル、バーチャルさ。本当に人を殺しはしない」
 原田は、明菜の言葉に今更何を言っているのかと呆れた。
「単なる、ゲームじゃないか。単位だってもらえるんだぞ」
 泰平も呆れて、「じゃあ、何でおまえは付いてきたんだ?」と、明菜に尋ねた。
「だってえ~、単位少し厳しいんだもん」
 明菜は、少し甘えたような顔で泰平を見た。
「おまえが来るから、付いて来たんじゃないか。単位は、口実…」
 原田は呆れた顔になった。
「そんなんじゃないよお~!」
 怒り出した明菜は、原田を睨みつけた。
「どっちにしても、俺はお邪魔虫のようだ」
 原田は、肩をすくめて見せてから、「ちゃんと、明菜を守ってやるんだな」と付け加えてから、泰平の肩をポンと叩いた。
 VR戦闘キャンプ参加希望者は多くは男性だったが、それでもかなり女性が混じっていた。
 殆どが十代後半の高校生や大学生達であった。
 高校や大学の、単位取得になる事も賑わいの原因の一つであった。二週間の訓練後二ヶ月間戦争ゲームをして、単位まで貰える気楽さも手伝った。

 時は、西暦2215年。春の晴れ渡った、心地よい日の昼下がりであった。
 二一世紀後半になると、懸念されていた温暖化が進み南極大陸をはじめロシアのツンドラ地帯それに北欧などの氷河が徐々に溶け出し海面が上昇を始めた。二十二世紀になると最終的に海面が二十メートルほど上昇してようやく海面上昇が停止した。
 日本は、少子化が二一世紀初頭から徐々に著しくなり、二二世紀前半には海面上昇の影響も甚大となり予測よりも人口減少が酷くなり人口は七千万人まで落ち込んだ。食糧自給率は、少子化のために皮肉にも上がる結果となった。しかし多くの食料を平野の農地に依存していた日本は、海面上昇に伴い徐々に耕地面積が少なくなっていった。全世界でも例外なく食糧危機が表面化して日本に食糧を輸出できる余裕のある国は無くなった。打開措置として、日本は内陸部に農地を新しく開墾するしかなくなった。それでも海面上昇に対し、農地開墾は遅れ気味になった。
 世界各地の多くの都市は海沿いにあったため壊滅的打撃を受け、人々は、内陸への避難を余儀なくされた。世界各地の穀倉地帯の半分以上が海面下となり、食糧危機が徐々に人々を苦しめ世界各地で暴動や略奪それに内乱が頻発し始めると、食糧自給率の少ない国から餓死者が増加し、一部の国では無政府状態となった。世界の人口は、一九二七年の二十億人程度にまで落ち込んだ。それから先行き不安も手伝って、人口は落ちる一方であった。

 二千二百年時点で、人口は十二億人まで減少していた。災禍は、海面上昇だけではなかった。地球温暖化によって台風やサイクロンそれにハリケーンが巨大化して、人類の生活を脅かすことになった。ゲリラ豪雨もそれが当たり前になり、多くの被害を人類にもたらした。自然災害は、酷くなる一方で多くの人たちが被害者となった。
 世界の経済は、あっけなく崩壊した。世界各国は、疲弊した。失業率は増加し、世界は大混乱に陥った。ほとんどの国で食糧は配給制となり、多くの失業者の最低の生活は保障された。が、配給は時として遅れ気味になった。
 アメリカも例外ではなかった。しかし、混乱に付け込んで無政府状態にあった国を侵略する国は、どこにもなかった。それは、二十世紀や二十一世紀に世界に覇を称えた国も例外ではなかった。侵略する余裕がないという以上に、侵略する意味がなくなったからである。侵略したとしても、侵略した国を統治するためには莫大な経費が掛かる。
 世界に覇を称える意味さえもなくなったのだ。人々は、徐々にではあるが未曾有の災禍に立ち向かい始めた。それでも人口の減少には歯止めがかからず、二千二百十五年時点では世界の人口が十億人を切ることになった。日本の人口は、八百万人にまで減っていた。

 世界では都市の再編が進み、多くの土地は捨てられた。再編された都市はコロニーと呼ばれ、政府や行政機関を中心として住居棟が作られた。国民は、住居棟に居住することとなった。永山たちが居住しているのは、新都と呼ばれる日本の新しい首都となった都市である。人口は、二十万人程度。
 新都心には、円形で中央に政府機関や公共施設が入っている『サークル』と呼ばれる大きな四十階建ての円形ビルがあった。サークルの南側には、三十階建ての正方形のタワーマンションが十数棟配置されていた。タワーマンションの間には、スーパーや公園が配されていた。
 コロニーの周辺には農地や牧草地が広がり、魚の養殖所も作られた。食糧は地産地消された。電力も地産地消だ。コロニーには空港が併設されていた。他にも日本には、四十か所ほどのコロニーが作られていた。コロニーとコロニーの交通は、鉄道と道路それに空路で結ばれていた。が、殆どの国民は、コロニーの外に出ることはなかった。それだけの余裕がなかったのだ。コロニーとコロニー周辺の農地や工場以外の土地は、殆ど打ち捨てられ鬱蒼とした原始林に戻っていた。皮肉なことに、温暖化により人口が激減したことで自然が取り戻された格好となっていたのだ。

 永山たちは、バーチャルの訓練とは言えないような厳しい二週間の訓練が終わると、一日の休暇を与えられた。が、訓練施設の外には出ることが許されなかった。休暇の次の日に、早速バーチャルの戦場に配属されることになった。
 泰平たちは、五台の装甲車に分乗してバーチャルの戦場へ向かった。装甲車のタイヤは八輪のコンバットタイヤで、パンクなどで全て脱気してもある程度の走行を継続できると説明されていた。内部は狭く、両側にソファー型の簡易的な椅子が設えてあるだけだ。出入口は、観音開きのハッチが後部にあり出るときに装甲車を盾にすることができるようになっていた。後方の上部にもハッチがあり、非常の場合は上部から脱出することも可能だ。
 ハッチの前部上部には銃座があり、原田は装甲車から半分身を乗り出して上部の機関銃に手をかけ不測の事態に対処するために辺りを窺っていた。全員が、迷彩服姿に自動小銃を携え背嚢を背負った完全武装である。実戦経験がないため、軍服や装備は真新しい。却ってどこか弱々しさを感じさせる。

