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ブービートラップ 10.沈黙

解説

 第26回小説すばる新人賞に応募した作品です。
 一次選考にすら漏れましたが、選考に漏れた作品がどれだけ世間に通用するか? そんな想いでnoteに投稿することにしました。
 
再度内容を見直し(推敲)ています。誤字脱字それに言い回しを変えて、順次公開いたします。

目次

プロローグ に戻る
1.鉄槌
2.ハッカー
3.マスコミ

4.サイバー犯罪対策課
5.藤田美奈子/6.中野洋介/7.野村鈴香
8.ジレンマ/9.報道 に戻る
10.沈黙(このページ)

11.予期せぬ出来事 次章
12.自殺か殺人か?
13.死せる孔明/14.巨悪
15.贖罪/16.様々な想い
エピローグ

10.沈黙

  犯行声明が送られてきてから様々な報道がなされたが、犯人は沈黙したままだった。
 ある日の夜、残業で資料の整理をしていた宮下は、戻って来た猪狩に、「犯人は沈黙したままです。おかしいと思いませんか?」と、自分の思っていることを正直に尋ねることにした。
 猪狩は自分の机の前で宮下に振り返ると、「お前もそう思うか?」と少し驚いた顔になった。
「はい。マスコミが、過剰な報道を始めたのに、被害者であるはずの首相事務所などはあくまで被害を認めようとしないんです。私が犯人なら、もう一度ハッキングするとか、マスコミや警察にハッキングは事実だと反論のメッセージぐらい送ります」
 宮下は、納得いかない顔になった。
「そうだな」
 猪狩は同意したが、「もし、愉快犯だとしたら?」と、宮下がどう答えるか気になり尋ねた。
「そうですね。愉快犯だとしても、マスコミや警察に何らかのメッセージは出すでしょう」
 宮下は、言ってから、「班長は、単なる愉快犯だと思っているんですか?」と、猪狩の問いかけに疑問を持った。
「いや、あらゆる可能性を視野に入れておかなければいけないと思っているだけだ」
 猪狩は、あくまで慎重だった。どちらにしても、犯行声明で世間は混乱している。我々は、少しでも早く犯人を検挙しなければならない。という気持ちと、何故犯人は世間が騒いでいるのに沈黙しているのか? いったい何故だ? という想いが頭の中で渦巻いていた。

 「ですから、一言コメントを頂けないでしょうか?」
 週刊サンデーの記者は美奈子の部屋の前で、ドア越しに食いついたがどこか有無を言わさぬ言い方だった。記者の手には、小さなレコーダーが握られていた。
 美奈子は、帰宅直後の記者の訪問に少しほっとしていた。帰宅前に道やアパートの廊下で捕まっていれば、もっと厄介なことになるだろう。「私の娘は、もう亡くなっています。そっとしておいてください」と美奈子は、無駄な抵抗を試みた。それでも、ドア越しという現実が美奈子には救いになった。あまりしつこい様だったら警察に通報することも考えていた。
「それが、今回のハッキング事件で、御嬢さんの関係者が犯人だという噂がありますが…」
「それは、あなた方が勝手に決めつけただけではありませんか? もしそうなら、私のところに来る前に他に行くところがあるでしょ」
 記者は、痛いところを突かれたと思った。警察に行けということだろう。しかし、おとなしく帰るつもりはなかった。少しでもコメントを取って…。いや、今日のところはおとなしく帰って、美奈子の発言を大げさに記事にすれば体裁は整えられるか? と、締め切りを気にしだした。
「警察の捜査も進展していないようです」
 記者は、美奈子に答えると反応を窺った。ドアの中からは、何の反応もなかった。記者は、「何か情報を掴んだらまた伺います」と言って、帰ることにした。
 他の週刊誌より締切が遅い週刊サンデーの記者は、少しでも他社より詳しい記事を書く必要に迫られていた。美奈子がドアすら開けないのは、以前少し過激な記事を書いたからなのだろう。と、思ってはいたが、そんなことを気にしていては週刊誌の記者は務まらない。売れてなんぼの世界だ。
 記者が階段を降りた時、一台の中継車がアパートの前に止まるのが見えた。やれやれ、敵は多そうだ。記者は、カメラを担いで降りてきたテレビ局のクルーを一瞥して、これから美奈子の少ないコメントをどう膨らませれば読者が食らいつくか考えることに集中しようとした。どうせ、あいつらも相手にされないだけだ。ご苦労なことだ。と、ほくそ笑んだ。

