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ブービートラップ 15.贖罪/16.様々な想い

解説

 第26回小説すばる新人賞に応募した作品です。
 一次選考にすら漏れましたが、選考に漏れた作品がどれだけ世間に通用するか? そんな想いでnoteに投稿することにしました。
 
再度内容を見直し(推敲)ています。誤字脱字それに言い回しを変えて、順次公開いたします。

目次

プロローグ に戻る
1.鉄槌
2.ハッカー
3.マスコミ

4.サイバー犯罪対策課
5.藤田美奈子/6.中野洋介/7.野村鈴香
8.ジレンマ/9.報道
10.沈黙

11.予期せぬ出来事
12.自殺か殺人か?
13.死せる孔明/14.巨悪 に戻る
15.贖罪/16.様々な想い(このページ)
エピローグ 次の章

15.贖罪

  第三製薬の次期社長と目されている専務取締役である篠崎光一は、第三製薬が記者会見を開いた日に一家で食事を終えて戻って家に明かりが点いていないのに気が付いた。食事は、自分たちが置かれている立場に対する憂さ晴らしも兼ねていた。「親父は、寝たのかな?」と、不審に思った。まだ時間は九時過ぎ寝るには早すぎる時間だ。父の祐一は、第三製薬の元常務で現在は相談役として第一線から退いていた。今日は体調がすぐれないからと、辞退して家で休んでいるはずだ。

「今まで色々あったから、行きつけの店にでも行ってるんでしょ」
 光一の妻である京子の言葉には、日ごろのうっぷんも手伝ってか皮肉が込められていた。色々とは、もちろん薬害法案のことだった。
 薬害法案が廃案になると、今度はハッキング騒ぎで様々な対応を迫られていた。いきおい、嫁の京子につらく当たることもあった。ハッキングの事実を隠ぺいすることには成功したものの、マスコミはまだ疑っている。警察も動き出して、そんなさなかに起こった殺人事件。犯人は捕まったものの殺人教唆をしたのが現首相の秘書だったこともショッキングで、首相の会見を受けて会社もハッキングの事実を認めざるを得なかった。これからの対応を間違えると、会社の存続にもつながる大事な局面を迎えようとしていた。
「何だ、それなら一緒に来ればよかったのに…」
 光一の弟で営業部長の修一は、面白くない顔になった。修一は、光一の存在で営業部長に甘んじていた。弟だけの理由ではなく能力の差なのだが、修一はそうは思ってはいなかった。

「じいじ寝たの? まだ早いのにもう寝たの?」
 光一と京子の一人息子の光太は、つまらなそうな顔になった。まだ五歳の光太は、祐一に遊んでもらいたいのだろう。
 光一たちは、運転手を帰して家の中に入った。第三製薬の創業一族だけある篠崎家は、築年数は経っているが堂々とした洋風の屋敷と言っていいほどの規模を誇る。住み込みの家政婦はいないが、三名の家政婦が屋敷を切り盛りしていて京子は家政婦を監督…。つまり、こき使っている。
 光一と修一は、広いリビングのソファに荷物を無造作に置いて開いているソファにどかっと座った。京子は光太を寝かせるために、寝室に連れて行った。光一は、テレビのリモコンを手に取った。

「兄貴、またニュースか?」
 修一は、苦りきった顔で尋ねた。
「おまえは、気にならないのか?」
 光一は、不審な顔を修一に向けた。
「気になるさ。だが、こう毎日やってくれると、食傷気味になってしまう」
「そうだが、一応目を通しておかないとな」
 光一は、言いながらリモコンのスイッチを押した。
 それから暫く二人は、ニュースを見ていた。数分後に、京子がリビングに入ってきた。京子に気が付いた光一は、「光太は、おとなしく寝たのか?」と、京子に尋ねた。
「じいじに、遊んでもらいたい。と言っていたけど、やっと寝たわ」
 京子は、ほっとした顔になったが、「でも少し変なの」と、気になったことを光一に告げた。
「何が変なんだ?」
「いまさら、おかしなことがあっても驚きはしないけど」
 修一は、今までの薬害関係の出来事を茶化しているような口ぶりになった。
「早苗さん(家政婦の一人)の作った食事に、お義父さんは手を付けていないみたいなの」
 京子は、祐一のことが少し心配になった。
「おまえが、『行きつけの店にでも行った』と言ったんだぞ」
 光一は、初めて胸騒ぎを覚えた。
「じゃあ、お店に電話…」
「先に、確かめたほうがよさそうだ」
 光一は京子の言葉を遮り、慌てて立ち上がると二階にある祐一の寝室に向かった。
「まさか?」
 修一は、半信半疑ながら光一の背中を追うようにして後をついて行った。
 二人の異変に気が付いた京子は、「どうなってると言うのよ?」と、言いながら訳も、分からない顔で二人の後を追った。