 基地を出てから十分ほど経ったころ、「間もなく、VR(ブイアール)圏外です」という女性の声が聞こえてきた。どこからだ? と、訝っていると、「何だあれは!?」という、原田の驚きの声が聞こえた。

「どうした?」
 泰平は、原田を仰ぎ見て尋ねた。
「窓の外を見てみろ!」
 原田は、叫ぶような大声を出した。他の者たちは、後部の両側にある小さな窓に集まった。装甲車の小さな窓の外を見て、全員が凍り付いて固唾をのんだ。今まであった緑の森林や山々は消え失せ、一面に荒涼とした地面剥き出しの原野が広がっていた。その所々に、朽ち果てた戦車や装甲車それに軍用車と思われるトラックが所々に散らばっていた。
「見ての通り、これが現実の世界だ。今までの生活の方がバーチャルだったのだ。もう少しで、配属先に到着する。到着後に、新しい上官の指揮下に入る」
 鬼軍曹と永山達に恐れられていた宮崎曹長は、外を見ることはせず自席に座ったまま腕組みをして何時ものようにジロリと小隊の一同を鋭い目で見回した。

「マジで、本当の戦争…」
 永山の戦友となった田口は、装甲車の小さな窓から外を恐る恐る見ていた。
「お前たちは、おかしいとは思わなかったのか? そんな簡単に、単位がもらえるわけはない」
「政府が、ぐる?」
 泰平は、思わず呟いた。
 泰平の隣に座っている明菜は、小刻みに体を揺らして無言で泰平に肩を寄せた。泰平たち三人は、同じ小隊に配属されることになったのだ。

 爆発音が、遠くから聞こえだした。少し経つと爆発音が近くにも聞こえ、銃声はそこかしこから絶え間なく聞こえていた。
 数分経つと、味方の陣地に到着した。自分たちは、敵に包囲されているかも知れないと、思うほどそこかしこから爆発音や銃声が聞こえてきた。それでも、ここは味方の陣地のはずだ。味方の装甲車が、何両も整然と二列に並んでいるのが小さな窓から垣間見える。原田は、困惑と絶望が入り混じったような顔で銃座から降りてきた。
 宮崎曹長は、原田が降りてきた時を見計らって、「本当の戦争だ。相手は、反政府軍だ。表向きは平和だが、内戦が続いているのが現実だ。自分には、もう貴様らを守ってやることは出来ない。死にたくなかったら、訓練で学んだ通りにしろ。二か月たてば、迎えに来てやる。それまで、生き残れ! いいか、くれぐれも命を粗末にするな。勝つ見込みがなければ、命が危ないと思えば、すぐに降伏しろ!」と命じたが、今までみせた事がない複雑な顔になった。それは、我々の近い未来を案ずるようにも見えた。宮崎は、一人一人を見てから、「いいな!」と念を押した。
「はい」
 誰かが返事した。がほとんど無言である。

 泰平は、今までの軍事訓練を思い返していた。今になって考えてみると、軍事訓練はどこか異様であった。教官となった宮崎曹長の、「命が惜しかったら、真剣に訓練に励め」という最初の訓示である。「バーチャルなのに…」と、どこからともなく呆れたような声が聞こえた途端、宮崎の顔が豹変したのを泰平は見逃さなかった。それでも宮崎は、苦虫をつぶした顔をしただけであった。それからの訓練は、過酷そのものだった。体力増進という名目ではあるが、戦争映画に出てくる新兵訓練を地で行っていたからだ。他にも銃などの兵器の扱いを叩き込まれた。射撃訓練と格闘訓練に始まり、最後の戦闘訓練は実戦さながらと言ってよかった。
「なんで、こんなに重いんだ」
 泰平は、自動小銃の重さに閉口して思わず口に出した。
「本物の銃は、こんなに重いんだぞ。バーチャルとはいえ、現実に即した訓練だ」
 宮崎曹長は、ニヤリとしながら言った。宮崎は、全員を見回しながら。「さあ、始めるぞ。単位が欲しかったら、生き残ることだけを考えろ」と言ってから、バーチャルのスイッチを入れた。
 今更ながら数々の訓練を考えると合点がいった。それでも、何故そんな嘘をついてまで戦場に俺たちを送り込んだのだろうか。単位を得られるということは、政府も知っている? いや、政府が戦争をしている。反政府軍と内戦状態。何のために? という疑問だけが頭に残った。

「それにしても、遅いな」
 宮崎は、時計を見ながら呟いた。が、何かおかしい。味方の兵士が外に誰もいない。宮崎は、様子を窺うために、ハッチを開け慎重に辺りを窺ってから少しだけ顔を出した。
「あっ!」
 宮崎は、顔をすぐに引っ込めたがその後から、自動小銃か何かに付かれたようで、狭い通路に尻餅をついた。直後に銃口が見え、すぐに敵の姿が現れた。宮崎は、尻餅をついた態勢にも関わらず敵の隙を窺っているようだ。

「お友達じゃなくて、悪いな」
 初めて見る敵は、余裕の表情で言ってから、「おとなしく外へ出ろ。外へ出たら、安全のため手を上げる事を忘れないように」と、泰平達に命じた。
 反政府軍は、泰平たちとは違い薄いカーキ色一色の軍服を着ていた。歴戦の勇士なのかそれとも軍資金が乏しいのかは定かではないが、どこか着古した感じが漂っている。
 宮崎は、観念したのかゆっくりと立ち上がりながら両手を上げ、「お前たちも、投降しろ。無駄死にだけはするんじゃない」と、部下たちに命じた。全員が、宮崎の命令に従った。
 バーチャルではなく現実の実戦だと知れされた泰平たちにとって、政府軍のために戦う義理があるはずはない。政府に騙されたと感じたのは、至極当然の帰結である。

 外に出ると、他の装甲車からも味方が手を上げる光景が見えてきた。反政府軍の手際のよい急襲に、他の味方もなすすべもなかったようだ。出撃前の高揚した姿とは、比べるべきもない憔悴しきった姿が信じられない思いだ。もっとも、バーチャルではない現実の戦争だと知らされた直後では、やむを得ないとも言えた。真新しい軍服の政府軍のひよっこたちとは違い、反政府軍は薄汚れたカーキ色の軍服を着て殆どが無精ひげを生やしている。反政府軍は、歴戦の勇士のようだ。
 その後全員が一か所に集められ武装解除させられてから、近くに停めてあったトラックの荷台に乗せられた。