  テレビ局のクルーたちはごく自然に当たり前のように、カメラを抱えて階段を藤田美奈子の部屋目指して昇っていった。
「準備できてる?」
 レポーターの問いかけにカメラマンは、「バッチリです」と答えた。
 レポーターは、女性ながら突撃取材で有名な小泉秋乃だった。彼女は、就活に出かけるような紺色のスーツを着ていた。自分が目立たないようにという配慮だった。
 小泉は、マイクを片手にテレビカメラに向き直ると、今回の犯行声明文の説明を手短に行って、「薬害被害女性の親族に、これから取材を試みます」と言って、美奈子の部屋のチャイムを鳴らした。
「はい」
 何も知らない美奈子は、ドアを少し開けてテレビカメラが自分に向いていることに少したじろいだ。
「藤田彩乃さんのお母様ですね。今回の犯行声明について多少お伺いしたいのですが」
 レポーターの女性は、丁寧な言葉を使ったが、どこか有無を言わさない傲慢な態度が見て取れた。
 自分に向けられたマイクを一瞥した美奈子は、怒りを通り越してマスコミに呆れた。この人種は、ハイエナのように人の不幸を餌にしているのではないか? いや、そうに違いない。

 美奈子が無言でいるのを突然の訪問で戸惑ったと思った小泉は、「突然伺って申し訳ありません。しかし、視聴者は、真実を知りたいのです。何かご存知であればお聞かせください」と、決めゼリフを言ってしまった。この言葉は、危険であることは彼女自身嫌というほどわかっていた。なぜなら、取材対象者に視聴者は関係ない。ただ、そっとして欲しい。それが本音だからだ。小泉は、それでいいと考えていた。少なくともその本音さえ吐露してもらえば、後の自分のコメントでこの場は取り繕うことができる。何かコメントが貰えれば、より真実に近づけるというものだ。

美奈子は、あまりのバカバカしさに思わずふっと笑ってしまった。
「どうしました?」
 訝しい顔をする小泉に美奈子は、「あなたたちが、こんなバカバカしいことをやっていると思うとつい可笑しくなって」と、小泉に言った。
「バカバカしいとは?」
 小泉は、呆気にとられて思わずオウム返しに尋ねた。どこか自分が、侮辱されているようで少し敵意を表した顔になった。
「視聴者が、真実を知りたがっている? ワイドショーを見ている人たちは、真実を知りたがっているわけじゃないでしょう。ただ、好奇心を満たしたいだけのはず。あなたにしても、真実より視聴率の方が大切なのでは? 視聴率につながらない真実には、目も向けないのではないでしょうか?」
 美奈子は、言ってから小泉を見た。
 小泉は、不本意だという顔になった。そんなことは考えたことはない。自分は、今まで真実しか報道していない。と、反論しようと思った。が、自分が興味を持った内容を考えると、美奈子が言ったことが当たっているかもしれないと思えてきた。
「そうかも知れません」
 小泉の答えに、あくまで否定して自分の考えを押し付けてくるかと思った美奈子は呆気にとられた。
「でも、私は、視聴者の好奇心を満たすだけにこの仕事をやっている訳ではありません。それが、視聴者の好奇心を満たさない内容であっても、あくまで真実を伝えたいだけなんです。それに、人権や取材者に対しての配慮も考えています」
 小泉の言葉に、美奈子は嘘がないと直感した。しかし、独りよがりになるのではないかと危惧もされた。