 光一は祐一の寝室の前まで来ると、ドアをノックして、「お父さん、起きてますか?」と、声をかけた。少し中の様子を窺っていたが、部屋の中からは何の返答もなかった。
 光一は後ろを振り返って、修一と京子を見た。修一は、最悪のことを考えているようだった。人一倍責任感の強い父が、薬害騒動に心を痛めていたことを知っていた。京子は、直感的に何かを感じたのだろうが、それが何かは想像もつかない顔をしていた。
「いいか? 入るぞ」
 光一は、二人に小声で言ってから、「お父さん。入りますよ」と、部屋の中に声をかけてからドアを開けた。ドアには鍵がかかっておらず、ドアはすんなりと開いた。部屋の中は真っ暗で、光一は、手探りで証明のスイッチを点けて部屋の中の異様な光景を見て固まってしまった。
 光一の後ろから、「キャー!」言う、京子の悲鳴が聞こえた。
 祐一は、部屋の天井に紐のようなものを通して首をつっていた。三人は、暫く無言で変わり果てた祐一の姿を複雑な顔で眺めていた。
 祐一の姿を見るのが辛くなった修一は、ベッドの脇にある机に視線をそらして、「そんな…」と、呟きゆっくりと修一の死体を避けて机の方に歩いて行った。
「どうした?」
「おやじの遺書だ」
 机の上にきちんとおかれている遺書を手に取って、修一は兄に告げた。
「遺書?」
 光一は、修一が手に取った遺書を眺め少し逡巡した後に、「なら、覚悟の自殺…」と言ってからもう一度祐一の姿を複雑な顔で見た。

  川田殺害の犯人が判明した翌日、第三製薬の元常務で相談役の篠崎祐一が自殺した。親族の話によると、遺書はなかったということだった。最近様子がおかしかったこと、外部から侵入した形跡もなく、近くに不審者などの目撃もなかったことで警察は自殺と断定した。家族が留守の間に、部屋の鴨居に紐をかけて首を吊ったようだ。
 警視庁捜査一課係長の松木警部は、薬害と関係がありそうだとは思ったが、遺書が出てこなかったために突発的に死を選んだと考えるしかなかった。自殺を覆す証拠も出ていない以上、捜査を続ける訳にはいかなかった。

 

16.様々な想い

 中野洋介

 「君を苦しめた奴らに、思い知らしてやる」
 中野洋介は、彩乃の手を取りながら言った。
「もういいよ」
 彩乃は、力なく言った。
「でも君は、被害者だ。加害者が、罰せられないなんておかしいじゃないか。犯人たちを、このまま野放しにしていいなんてことはない。首相は、製薬会社と癒着しているというもっぱらの噂だ」
「でも、単なる噂でしょ。マスコミや週刊誌が正しいとは限らない」
 彩乃は、痛いところを突いてきた。彩乃は、マスコミの自分勝手な振る舞いの犠牲者とも言えた。悲劇のヒロインともてはやされたが、そのあとは様々な憶測や首相と裏取引きでもしたのだろうと報じられ心を傷つけられていた。
 洋介が複雑な顔をしていると、「でも、法案が通ったら、救われる人もいるんでしょ」と彩乃は、言ってから笑った。多少は首相の言葉に、期待しているのだろう。洋介は、不憫になった。
「なら、良いが…」
 洋介は、目を伏せた。
 首相が何を言ったか教えてくれないが、あんな男の言うことを彩乃は信じているのだろうか? と、いう疑問が湧いてきて、「信用しているのか?」と、尋ねてしまった。
「ううん?」
 彩乃は首を振ったが、「でも、信じるしかないじゃない。信じられなくなったら終わりじゃない? それに、こんな苦しい思いをしているのは、私だけじゃないし…」と、同じ境遇に置かれている他人を思いやる言葉を発した。
「そうだね。法案が成立して、みんなが救われる。きっとそうだ」
 洋介は、思いやりからか気休なことを言ってしまった自分に少し嫌悪した。が、他に言葉が思いつかなかった。
「思い知らしてやるって、どうやって?」
 彩乃は、興味があるのか聞いてきた。
「首相の事務所と厚生労働省それに製薬会社にハッキングして、証拠書類をマスコミやインターネットに流す。どう? おもしろそうだろう?」
 洋介は、小声で言った。
「それって、犯罪じゃ?」
 彩乃は、驚いた顔を洋介に向けた。
「立派な犯罪だ。もっとも、誰も傷つかない。首相や製薬会社それに厚生労働省は大騒ぎするだろうが、事実だったらいずれ白日の下に晒される」
 洋介は言ったが、ハッキングが原因で死人が出る可能性も捨てきれなかった。犯罪の発覚を恐れるあまり、誰かが罪を一身に被せられ犠牲になるとも限らない。が、そんな心配を彩乃にさせるわけには行かない。それに、小説やドラマではない。普通に考えるなら、そんなことにはならないはずだ。万が一誰かが犠牲になったとしても、それは俺の責任ではない。そんな杞憂を、彩乃に抱かせるのは忍びなかった。