 永山達が連れて行かれた所は、反政府軍の捕虜収容所の入り口のようだった。収容所には、多くの政府軍の捕虜たちがいた。高いフェンス越しに、新入りを見ようとしてか詰めかけているようだ。が、武器は持たないものの着ている軍服は、反政府軍と同じ軍服だった。宮崎は、曹長ということで一般兵士より先に収容所の大きな扉の横の小さなドアから収容所の中に連れて行かれた。曹長のいない泰平たちは、更に心細くなってきた。それでも生き残るしかない。
「諸君。また会ったな」
 泰平たちが大声のする方を見ると、『お友達じゃなくて、悪いな』と言った男が後ろに二人の男を従えるような格好で立っていた。男は、痩せぎすでどこか嫌味な感じだ。後ろに従えた二人の男は、対照的に屈強な感じで自動小銃を腰のあたりで構えている。銃口は横になっているもののいつでも泰平たちに向けられる準備はしている。
「捕虜収容所にようこそ。我々は、諸君を歓迎する」
 男は、言ってから満足そうに新入りの捕虜たち全員を見回した。
「私は、反政府軍の司令官で尚且つこの捕虜収容所所長の小森だ。部下たちに能力がないから兼任する羽目になった」
 小森の言葉は、自虐的とも言えた。とらえ方によれば冗談とも取れたが、捕虜たちにそれだけの余裕はなく、どよめき一つ立てずに無気力な様子で小森と名乗った男を見ていた。「これから、諸君たちに現実を教えるために不本意ながら、しばらくの間強制的に付き合ってもらうことにした」小森は、そこで沈黙した。初めて新入りの捕虜たちからどよめきが起こった。

「現実って?」
「政府が、何か隠しているということか」
 バーチャルのはずの戦場が現実の世界だということを思い知らされた新入りの捕虜たちは、小森の言葉を信じるしかなかった。
「我々は、政府が隠している現実を国民に知らしめるため戦っているのだ。詳しいことは、ここで学んでくれ。それでは、これから現実の世界に行ってもらう」
 小森は、後ろの男に目配せをした。それを合図に収容所の重そうな大きな扉が開かれた。

 泰平が捕虜収容所に収容されてからひと月ほど経ったある日、二十階にある自宅で永山泰平の両親は、食後のコーヒーを楽しんでいた。広々としたリビングの大きな窓からは、政府機関が入っている『サークル』と呼ばれる大きな円形ビルが正面に見えた。サークルの外側には、鬱蒼とした木々が茂っている森林と長閑な田園風景が見えている。遠くには、山脈が連なっている。ここからは見られないものの、左右には、同じような住居棟が連なっている。時折国際空港に発着する航空機が見える。人口が減ったからといっても、航空機を利用する人間は存在する。それでも、二十一世紀前半のように頻繫に発着することはもうない。
「もう一ヶ月以上になるが、あいつ大丈夫か?」
 泰平が反政府軍の捕虜収容所に収容されていることを知らされていない永山雄大は、胸騒ぎを覚えた。単なるバーチャルなら良いが…。あくまでバーチャルであると説明している政府からまともな発表があるはずはない。
「何を心配してるんです? まあ、バーチャルと言っても戦争するんですから、いい経験とは言えないかも知れませんが…」
 妻の美千代は、少し心配しているような顔になった。
「…」
 雄大は、妻の言葉に何も言えなかった。

 いきなり、バタンという音がしてすぐに何か金属が床に落ちるような音とともに窓の外から、数人の人間が湧き出すように現れた。その中の一人は、息子の泰平だった。他にも明菜と原田の知った顔が現れたのだ。しかも反政府軍の制服を着ている。全員が小銃を携え、完全武装姿である。
「何処から来たんだ!?」
 雄大は、驚いて泰平に尋ねた。
「地獄からだよ、とうさん」
「内戦は、終っていなかったのか!?」
 雄大は、肩を落とした。
「父さん。何か知ってるのか!?」
 雄大は視線をテーブルの上のコーヒーに落とすと、少し逡巡してから、「私も政府側で戦った一人だ。内戦は、政府側の勝利だったはずだ。内戦がまだ続いているとは、政府は発表していない。表向きは、平和な国家になっている…」と、答えた。
「それが、終わっちゃいなかった。反政府軍は、強大になった。それに正しい」
 泰平は、言い切った。いつの間にか、泰平達の後ろには、十人ほどの反政府軍が立っていた。そのうちの一人が、宮崎曹長だった。宮崎は反政府軍のスパイで、新兵を反政府軍に安全に連れてくる使命を帯びていたのだ。

「その通り、我々は正しい」
 小森は、雄大を正視しながら言った。
「言ってくれるな…」
 雄大は、ため息をついて、「今さら、戦争でもないだろう。戦争のおかげで、こんな荒廃した世界になってしまった。もうやめようじゃないか」と、物怖じせず恐れるでもなく、発言した反政府軍の司令官とおぼしき小森の顔を見据えた。
「やめたい。しかし、このまま引き下がることはできない。それに、こんな世界になったのは、戦争だけではない。それは、貴方が一番分かっているはずでは?」
 小森は言ってから、小銃を天井に向けて数発撃った。今まで見えていた外の自然豊かな景色は消え去り、別の地肌むき出しの殺伐とした景色に変わった。そこかしこに、戦車や装甲車の残骸が遠目にも見えるようになった。部屋の中も薄汚くなり、監視カメラが現れた。

 反政府軍が入ってきた場所は、空間ではなく通路となっていた。部屋の窓際の方には、倒れた鋼鉄製のドアが転がっていた。前方のサークルとの間には、通路で繋がっているようだ。通路の先には、辺りを窺っている反政府軍の姿が見えた。
「これが、現実だ! あなた方は、現実から目を背けているだけだ」
 小森は、二人を鋭い眼で見た。二人は、複雑な顔を見せた。「違いますか?」小森は、更に尋ねた。
「それは…」
 雄大は、口ごもった。
「今が、最後のチャンスかも知れません」
 小森は、静かな口調だが強い意思が見てとれた。

「私に、どうしろと…」
 雄大は、言葉とは裏腹に小森の眼を真剣な眼差しで見た。
「あなたのやりたい事を、今から実行すればいいだけです」
 小森は、雄大を真剣な眼差しで見つめながら促した。
 泰平には、小森の言っている言葉の意味が理解できない。父はITの権威ではあるが、内戦にどれだけ影響があるのか? 小森の口ぶりからすると、父には何かとんでもない力があるようでもある。
「今まで、私なりにやって来ました。が、私一人では、限界のようです」
 雄大は、小森から初めて視線を外して少し俯いたあとに、「いいでしょう」と言いながら、視線を小森に戻した。