「分かりました。私の知っていることは、お話しします」
 美奈子は言ってから、小泉たちを招き入れた。美奈子にとっても、これは一つの賭けだった。自分の思い通りの報道を、してもらうつもりはなかった。明日は、美奈子の休日だ。恐らく明日放映するのだろう。小泉がどう報道するのか見届けたい気持ちもあって、美奈子に小泉を招き入れさせた。
 小泉は、思わぬ展開に驚いた。門前払いを食らうと思い次の予定を入れていたが、ここは美奈子の想いを尊重するべきだと思い直し、「お邪魔します」と言って、美奈子の部屋に入っていった。 

 翌日、美奈子のアパートの近くには、昨日とは違うテレビ局の中継車が止まっていた。ワイドショーだろう。中継車は無人だった。萩原が時計を見ると、午後二時を回っていた。恐らく遅い昼食を兼ねて、どこかで取材の打ち合わせでもしているのだろう。無人の車を一瞥した萩原は、美奈子が好むと好まざるとに関わらず渦中の人物になったことを思い知らされた。
 萩原俊介は、藤田美奈子のアパートの前までやって来るとため息をついた。美奈子のシフトが変わっていなければ、今日が休みのはずだ。事前にアポを取ることも考えたが、電話で断られればそれで終わりになる。と、アポなしで来ることにした。

 編集長に、追記取材を認めさせたがいざ美奈子のアパートの前まで来ると少しためらいを感じた。彼女は、傷ついているに違いない。事実他の週刊誌は、藤田彩乃の関係者が今回の事件を起こしたと決め付けている記事を書いている。その傷に、塩を塗るようなことにならないのだろうか? それに無人の中継車。あと少しすれば、テレビのクルーが迷惑を顧みず押し寄せてくるに違いない。
 ジャーナリストは、真実を報道するのだと日頃から思っている萩原は、自分だけでもまともな記事を書こうと、迷いを払拭するように自分に気合を入れて藤田美奈子の部屋を目指した。
 藤田美奈子は、その日休日だった。萩原の週刊誌の名前を聞いて少し逡巡しているかの間を取ったものの、ドアは開かれて萩原を招き入れてくれた。

 美奈子は、萩原のことを覚えていてくれていた。以前、彩乃のことで様々な週刊誌の記者に真摯に対応していた美奈子も、週刊誌が発売されて自分の語ったこととかけ離れた記事になっていたことには、驚きを通り越して呆れ次に怒りが湧いてきた。ただ週間トップだけが、自分の語ったことをそのまま記事にしてくれた。もちろん、美奈子に不利な内容も載せていた。美奈子には、他の週刊誌と違い公平な記事に思えた。そんな想いが、萩原を招き入れる結果となった。
 週刊誌の記者ながらジャーナリストを自負していた萩原は、美奈子の言葉以外のことを記事にすることはできなかった。それは、一面当然のことのように思える。しかし、取材者の言葉のみを、記事にすることは偏った報道になる危惧もある。萩原が、敢えて危険を冒して記事にしたのには訳があった。
 一つは、他の週刊誌が確たる裏付けをしないで読者の興味本位を煽ることのみの記事になっていたこと。
 もう一つは、美奈子の真摯な態度が萩原に信頼を与えたこと。
 最後に、確たる裏付けがない以上一般人を必要以上に傷つけたくないという想いからだった。

 「お久しぶりです」
 萩原は、そう言って頭を下げた。
「そうですね。半年ぶりでしょうか」
 美奈子は言ってから、萩原に席を勧めた。
 萩原は、椅子に座るなり、「早速ですが、ハッキング事件の件で伺いました」と、単刀直入で来意を告げた。
「そうですよね」
 美奈子は、納得した。「他の週刊誌の記者は、何社かお見えになりました」と、言って顔を曇らせた。
 萩原は、美奈子の顔色で事件発生以後に美奈子がどんな思いをしていたのか察しがついた。「話をされたのですか?」先起こされたか? と、少し不安がよぎった。
「いえ。お引き取り願いました。でも、レポーターの小泉さんには、少し話をしました」
 美奈子は、その時のことを思い出したのか複雑な顔になった。
「返って、あなたに不利な記事になるかもしれませんよ」
 萩原は、危惧した。一部の記者たちは、報道の自由と称して報復の意味を込めて勝手に主観的な思い込みで美奈子に不利な記事を書くだろう。と、思った。だから、週刊誌は読者から見放されるのだとも思った。「それに、テレビは映像を流すだけに信憑性があります。但し、貴方のすべての言葉を伝えてくれるとは限りません」と、テレビの危うさを危惧した。テレビは、画面に映るから活字より信憑性があるように思われがちだ。しかし、テレビ局の思わくや時間の制約もあって、取材者のすべての言葉を伝えてはくれない。