 野村鈴香

 猪狩は、約束通り大崎に破られ鑑識で修復したブログと証拠として預かったブログを二日後の夕方に持参して、対応に出た鈴香に玄関先で手渡した。まだ家族は帰っていないということだったので、用事を済ませればすぐ帰るつもりだった。
「もうできたんですか!?」
 鈴香は、礼を言う前に驚きの顔で猪狩を見た後に愛おしそうな顔になり修復されたブログと封筒を見た。
「犯人が粗暴だったことで、かえって修復が楽だったようです」
 猪狩は答えたが、鈴香が怪訝な顔をしたために、「大崎が証拠になるかもしれないと思い、封筒を開けて読んだが証拠ではないと分かると怒りにまかせて破り捨てたと供述したそうです。粗暴な性格のおかげで、数回破っただけで修復するのにあまり時間がかからなかったと鑑識は言っていました」と、鈴香のために説明した。
 鈴香はハッとして、「ありがとうございます」と礼を言った。それから思い出したように、「なにか捜査の参考になりましたか?」と、猪狩に尋ねた。
「直接参考になるようなことは、書かれていませんでした。が、恐らく、この内容でアップしてもハッキングは行われたような気がします」
 猪狩は、自分の受け止めたことを正直に話した。
「そうですか…」
 鈴香は、修復されたブログに視線を落とした。
「これで、私は失礼します」
 猪狩は、頭を下げた。「いろいろとご協力…」
「猪狩さん。彩乃は、間違っていたんでしょうか?」
 鈴香は、猪狩の言葉を遮って尋ねた。刑事さんではなく、猪狩の苗字を始めて口にして思わず尋ねていた。猪狩に聞くのはお門違いだと思っていても、誰かに確認しなければいけない。という想いが、先に立った結果だった。
「さあ? 何とも言えません。政府が間違っていたことだけは、確かです。政府がもっと早急にまともな答えを出していれば、こんな事件に発展することはなかった」
 猪狩は、親友を思う一人の少女の顔を見た。猪狩は、鈴香のために自分の想いを正直に答えることにした。

「じゃあ、殺人事件は起きなかった。製薬会社の人も、自殺しなくて済んだということでしょうか?」
「私個人としては、今回の殺人事件は彩乃さんたちの責任ではないと思っています。今回のハッキングが起きなくても、川田という男は殺されたような気がします。もっとも、何の根拠も証拠もありません。私の個人的な思い込みかもしれませんが、そんな気がするだけです。中野さんや彩乃さんは、犯人に利用されただけだと思っているんですが証拠はありません」
 猪狩は、ハギレの悪い答えだと感じたが証拠がない以上これ以上のことは言えないと思った。が、気を取り直して、「自殺した相談役にしても、自殺するくらいなら公に出て自分たちの過ちを認めるべきだった。自殺するのは、逃避だと思っています。自殺したおかげで、返って真実が闇に葬られる可能性もあります。彩乃さんたちの、責任ではありません」と、製薬会社の相談役の自殺の件にはきっぱりと否定した。
「そうですか…」
 鈴香は、複雑な顔になった。鈴香にとっても、多くの被害者のためとは言え彩乃が犯罪に手を染めたことに困惑していた。
「そう深く考えないでください。彩乃さんは、あなたにとっては親友ではないですか。それでいいのでは?」
「そう思われますか?」
 猪狩は、鈴香が少し明るい表情をしたことに気がついて、「はい」と、笑顔で答えた。
「そうですよね。彩乃は親友です。それでいいんですね」
 鈴香の答えに、猪狩はほっとした。鈴香は、親友でした。とは言わずに親友です。と、言った。鈴香の心の中では、彩乃はまだ生きているのだろう。そう思うと、少し気が楽になった。
「では、これで失礼します」
 猪狩は、潮時だと感じた。「今までのご協力感謝します」と、言ってから最後に鈴香に向き直った。
「こちらこそ、ブログの修復ありがとうございました」
 鈴香は、修復されたブログを見てから猪狩に礼を言った。
「いやあ。これぐらいのこと」
 猪狩は、笑顔を見せた。