 小森は、無言で雄大を見ている。
「覚悟を決めました。すべてを国民に知ってもらいます」
「あなた…」
 美千代は驚いた。が、目が泳いで何か逡巡しているそぶりをみせた。「いいのですか?」妻は、覚悟を決めかねているようだ。
「ああ」
 雄大は、ポケットからスマホを取り出すと操作し始めた。
「駄目! あなた…、お願い」
 美千代は血相を変えて懇願したが、言い方は命令口調のようにも聞こえた。

「他に、方法はない…」
 雄大は、妻の顔を見つめた。
「本当にするつもりなの?」
 美千代は取り乱した後に、絶望的な表情に変わった。泰平たちには、雄大が何をしようとしているのか理解できない。スマホひとつで、何をしようとしているのか。何が出来るというのか。
 泰平は、美千代の今まで見た事もないただならぬ顔に戸惑った。他の反政府軍兵士たちも、戸惑った顔で雄大と美千代を交互に見ている。

 一人小森だけは、泰然自若と事の成り行きを見守っているようだ。
「やっとその気になって頂けたのですね」
 小森は、満足したのか静かに言葉を発した。
「そうはさせない!」
 美千代は、近くにるキャビネットの引き出しを開けると、躊躇なく何かを取り出し雄大に向けて、「スマホをテーブルに置きなさい!」と、声を荒げて命じた。美千代の手には、拳銃が握られていた。が、動揺や躊躇がないのか、雄大に向けられている銃口は微動だにもしない。
「母さん…」
 生まれてこのかたいつも優しかった母には似つかわしくない光景を前にして、泰平はそれ以上何も言えなかった。

「もう遅いのだよ」
 雄大は、拳銃が目に入らないようなそぶりで美千代を穏やかな顔で見つめた。
「遅くは、ありません。あなたがスマホを置いてくれるなら、何も追求されません。今のまま、いえ、今以上に処遇されます」
 美千代の言葉には、主語はなかった。何故主語がないのか? それは、特定の人物を知られないためのようだ。

「やはり君は…」
 雄大は、今までの不信感が現実になったことを悟った。美千代を見る目は、絶望と憐憫がない交ぜになった複雑な目に変わった。
「どうとでも思ってください。すべては、あなたと国民のためです」
「違うね」
 雄大は、言下に否定した。が、穏やかな言い方である。
「何が違うのでしょう」
 美千代には、静かだがどこか信念のようなものが見て取れた。
「国民を騙していることに、私は疲れたのだよ」
「騙すなんて…。現実を国民が知ったら、パニックになって収拾がつかなくなるとは考えないのですか」
 美千代は、あくまで反論する。

「君は、間違っている。国民は、君が考えているほど馬鹿ではない。今は、内戦がなくてもエネルギーだけではなく食糧もじり貧の状況を君も知っているはずだ。心ある人たちには、あと百年も人類は持たないのでは? と、危惧している。今は、現実を国民に知らしめて一丸となって日本のいや人類の未来を切り開くべきではないのか」
 諭すような物言いの雄大に、美千代は少し動揺したのか銃口が少し動いた。
「そんな事はありません。あのお方なら、すべてを解決してもらえます」
 美千代は、断定的な言い方をした。美千代は、あのお方という言い方をした。が、誰とは言わない。

「君は心酔しているようだが、いくらトップに近しいとしても国民を騙しながらしかも一人の人間にできるようなことではない」
 雄大は、その人物のことを知っているようだ。雄大も名前は明かさない。
「もう、カリスマの存在できる時代ではないんだ。いくら高名な科学者とはいえ、一人の人間にできることなどたかが知れている。君も、薄々気が付いているのではないのか」
「そんなことは…」
 美千代は、少し動揺してきたのか、銃口が小刻みに揺れる。
「単に、先送りしているだけに過ぎないことを、理解すべきだ」
 雄大は、毅然とした態度で美千代を正視しながら、「止めたいなら、撃つがいい」と言ってから、スマホに目を落としてスマホを操作し始めた。
「…」
 美千代は、無言で雄大の姿を呆然と見つめていた。いや、何も言えなかったのだ。自分が雄大を撃つことはないだろうという確信が雄大にあったというよりは、雄大が命を懸けていることが美千代にも伝わってきたからだ。銃口は、ゆっくりと下に向けられた。

 何処からともなく、“ピンポンパン”と、場違いともいえる長閑なチャイムの音が聞こえてきた。
「VRレベルスリーが、解除されます」
 次に、静かな女性の声が聞こえた。少し経ってから、「ただいまをもちまして、VRレベルスリーが解除されました。これが現実です。繰り返します。これが現実の世界です。直ちに問題があることはありません。くれぐれも落ち着いてください」と、同じ女性の声が聞こえた。

 直後に、雄大のスマホが鳴った。雄大は、相手を見ることもなくそのまま電話に出た。
(幡山だ)
 電話の相手は、怒りを押し殺したような言い方で名乗った。
「分かっております」
 雄大は、静かな口調で答えた。
(今更何を言っても遅いが、とんでもない事をしてくれたものだ)
 幡山は、あくまで静かな口調だが怒りを押し殺していることは雄大にも手に取るように理解できた。

「我々は、反政府軍に負けたのです。こうなった以上、国民に真実を告げることしかできません」
(馬鹿な! 我々は、反乱者を追い詰めているところだ。もう少しで、お前を助け出すことができたというのに…)
 幡山は、初めて語気を荒げた。(どれだけ国民が混乱しているか、お前には分かっていない!」
「追い詰められたのは、あなたの方ではないのですか。私は、これ以上黙ってはいられなかっただけです」
 雄大は、幡山の言葉に動揺もせず静かに答えた。
(この混乱が収集したら、厳しく対処するから首を洗って待っていろ!)
 幡山は、言ってから電話を切った。
 雄大は、スマホから顔を離すと小森に向かって、「小森君。君が正しかったようだ」と、言ってから笑った。

「あなた…」
 美千代は、事情を察して床に崩れ落ちた。「もう、おしまいね」と、絶望的な顔になった。
「先生、奥さま。大丈夫です。我々は、勝利します。安心してください。それにこの世界を、もっといい世界に変えて見せます」
 小森は、自信があるようだ。
 泰平は、父親の言葉に疑問を持った。小森とは、初対面ではないようだ。

 泰平の態度に気が付いた雄大は、「小森君は、私のゼミの学生だった」と、言ってから小森に視線を向けた。
「優秀な学生ぐらい、言っていただいても良かったのに…」
 小森は、少し不服そうな顔になった。が、言ってから笑って、「それから私は、反政府運動に身を置きました。しかし先生は、政府側となった。私と先生は、秘密裏に連絡を取りお互いの情報を交換していたのです」と、昔を懐かしむような顔になった。

「何をやっている!? まだ終わらないのか!?」
 電話を切った幡山は、執務机の前で直立不動の軍司令官小川に向かって苛立たしい声を上げた。幡山は短躯で、薄くなった髪の毛を何とか七三分けしており、太った体を執務椅にねじ込めるように座っていた。顔は丸く二重顎で、脂ぎった顔は、怒りを顔に出していた。幡山とは対照的に小川は長身で、痩せぎす。顔も面長でどこか冷ややかな眼差しをしていた。
 他にも執務室の豪華なソファーには、泰然自若としている中野という男と数人の閣僚が座っていた。中野も小川のように細身だが、冷ややかな目で閣僚たちを見ていた。閣僚たちは、目が泳いでおりすぐに逃げ出せるような態勢をとっていた。

「鋭意努力しております」
 小川は、それだけしか答えられなかった。が、もうおしまいだと、感じていた。行方不明となった政府軍の殆どが反政府軍となって押し寄せている。屋内ということもあり、強力な武器も使えない。反政府軍の装備は貧弱だが、多勢に無勢。近接戦闘となれば、装備の優劣などあまり意味がないことも承知の上だ。しかし、総理の手前、他に答えようはない。

「バーチャルの世界に、現実を近づけると言った。いや、言い切った中野君。君は、どうなんだ!?」
 幡山は、泰然自若としていた男に視線を移すと詰問した。
「協力は惜しまない。と言ったのは、総理あなたですよ」
 中野は、呆れた顔をした後に、「国民に、真実を伝えることをしなかった。自分の政権のことだけしか考えないあなたにできる協力と言えば、限度があったのを今更言われても遅きに失したという他はありません」と、自分の立場を言うしかなかった。

 小川は、今更何を言っても始まらないではないかと呆れた。もう国民に知られてしまったのだから。もっとも、過去に内戦を戦った雄大などは知っている。しかも、口止めされていた。口外すれば、謂れのない罪で収監されることになっていた。しかし、もう秘密でも何でもなくなっている。口止めされていた国民が、真実を子供や友人などに話すことは必然になった。監視カメラがあっても、もう意味はなさない。政府自体が危ういのだから…。
 小川の危惧は、現実になった。VRが解除されると、窓の外の周辺に見えていた農地などはもとより自然豊かな木々や山々は消え去り、そこかしこに地肌むき出しの荒涼とした原野が現れた。そこかしこに、戦車や装甲車の朽ち果てた姿が遠目に見て取れるようになった。部屋の中も、薄汚れた姿を晒しだしていた。初めて見る監視カメラが出現して、今までプライバシーなどなかったことを国民たちは初めて知った。空港も跡形もなく消え去り、鬱蒼とした原始林に変わり果てた。人工的なものは、サークルと住居棟だけとなった。

 混乱のさなか、いきなり各部屋はもとより通路それに外にある公園などに備え付けられていた全てのテレビのスイッチが入り、幡山総理の姿が映し出された。
「私は、総理の幡山です。今まで、国民の皆様を心ならずも騙していたことを深くお詫び申し上げます」
 総理は、執務机の自分の席に座りながらすなおに謝罪した後に頭を下げたが、「これは、苦渋に満ちた結論であったことを理解していただきたいとお願い致します」と、国民に理解を求めた。が、無駄であった。総理の説明など聞こうとする者は、ごく少数だった。総理の説明は、言い訳に終始した。多くの国民たちは、部屋を出て政府機関が集中する向かいの円形の『サークル』ビルに向かった。そこで国民たちが見たものは、反政府軍が政府軍を押しのけて政府機関のビルに津波のように雪崩れ込んでいく光景であった。

 少しすると、エントランスに雪崩れ込んでいた反政府軍は、外に蜘蛛の子を散らすようにエントランスから逃げ出した。直後に円形のビルのエントランスが爆発しドンという爆発音が轟いた。広く立派なエントランスは、轟音とともに崩れ落ちた。こんなことも想定していたのか、天井に使っていた大きな分厚いコンクリートがエントランスを塞いで人が入る隙間がなくなった。他の壁の窓も分厚いシャッターが降りて遮っていた。
「おわりだ…」
 サークルに向かっていた国民たちの誰かが、呟いた。それは、反政府軍が逃げ出したということではなく、サークルのエントランスを爆発させてまで反政府軍の侵入を防がねばならなくなった政府に対して発せられた呟きである。

 蜘蛛の子を散らして逃げ出した反政府軍は、すぐに態勢を立て直すとサークルを遠巻きに包囲し始めた。それでもサークル内に無事に入ることができた反政府軍は、政府軍の二倍以上の戦力があった。
 サークル内のあちらこちらで激しい戦闘が繰り広げられた。が、多勢に無勢の政府軍は少しずつ反政府軍に押され後退を余儀なくされた。暫く経つと政府軍は、徐々に投降しだした。投降する人数は次第に増加し、政府軍の抵抗は散発的となっていった。もはや政府軍の敗北は、時間の問題となった。

「もう持ちこたえられません」
 小川司令官の、苦渋に満ちた声が執務室に響き渡る。
「これまでのようです」
 中野は、あくまで平静を装い幡山総理に向き直った。
「この私に、投降しろと…」
 幡山は、中野を不服そうな顔で睨みつけた。
「総理…、もうこれまでですよ。降伏しましょう」
 数人の閣僚の一人が進言した。血相を変えて、浮き足立っている。
 他の閣僚も、目が泳いで今にも逃げそうな顔をしている。この期に及んで、逃げ出せるはずはない。逃げ出すことができたとして、いったいどこに逃げる先があるのか。そんなことすら判断できないほど閣僚たちは動揺していた。