 鈴香は、猪狩が辞去してからすぐに玄関の鍵をかけてそのまま修復されたブログを玄関に立ったまま読み始めた。

『野村鈴香様 薬害法案が廃案ではなくても成立しなかったときのブログの更新』の内容

  薬害法案は、否決されませんでしたが、成立もしませんでした。私は、もうとっくに死んでいますが、まだ多くの方々が、私と同じ苦しみを味わっていることを思うと、国会議員の神経はどうなっているのだろうか? まともな神経を、持ち合わせていないのではないかと思えて残念でなりません。悲しくなってきます。
 新しい薬やワクチンで、誰かが犠牲になっても誰も見向きもしません。しかし、同じ病気が多くなって、薬やワクチンと関係がありそうになるとマスコミが騒ぎ出します。世の中も注目し、政府も渋々? 調査することになります。
 しかしハードルが高く、『因果関係』という訳の分からない理由でほとんどが『薬害』ではないと判断されます。
 仮に薬害が認められても、すべての被害者が救済されるわけではありません。薬害の基準と、いうハードルで選別されます。
 ○○以上。○○年以前、以降などと、政府が勝手に決めたハードルで被害者は翻弄されることになります。それに、財源という人の命より重い? ハードルも存在するようです。
 ほんとうに、それでいいのでしょうか?
 今回は、法案は否決されませんでしたが成立しませんでした。この国の政治家は、いつまでこんな無責任なことを続ければ気が済むのでしょうか? いつになったら、法案が成立するのでしょうか? 一日法案の成立が遅れるだけで、どれだけの人が不幸になるか? それを考えると、いてもたってもいられない気持ちです。
『日本は、民主主義の国ではない。民主主義の形態をとった、官僚の独裁国家だ』と、ある人が言っていたことを思い出します。国が法案を無視した形で何もしないなら、私にできることを行いたいと思います。が、私に何ができるのだろうか? と、考えてしまいます。
 今では、死んだ私に代わっておかあさん私に何ができるか考えて。と、願うことしかできません。
 それから、何の罪もない私たちを苦しめた人たちを、少し困らせてあげたいとも思います。が、本当にそんなことできるのかわかりません。
 薬害法案を見届けたところで、私のブログを終わりにしたいと思います。今までこのブログをご覧くださった皆さん。ありがとうございます。様々な激励や思いやりに満ちた書き込みに、どれだけ勇気づけられたことか。最後に、改めて感謝いたします。ありがとうございました。

 文面は、法案が否決された時と同じような内容だった。法案が否決された時の文章に、手を加えただけのようにも感じた。が、約束した期日に決めることができない政府に対しての怒りが感じられた。
 鈴香は、修復された文面を読んで猪狩の言っていた意味が理解できた。法案が成立しないかぎり、ハッキングは起きたに違いないと確信した。彩乃以外にも、時間が残されていない被害者が多くいるはずだ。その現実に見向きもしないで法案を成立させないなら、廃案も否決も経過審議も彩乃にとっては同じ意味だったのだろう。自分は、彩乃のために、何かしなければならない。いや、何かしたい。と、鈴香は漠然と考えた。が、何を? どうやって? と、自分の幼さを痛感することしかできない自分を恥じた。

 藤田美奈子

  藤田美奈子は、逡巡した結果猪狩が帰ってから数時間後の七時過ぎに野村鈴香の家を訪ねることにした。対応に出た野村鈴香の母に、玄関先で倒れこむようにして土下座をして、「申し訳ありませんでした」と、声を絞り出すのがやっとだった。
 鈴香の母は、咄嗟の美奈子の対応にドギマギして、「とにかく、お上がりください」と言うのがやっとだった。
「いえ。ここで結構です。昨日の夜のニュースで見たんですが、電話するより直接伺った方がいいと思って…」
 美奈子は言ってから少し間をおいて、「娘の行ったことで、御嬢さんに迷惑をかけて…。いや、危険な目に遭わせて申し訳ありませんでした」と言いながらもう一度頭を下げた。
「彩乃のお母さん。上がって」
 美奈子が来たことに気がついて部屋から出てきた鈴香は、美奈子に言ってから母に向かって、「母さん何突っ立ってんのよ、お客様でしょ。コーヒーぐらい入れなさいよ」と、呆れた顔で言った。
「そうね…」
 鈴香の母は鈴香の言葉に、救われた顔になり、「今コーヒー入れますから。ゆっくりしていってください」と言ってリビングの中に入っていった。
「彩乃のしたことで、あなたを危険な目に遭わせてごめんなさい」
 美奈子は、鈴香の母の言葉が聞こえないのか鈴香を見上げながら謝った。
「彩乃のせいじゃないから安心して」
 鈴香は、何もなかったように言った。
 美奈子は、ハッとしてもう一度鈴香を見た。この子は、彩乃のブログを更新してくれただけではなく、危ない目に遭っても私を気遣ってくれる。なんて優しい子なんだろう。

  玄関先で固辞し続けていた美奈子も、やっとリビングに入ってソファに座った。鈴香も、美奈子とテーブルを挿む格好で座った。美奈子は、恐縮して小さくなっていた。
「どうぞ」
 鈴香の母は、コーヒーを入れて美奈子の前のテーブルにゆっくりと置いた。
 美奈子は、鈴香の母が入れてくれたコーヒーのカップを目で追いながら、「アンケートの非に投票した時は、犯罪に問われても甘んじて受けようと思っていました。でも、彩乃のために鈴香さんが事件に巻き込まれるなんて、考えてもいませんでした」と言って、うな垂れた。
「私だって、非に投票したんだから同じです。誰も、こんな事件になるなんて想像もできなかったんです」
 美奈子は、鈴香の言葉に一瞬驚いたが、「そう言ってもらえると、少し気が楽になりました」と、ほっとした顔になった。
「私も、最初はすごく迷惑だと思いましたよ」
 知らないうちに、鈴香の母がコーヒーのカップを持って鈴香の隣に座り美奈子に話しかけてきた。
「母さん!」
「話は、最後まで聞いて」
 母は、鈴香を振り向いてから、「でもね。鈴香に言われたの。私が彩乃さんみたいになったらって…。そうよね。鈴香だって病気になっていたかもしれないじゃない。それを考えると他人事じゃないと思ったの。悪いのは、何もしない政府だと分かったの。私たちは、被害者に違いないけど、あなたや彩乃さんは、政府の無能の被害者ですよね。なら、被害者どうし励まさなければならない。違いますか?」と、美奈子に同意を求めるような言い方をした。
「そう思っていただけますか?」
「ええ。私なら、周りの迷惑なんか考えないかも…」
 母は、言ってから笑った。
「ちょっと待って。そんな…、人騒がせなことをするつもり!?」
 鈴香は、怒りだした。
「母親というものは、そういうものですよね」
 母は、美奈子に同意を求めた。
 美奈子は、二人の会話を聞いていて微笑ましくなって顔をほころばせながら、「母親というものは、そういうものです」と、同意したが、どこか寂しそうな顔になった。

 萩原俊介

 ハッキングを認めた首相や厚生労働省それに第三製薬の対応を見て萩原は、複雑な想いになった。隠蔽体質は、今になっても健在なのだろう。隠せるまで隠して、隠せなくなったらようやく認めるが、誰が考えてもおかしい言い訳を繰り返す。それで終わりにしたつもりだろうが、終わってはいない。
 何故ハッキングの事実を隠したのか、ちゃんとした説明がなされていない。薬害の証拠が隠されていたのだろうか? それとも、ハッキングを認めて、薬害を疑われることを恐れただけなのだろうか?
 今回の事件には、薬害に対する復讐という側面がある。ハッキングの事実を公表してしまうと、薬害に対する世論が形成されて薬害法案を見直さなければならなくなることを恐れたのだろうか?
 いずれにせよ、隠蔽したことが遠因になり、川田という人物の殺人に繋がった。何の関係もない少女が、襲われるという結果になった。いや違う。そんなことで、人を殺すだろうか? 川田を殺したのは、別の理由ではないのか? もしかして、何かを知っていたのか? 知りすぎてしまったために、邪魔になったのではないか?
 考えすぎだろうか? ハッキング事件は解決し、川田という人物の殺人事件も犯人が逮捕された。
 萩原は、まだ終わっていないような気がした。自分に何ができるのか? これから正念場になると、直感した。
 薬害は、事実だろう。『彩乃のおはなし』の最後のブログを見て、萩原は直感した。政府は、認めるのだろうか? 認めたとして責任は、どう取るつもりなのだろうか?
 自分のこれからの記事が少しでも役に立つのなら…。ジャーナリストとしてのこれから何ができるか考える時期が来ているのではないか? 後は、行動するのみだと萩原は結論を出した。