 その時、執務机の電話が鳴った。幡山は、弾かれた様に受話器を取ると威厳のある声で、「幡山だ」と、名前を名乗った。まだ、誰かが抵抗しているはずだ。吉報に違いないとの、幡山の想いからだだった。執務室にいる閣僚たちが少しの期待を持った顔を幡山に向けた。が、小川は、複雑な顔を向けた。中野は、視線だけ幡山に向けただけだ。
 次の瞬間、幡山の顔が引きつって、「貴様は、誰だ!?」と、声を荒げた。

(貴方には残念なお知らせだが、サークルは、我々反政府軍が只今を持って制圧した。私は、反政府軍の司令官の小森だ。貴方の命は、我々が保証する。諦めて投降するんだな)
 電話の相手は、小森であった。
「どうされました?」
 閣僚の一人が尋ねたが、絶望的な顔をしていた。
「反乱軍の親玉からだ」
 幡山は、苦渋に満ちた顔で答えた。が、受話器は、そのまま握られていた。

 ドンと、勢いよく執務室のドアが開かれた。次に、小川の部下たち十人ほどが、執務室に雪崩れ込んできた。
「もうだめです! 反政府軍が、間近に迫っています」
 その言葉を証明するかのように、銃声が聞こえてきた。
「もう防ぎきれません」
 一人の兵士は、幡山に絶望的な顔を向けた。銃声は、少しずつ大きくなっている。

 幡山は、一瞬うろたえた顔をしたが、「やむを得ん。身の安全は、保障するんだな」と、小森に念を押した。
(もちろんです。総理の任は解きますが、責任は一切問いません。ご安心を)
 幡山は、背に腹は代えられず渋々小森の提案を受け入れることにした。

「先生も、同行していただけますか」
 小森は、雄大に尋ねた。
「そうだな。私が必要になるかもしれない。行こう」
 雄大は、即答した。
 小森と雄大は、雄大の部屋から通路を通ってサークル内に入ってから、総理の執務室に入って行った。

 幡山は、一人掛けのソファーに座らされていた。が、拘束はされていなかったが、小森の部下たちが鋭い視線で監視していた。中野も幡山の隣に拘束されずに座らされていた。広い総理の執務室は、手狭になるほど反乱軍たちが入ってきていた。
「貴様は、これで満足か!?」
 幡山は、ふてぶてしい顔で小森を見上げて睨みつけた。

 小森は答えず、複雑な顔で幡山を見ているだけだ。その目は、この期に及んでもまだ虚勢を張っていると幡山を蔑んでいるようにも見えたが、憐憫とも取れる顔もしていた。

「貴様たちのおかげで、この国は大混乱だ」
 幡山は、小森と雄大をふてぶてしい顔で見ながら言い放った。
「それが、貴方の本心ですか? 貴方が国民を信用して、国民と一緒になってこの困難な状況を改善しようとしなかった。それが原因だとは、思わないのですか」
 小森は、はっきりと幡山を正視して蔑んだ顔になった。
「そうだ。この男の能力が低すぎただけだ」
 幡山は、顔を小森に向けたまま視線だけを中野に向けた。

「私は、弁解はしません。こんな男に従ったことを悔いているだけです」
 中野は、もう幡山を見ることはなかった。
 幡山は、手錠をかけられて閣僚たちとともに小森の部下たちに収容先に連行されて行った。幡山は、ふてぶてしい態度を最後まで崩さなかった。

 その後小森は、状況を把握するため部下たちに情報を集めるよう指示した。
「司令官。政府軍が浮足立っていたおかげで死者は出なかったものの、我々の被害も相当なものです。重軽傷者は、百人を優に超えます。政府軍の被害も甚大です。目下、医師や看護師を総動員して治療にあたっております」

 泰平たちが捕虜収容所に連れて行かれた時に小森の左後ろに立っていた男だ。男は、立花という副官だ。総理の執務室には、現場と連絡を取る副官たちの会話が錯綜していた。
「収容先は、十分か? 医薬品は、足りているのか?」
 小森は、報告した立花に尋ねる。
「今のところは問題ありませんが、治療が長引けば一般の国民の医療が圧迫される可能性もあります。現場は、相当混乱しております」
「そうか…」
 小森は、複雑な顔になったが、「できるだけのことはするように」と指示した。
「はい」
 立花は、早速現場に連絡を入れた。あとは、現場に任すしかない。

 政府軍を倒したとはいえ、人的被害は小さくはない。反政府軍だけではなく、政府軍にも大きな被害を出した。小森には、現場の混乱が見えるような気がした。それは、小森が今まで見てきた戦場の体験が関係していた。小森は、出来るだけ政府軍を生け捕りにして反政府軍の陣容に向かい入れることを重視していたことが正しかったと改めて確認した。
「大変です。食料が底を尽きかけております。食糧庫には、あまり食糧が残されておりません」
 別の部下は、食糧庫に調査に入った部下の報告を小森に上げた。捕虜収容所で、小森の右後ろに立っていた男だ。男は、花岡という副官だ。
「食料工場はどうなっている? 供給は間に合うのか?」
 小森は、部下たちに質問する。誰かが報告を受けているはずだ。

「それが…」
 立花は、一瞬答えに窮したが、「政府軍が破壊したため、現在稼働できない状況です。目下修理を急がせているところです」と、絶望的な声を上げた。
「愚かな…」
 小森は、国民の命がかかっていることを考えない政府軍の愚かな行為に絶句した。勝敗の問題ではない。これからは、政府と反政府という小さな枠組ではなく国民全体のことを考えなければならないというのに…。
「農場も、誰もいないようです。経験者が作物を手入れしていますが、人手が足りません。とりあえず、手の空いている者たち一個小隊ほどを応援に派遣しました」

「電力供給量が、ぎりぎりです。供給量を増やすために、現在発電量を上げているところです」 
 様々な状況と、副官など幹部たちの対応が報告された。小森は、一々自分に指示を仰がず的確に対応する幹部たちに満足した。
 小森は、勝利を手放しで喜べない現実を部下たちの報告で知らされた。この状況で、現実を知った国民たちが果たしてどれだけ協力してくれるか少し心配になった。

「難問山積だな…」
 小森は、自嘲気味に言ってから苦笑いした。
「私に何か手伝えることはありますか」
 今まで黙っていた中野は、今までの混乱が一段落したと感じて小森に申し出た。
「もちろんあります」
 小森は、笑顔になり中野に向き直った。「永山先生の奥さまも、貴方をかってらっしゃいました。私も同じです。今までは、従う相手が悪かっただけです」

「そう言っていただけると、少しほっとします。私にできることは、全面的に協力させていただきます」
「ありがとうございます」
 小森は、笑顔で右手を差し出した。
 中野は、立ち上がると、「これから、よろしくお願いいたします」と、言いながら小森と固い握手をした。

「指令官。国民向けの、放送の準備が整いました」
「分かった。始めてくれ」
 小森は少し心細そうな顔で、総理の執務椅子に腰を下ろすとカメラに目線を移した。が、カメラに向けた顔からは、もう迷いはなかった。
「小森君…、いや総理と呼ぶべきかな」
 今まで無言で成り行きを見守っていた雄大は、少しためらいがちに声をかけた。

「ちょっと待ってくれ」
 小森は、手でカメラを制しするしぐさをしてから雄大に顔を向けて、「小森君でいいですよ。どうされました?」と、雄大の困惑した顔を見逃さず尋ねた。

「放送を少し待ってくれないか。何かまだ釈然としていない事があるんだ」
 雄大は、自信のない言い方をしたものの今言っておかなければ後悔するような気がしたからだ。
「釈然としないこととは、何でしょう」
 小森は、気になり雄大に尋ねた。
「これが、現実の世界ではないかも知れないと思ったからだ」
「まさか…」
 小森は、信じられないような顔になった。現実だと思ったバーチャルを解除された世界が、まだVRのままだとしたら、現実は相当厳しい世界となることが予想される。

「単なる杞憂かも知れない。が、一応確かめたくなったのだ。パソコンを借りられるかな」
 雄大は、総理執務室に備え付けられているパソコンを横目で見ながら尋ねた。
「もちろんいいですよ」
 小森は、快諾した。
「ありがとう」
 雄大は、礼を言ってから早速パソコンの前に置かれている椅子に座ってパソコンを操作し始めた。

 雄大は、『VRレベルスリーが、解除されます』という女性の声が頭から離れなかった。今までVR(バーチャルリアリティー)が、スリーまでレベルアップされたと考えると頷けるが、もし、レベルアップではなく、現実の世界に戻ったと思い込んでいる今の現実もVRの世界なのかもしれない。と、考えたからだ。

 もし真実を隠すためのバーチャルだとしたら? わざと混乱を作り国民たちを混乱に注目させることで、真実から逸らそうとしているのではないか。という疑念もあった。国民に秘匿された内乱。反政府軍の勝利。これから始まるはずの小森の新しい統治。そのすべてが、仕組まれたものだとしたら? そう考えると今の世界は、現実ではなくVRレベルツーかも知れないのだ。真実を隠すためなら、現実は…? 雄大は、そこで考えることをやめパソコンの操作に専念した。

 パソコンの画面は、総理専用システムのログイン画面になっていた。驚いたことに、パソコンのキーボードの横にIDとパスワードが汚い文字で書かれていた。雄大にとっては驚きであるが、首相の執務室という安心感からか、それとも単にIDとパスワードを忘れてログインできない危惧のために書かれていたのであろう。いずれにしても、手間が省けたことを感謝しながら、IDとパスワードを入力してログインボタンをクリックした。パソコンは、メニュー画面に変わった。検索画面から「ソース」と入力して検索ボタンをクリックすると、夥しいプログラムの一覧が出現した。

 雄大は、躊躇せず「V2057level-0.version.000」を選んでクリックした。
「警告。警告。このソースは、セキュリティで守られており、改ざんや修正は出来ません。繰り返します。改ざんや修正はできません」
 女性の、穏やかな声が突然聞こえてきた。先ほど『VRレベルスリーが、解除されます』と言っていた声と同じ声に聞こえた。しかし有無を言わさぬ言い方は、雄大の介入を固く拒否していることは明らかだ。

 小森だけではなく、総理執務室に居合わせた全員が自然と雄大のパソコンの前に集まってきた。
「言ってくれるな…。しかし、私に抵抗しても、無駄なことだよ」
 雄大は、女性の声が聞こえたことに驚かなかった。自分がAIシステムやVR(バーチャルリアリティー)のシステムの開発に携わった訳ではなかったが、開発されてからもう二世紀近く時間が経っているはずだ。前世紀の遺物となっているシステムを見破ることは簡単に思われたからだ。単なる自信過剰ではない。今までの研究が自信となっていたのだ。雄大は、キーボードを操作する手を休めなかった。

「何のために、現実にこだわるのでしょうか。教えていただけませんか」
 女性の言葉で雄大は、VRの解除ができると確信した。勢いキーボードを操作する手が早くなる。
「それほど現実を知りたいなら、VRのすべてを解除しても構いません」
 プログラムのソースのアルファベットの羅列は、いきなり若い女性の顔に変わって雄大に視線を投げかけて尋ねた。女性は観念したようだ。事実上の降伏なのか?
 雄大は、初めてキーボードから手を離して、「ああ。知りたいね。現実を知らなければ、まともな対策などできはしない」と、現れた女性に向かって本当の人物のように対応した。

「小森様も、同意されますか?」
 若い女性は、小森に視線を移して尋ねた。
「ああ。先生の言った通りだ。甘やかされていては、何の解決も見いだせないからな」
 小森は、覚悟を決めてAIを正視した。現実は、やはり相当厳しいのだろう。が、現実を知らなければ、始まらないと腹を括った。

「すべてを受け入れる覚悟はありますか?」
 AIの女性は、小森だけではなく雄大やパソコンの前に集まった男たち全員を見回しながら尋ねた。
「すべて受け入れる」
「そうだ。俺も真実が知りたい」
「やってくれ」
 小森の部下たちは、バラバラに答えた。
「責任は、私がとる。VRを解除してくれ」
 小森は、部下たちの発言に救われた気がした。現実がどんな状況だとしても、責任を取る覚悟ができた。

「分かりました。それでは、VRのすべてを解除いたします」
 女性の顔は、消え失せてディスプレイは真っ青になった。
「全国民に告げます。これから、全VRを解除します。直ちに問題が起きることはありません。が、多少混乱することが考えられます。落ち着いて行動してください」
 声だけが、どこからともなく聞こえてきた。
「VR解除まで、10秒、9・8…」
 女性は、カウントダウンを始めた。