 捜査関係者

  猪狩は、何か釈然としない気持ちを持て余していた。事件は解決したというのに、喜べない自分がいた。犯人は、亡くなっている。詳しい事情が聞けないこともあって、この事件にはまだ何か裏があるのではないかと思われたからだ。
「どうしたんですか? 事件は解決したというのに浮かない顔をして…」
 部下の宮下は、捜査資料を整理する手を休めて怪訝な顔になった。ほかの部下たちは全員帰って、宮下だけが捜査資料を整理していた。今回の事件で行動を共にする機会が多く、前より猪狩が身近に感じられるのだろう、思ったことをそのまま口にした。今までの軽口ではなく、本当に猪狩のことを気にかけている言い方だった。
「何か、釈然としないものを感じているからかな」
「犯人が、死んでいたからですか?」
「それもある。できれば中野という人物から、直接話を聞いてみたいと思ったからだ」
 猪狩は、自分の想いを相手に説明できないもどかしさのようなものを感じた。中野という大学生は、犯人に間違いはないだろう。猪狩は、彼に直接話を聞きたくなった。文章からではなく、実際の彼のほんとうの言葉を聞きたかった。彼は、苦渋の選択をしたのだろう。自分の、死後のことなど分かるはずはない。それでも、彩乃さんのため他にも多くの苦しんでいる同じ病気の人のために、他に選択肢が残されていなかったのか? 止むに止まれぬ、行動だったのかも知れない。それでも、別な形で行動ができたのではないのか? 猪狩には、残念に思えた。
「死人に口なし…、ですか?」
 宮下は、神妙な顔になった。
「それだけではないかもしれない」
 猪狩は、宮下が困惑した顔に変わったのに気がつくと、「まだ何か裏があるかも知れない…。そんな気がしているだけだ。何の根拠も証拠もない」と、宮下に心配をかけないように言ってから笑った。
「だとしたら、政界に関係することでしょうか?」
 宮下は、言ってから、「まさか? 目的を同じくする者に利用されただけ?」と、探る眼を猪狩に向けた。
「彼は、純粋に藤田彩乃さんのことを思ってしたことだろう。しかし政界には、首相を蹴落とそうとする勢力がいることも確かだ」
「そうすると、中野の部屋にあった、場違いな高給なサーバもその勢力が提供したと? なら、納得できますが…」
 宮下は、宮下なりの考えを口にした。
「ああ。まだ他にも、いくつか疑問点も残っている。犯人が死亡しているので、裁判で真実を明らかにすることもできなくなった」
 猪狩は、ため息をついた。
「時間を見つけて、少し探ってみましょうか?」
 宮下にしても、なにか釈然としないものを感じているのだろう。猪狩は、宮下の申し出を嬉しく思いながらも、「ありがとう。そうしてくれると助かる。が、くれぐれも慎重にな。相手は、現役の国会議員だ。それも、有力議員と呼ばれている一人だ。俺は、そんな事はへとも思わないが、上の連中は及び腰になるだろう」と、釘を刺した。今回の捜査で、宮下の熱い一面を垣間見た猪狩は、宮下が暴走しかねないと危惧した。
「分かりました」
 宮下は、素直に同意してくれた。が、疑惑が深くなればどうなるか…。猪狩は少し不安を感じた。今回死人が出たことで、警察関係者といえども身に危険が及ぶ可能性もある。いや、警察関係者だからこそ、かえって危ないかも知れない。
猪狩は、時刻が9時を過ぎていることに気がついて、「キリがついたら、今日は終わりにしよう」と宮下に声をかけた。