 そこにいる全員が、解除後に備えるように固唾をのんで解除を待つしかなかった。現実の世界は、どれだけ厳しい世界なのか? 現実を受け入れる準備をするしかなかった。その間もカウントダウンは続いていた。
 部屋に残された格好となった泰平や美千代たちも、辺りを見回しVR解除を準備するしかなかった。女性の声は、コロニー全体に聞こえているようだった。
「ゼロ。VRをすべて解除します」
 女性が告げた途端に、今までの総理執務室は消え失せ内装も施されていないグレーの金属だけの殺風景な壁に変わった。入口の扉には、ゴシック体で大きく1と赤字で書かれている。今まで存在していた多くの小森の部下たちも消え失せた。残されたのは、小森と雄大それに中野だけになった。

「これが、現実なのか…」
 小森は、そこまで言って絶句した。
「…」
 雄大は、言葉も出ない。
 中野は、複雑な顔で執務室だった殺風景な部屋を見回した。豪華な応接セットは、ただのパイプ椅子とスチールの机の殺風景姿を晒しているだけだった。総理の執務机もスチール製の粗末なものに変わり執務椅子もパイプ椅子に過ぎなかった。変わらないのは、数台のパソコンと、通信設備だけであった。

「そうです。国民の多くは、バーチャルで造られた人たちだったのです。内戦で亡くなったり傷ついた人々は、すべてバーチャルで造られた人たちです。本物の人たちは、全員無事です」
 女性は、小森達のために事務的に淡々と説明を続けている。
(大変です! 総理と閣僚が、消え去りました。仲間も全員消えました。私だけしかいません。部屋の様子もおかしい…)
 その時、部下の一人が無線から報告してきた。

「落ち着け! 戻ってこい」
(りょう・か・い…)
 小森の命令に答えたものの、部下の声は震えてる。動揺しているのだ。無理もない。
「ドアに1と書かれた部屋に我々はいる。今までの通路は変わっている可能性がある。1と書かれているドアを目指して戻ってこい」
 小森は、咄嗟に部下のためにアドバイスをした。が、どうなっているのか? 頭が混乱してきた。

 混乱は、他にも多数あった。
 政府軍の重症患者を手術していた医師は、患者と助手の医師それに看護師たちが消え去った光景に呆然とするしかなかった。立派だった手術室は、手術台や各種医療機器は変わらないもののいきなり狭くなった。
「先生! 患者さんたちが…、消えました…」
 慌てて手術室に入ってきた一人の看護師は、医師に異様な情況を告げると、「ここも…」と言うなり、その場で固まってしまった。
「落ちつくんだ。状況を確かめるから、ここを動くな」
「あ、お前の所もか…」
 別の同僚の医師が二人の看護師を連れて手術室に入ってきた。
「いや、全員で行動しよう。その方が安全だ」
 全ての場所で、混乱は起きていた。

 同時刻、泰平も殺風景なグレーの壁に変わって狭くなった自宅に驚いた。しかも小森の部下だけではなく、宮崎や原田まで消え失せていた。残されたのは、泰平と母の美千代それに明菜だけになっていた。今まで窓越しに見えていたサークルは、消えていなかったものの、グレーの金属製の小さな円形の建物に変わっていた。しかも、先ほどまで見えていたよりすぐ近くに存在していた。ここは、二十階のはずが地面が見えている。サークルは、二階建てに過ぎない。美千代は、呆然と立ち尽くすだけだった。

「泰平…」
 明菜は、力なく泰平に寄り添う。
「大丈夫だよ」
 泰平は、優しく明菜を抱きしめながら、夕闇が迫った夕焼けを見て凍り付いた。が、「とにかく、父さんのところに行こう。母さんも!」と言うと、有無を言わさず明菜を抱きしめたまま父がいるはずのサークルに向かった。美千代は、躊躇いながらも無言で泰平に従った。

「司令官…」
 無線で報告してきた部下は、すぐに戻ってきた。
「これが、本当の現実の世界のようだ」
「信じられません…」
 部下は、小森の言葉にそれだけしか答えられなかった。
「父さん」
 泰平は、サークルに入ってきた途端に空いているドアの中に雄大の姿を見つけて声をかけた。

「お前たちは、VRではなかったのか…」
 泰平の言葉に雄大は、ほっとした顔を泰平たちに向けた。
「あなた…」
 美千代は、雄大に駆け寄るなり感極まって雄大に抱きついた。「あなたも、本物でよかった」美千代も、多くの人物が消え去っていたので不安になっていたのだ。そこに居合わせた全員が同じ想いだった。

「父さん。窓の外!」
 泰平は、勢いよく窓を指さした。雄大だけではなく、居合わせた全員が泰平のただならぬ気配に窓に視線を移した。
「そんな…」
 雄大は、窓の外の光景を呆然と見つめるしかなかった。

 窓からは、太陽が沈む赤い夕焼けではなくマリンブルーの夕焼けが見えた。太陽も今までより小さく光も弱々しい。ここは、地球ではなく火星である証拠だった。
 今までの世界は、消え去っていた。他にも、泰平の友人たちの殆どがバーチャルで造られたことも判明する。現実に火星に存在している人類は、百人程度であったがまだ誰も知らない。幡山も現実の人間ではなく、バーチャルが作ったバーチャルの人物であった。

「これが…、これが…、現実なのか…」
 雄大は、辺りを絶望と悲嘆がない交ぜになった複雑な顔で眺めてからゆっくりと空を仰ぎ見た。「しかも、地球でもない…。我々は、AIに踊らされていただけなのだ」雄大は、現実とはとても思えない現実に絶望し床に崩れ落ちて床に手をついた。
 美千代は、雄大を支えきれずに雄大と一緒に崩れ落ちる格好になった。それでも美千代は、雄大に抱きついていた。

「何で夕焼けが青いんだ!?」
 泰平は、納得いかない顔で大声を張り上げ崩れ落ちて微動もしない雄大の襟をつかんで、「父さんは、知っているんだな!」と、問いただした。
「ああ。ここは、日本ではない。いや、地球でもない…」
 雄大は、力なく言ってから、「火星だ」と、現実を告げた。
「火星って? そんな馬鹿な!?」
「あなた…」
 美千代は、ためらいがちに声をかけた。
「茶番というより、滑稽だな」
 雄大は、余りの滑稽な自分たちの姿に、笑い出した。笑い声は高くなり、笑い声はすぐに嗚咽へと変わった。「これから、どうすればいいのだ? どうすれば…」

最後までご覧いただき、ありがとうございました。


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