  松木は、大崎を撮ったビデオを見ながら、「何で俺は、こんないけ好かない奴のビデオを見なきゃならないんだ?」と、呟いた。
「犯人は、犯行を認めているんですよ。いまさらビデオを見たって…」
 部下の近藤は、呆れた顔をした。
「大崎は、何かを隠していると思わないか?」
「そうですね。クリスマスプレゼントで犯人が自首すると言ったら、うろたえました。犯人が死んでいることを、知っているのかとも勘ぐりましたが…」
 近藤は、その時のことを思い出しながら答えた。「単に、驚いただけかも知れません」と、何かを隠しているとは断言できなかった。
「もし、犯人が中野だと、知っていたとすると?」
「今回の事件は、死んだ中野が自首することはできませんし、ハッキングの犯人を特定することも困難ですし、死んだ中野の代わりに川田がやったことにすれば、自殺した信憑性が増すかもしれませんね」
 近藤は、言ったが、「でも、殺人教唆した森田は、どちらかというとハッキングの被害者という立場です。大崎が知っていたとなると、森田も知っていたと考えるべきです。いや、森田は知らなくて、大崎だけが知っていた? どちらにしても、つじつまが合わないような気がしますが」と、困惑した顔になった。
「黒幕がいると考えると?」
 松木の言葉に近藤は困惑しながら、「黒幕? 誰です? まだ裏があるとでも?」と、途方にくれる顔になった。
「それは俺にも分からない。ただそんな気がするだけだ」
「分かりました。今日の取り調べで、少し揺さぶってみます」
 近藤は、言った。が、松木にはそう易々と白状するとは思えなかった。
「ああ。そうしてくれ、くれぐれも、誘導尋問にならないように気を付けてくれ」
 松木は、念のために声をかけた。が、成果があるとは思えなかった。大崎は、ただのチンピラではないように思えたからだ。他に何か理由があるというのか?
「分かりました」
 近藤は返事をしてから田中に、「取り調べに行くぞ」と声をかけた。

  近藤のゆさぶりにも、大崎は動じなかった。あっさりと川田殺害を認めた大崎とは、別人に思えた。ふてぶてしい態度で、「知らない」を、繰り返していた。近藤にはふてぶてしい態度の大崎が本当の大崎の姿に思えた。ではなぜ? 川田殺害を、あっさりと認めたのだろうか? 言い訳や嘘のアリバイで、我々を困らせることもできたはずだ。何故? やはり、何か裏があるのか? それとも黒幕がいて、何かをたくらんでいるということなのだろうか? 近藤は、松木に報告しながら空恐ろしいものを感じた。

 政界有力者と、ブレーン

 「これで、貴方の時代になりますよ」
 ブレーンの男は、意味深な笑い顔を作ったが目だけは笑っていなかった。
「そうだといいが…」
 有力者は、心から安心してはいなかった。目の上のたんこぶが一つ取り除かれたに過ぎない。まだ、必死にしがみ付こうとしている。
「何をためらっているのですか? 総理は、もう国民の信頼だけではなく、党の求心力も失ってしまった」
 男は、少しじれったいような顔になった。
「あまりに事がうまくいきすぎたので、少し慎重になっているだけかも知れない」
 有力者の男は、あくまで慎重な態度を崩さなかった。「森田は、大丈夫だろうな」と、気になることに話題を変えた。
「森田も、それは承知のことですから。彼が服役している間の面倒は見るという約束です」
「君は、約束を守るつもりか?」
 有力者は、少し意地悪な質問をした。
「もちろんですよ」
 ブレーンは、ためらうことなく答えた。

 有力者は、怪訝な顔をした。それを察したブレーンは、「下手に約束を反故にすれば、時限爆弾になりかねません…。森田の出所した後に厄介になります。二時間ミステリーのようには、なりたくないですからね」と、本音を漏らした。
「君らしくもない。そんな犯罪者の言葉は誰も信じないだろう。それに、君なら社会的だけでなく物理的に抹殺することは朝飯前のはずだ」
「アリの一穴という事もありますから…。今は、あくまで慎重に行動すべきです」
「でも、負担は馬鹿にならない」
 有力者は、ため息交じりに答えた。
「これからのことを考えるとそんな負担は、微々たるものです」
 ブレーンは、涼しい顔で答えた。
「せっかく森田が捕まったというのに、総理が殺人教唆で取り調べを受けないのは残念だ」
「実際、森田の独断で行ったことですから…」
 男は、歯切れの悪い言い方をした。森田の殺人教唆を、煽ったのはブレーンの男だった。万が一の時は、あとの家族の面倒は見るからといった手前万が一となった今は、実行するべきだと考えていた。それは、自分が約束を守るというより自分の保身と後々の保険になると考えたからだ。
「しかし、おしいな」
 有力者は、残念そうな顔をした。
「下手に総理の指示があったと言ったら、事実関係を捜査されて総理の潔白が証明されかねません。今のままでいいのです。それに、返って、我々に疑惑の目が向けられるかもしれません」
 ブレーンは、何で今更という顔になった。何度も、有力者に言ってきたことだ。早急に事を運ぼうとすると、とんでもないところからぼろが出る。「秘書が独断で行ったといっても有権者は、疑惑を持つでしょう。返ってこの方が、これからの対応もやりやすくなるというものです」と、有力者の機嫌を損ねないような言い方で納得させようとした。ブレーンは、言ってから笑った。それで、自分に自信があると思わせることができる、と。

「森田はいいとして、大崎という男は信用できるのか?」
 有力者は、得体の知れないチンピラのことを尋ねた。
「あいつは信用できません。が、今回殺人事件で人を一人殺しただけですから。死刑にはならないでしょう。有期刑になってまともに勤め上げれば十年ぐらいで戻ってこれるかもしれません」
「君は、何が言いたいのか?」
 有力者は、ちぐはぐな答えを口にしたブレーンを怪訝な顔で見つめた。
「あいつがまともに逮捕されていれば、もうとっくに死刑になっているということです」
「まさか? 君が手を回して?」
「はい。今まで逮捕歴がないのは、私の働きがあったからです。おかげで四苦八苦しましたが、あいつはそれに見合うだけのことをやってくれました」
「君に恩義を感じているから、大丈夫だと言いたいのかね?」
「いいえ。まあ、出所後に我々に手を焼かせればどうなるかぐらいのことは、分かっているようですから」
「君は、策士だな。それに、驚くほど慎重だ。少し慎重すぎるような気もするが…」
 有力者は、そこでこれ以上尋ねる気をなくした。まだ、隠し球があるのだろう。それに森田や大崎を殺せば、いずれ自分たちのところに捜査が及ぶ可能性も考えてのことだろう。
「慎重すぎる方がいいんです」
 ブレーンは、わざとらしく笑った。

「話は変わるが、中野とかいう大学生。君の、目の付け所は素晴らしい」
「恐れ入ります」
 ブレーンは、取ってつけたように礼を言った。「二人(中野洋介と藤田彩乃)とも、後がなかったんです。私が少し情報を与えたら、中野はその気になっただけですよ」
 ブレーンは、わざと謙遜して見せた。
「しかし、馬鹿では今回のことはできなかっただろう。惜しい人物をなくしたのかも知れない」
 有力者は、余裕の表情になったが、「まさか、我々のことに感づいて、今回のようなことにはならないだろうね」と、不安に思っていることを尋ねた。
「もう、死んでしまったんですよ。何もできません。万が一、今回と同じことをしようと思っても、我々をハッキングすることはできません。なんせ、ウイルスを作ったのは我々ですから。もちろん、実際に作ったのは川田(健太)ですから。防御策は万全です」

「君が、川田を殺させたのには驚いた。おかげで大騒ぎになった」
 有力者は、笑った。
「そのうち、消えてもらうつもりでしたから…。うっとうしい存在でしたから。秘密を知りすぎ、最近では必要以上に(金を)吹っかけられました。それに、ウイルスのことが発覚すればたまったものじゃない。森田は、捕まってもらう必要がありましたが、川田は、捕まってもらうわけにはいかない。それに今回総理には、隠蔽するという口実がありましたから、総理に代わって始末してあげたまでです」
「一石二鳥。いや三鳥にもなったわけだ」
 有力者は、言ってから今までの疑問が晴れたのか、大声で笑い出した。
「ところで、第三製薬の何て名前だったかな…」
 有力者は、真顔になってもう一つのことをブレーンから聞き出そうとしたが名前を思い出せなかった。
「相談役の、篠崎祐一の自殺のことですか?」
 ブレーンは、有力者が言いたいことが分かった。
「そんな名前だったな。自殺には驚いたな。ところで、遺書があったのではないか?」
 有力者は、驚いた顔をしたがそれには訳があった。報道では遺書はなかったことになっているが、篠崎祐一は遺書を書いていた。薬害関係の事実が書かれていた遺書を見て驚いた家族が、ブレーンのもとに遺書を届けたのを知っていたからだ。ブレーンは何も語らなかったが、遺書がどうなったか気になってわざと尋ねた。
「しかるべきところに、ちゃんと保管してあります」
「保管? そんな危ないものは、早く始末するんだな」
「いや、保険ですよ。保険。何かあった時に、役に立つというものです」
 ブレーンの言葉に有力者は、驚きを通り越して呆れた。この男は、何を考えているというのだ?

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