「そうかも知れません。でも、私は、何も知らないのですから。答えようがありません」
 美奈子は、肩を落とした。が、「でも、真実を報道していただけるなら、お話をしてもいいと思い直したんです」と、萩原に一縷の望みを抱いているような口ぶりになった。
「真実とは?」
 萩原は、犯人の心当たりでもあるのですか? という言葉を呑み込んだ。そんなはずはない。警察が捜査に乗り出したようだが、まだ捜査は進展していないはずだ。返って迂闊な事を聞くわけにはいかない。美奈子の事だから、警察が来たら自分の知っていることは話すだろう。いや、もう話したかもしれない。
 萩原は、レコーダーを取り出して美奈子の同意を取ると、スイッチを押してから、「貴方のご存知のことがあったら、なんでも構いませんから教えてください」と、言った。

「娘のブログを見ていた時のことしか話ようがないのですから…」
 美奈子は、そこで言葉を切って少し間を置いた。小泉にも話したように、萩原にも話すべきだと考えて、「娘のブログを見ていたら、おかしな画面が出てきたんです。『愚かな、為政者の仮面を被った詐欺師への鉄槌』と書かれていました」と、その時のことを話し始めた。
「愚かな、為政者の仮面を被った詐欺師への鉄槌?」
 萩原は、思わずおうむ返しに尋ねた。
 美奈子は、猪狩たちに語ったように美奈子の言葉でいきさつを説明した。
「そうですか…」
 萩原は、腕を組んだ。
「きっと、彩乃の知り合いの一人がやってくれたんだと思っています。誰かは、私にもわかりません」
 美奈子は、言ってから複雑な顔をした。
「貴方は、犯罪を肯定するのですか?」
 萩原は、美奈子の態度に驚いた。萩原の知っている美奈子は、娘を失った不幸な女性に過ぎなかった。犯罪とは、無関係な女性のはずだ。
「肯定するつもりはありません。但し、裁かれない悪を暴くためには、多少の犯罪もやむを得ないと思ったからです。警察の方にも、犯罪になるなら甘んじて受けますと言いました」

「警察が来たのですか?」
 萩原には、警察が彩乃の関係者を事情聴取したかもしれないとは思っていた。驚きはしなかった。
「はい。新聞に載る前に。犯行声明があった次の日にお見えになりました」
「貴方は、ハッキングが事実だと思っていますか?」
「はい」
 美奈子は、即座に答えた。それでも確証がないことを嫌というほど知っている美奈子は、「別に、証拠があるというのではありません。ただ、薬害法案が是か非かというアンケートの画面が出たんです。そんな手の込んだことを単なる愉快犯がしますか?」と、萩原に尋ねた。
「そんな画面が出たんですか?」
 萩原は、驚いて美奈子の顔を見た。
 美奈子は、萩原のために経緯を語りだした。
 萩原は、美奈子の話を一通り聞いた後で、「御嬢さんのブログで、そんな画面が出たのなら、御嬢さんの友人か近しい人、そうでなければ、悪意を持って御嬢さんのブログを乗っ取ったと考えられますね」と言って腕を組み直した。

  一通り取材を終えた萩原は帰り際に、「近くにテレビ局の中継車が停っていました」と、美奈子に告げた。もう少しするとアポなしで、人の迷惑も考えずにやって来ることだろう。もっとも、俺もそうだったが…。少しでも、美奈子の負担を減らそうとする萩原の配慮だった。
「そうですか」
 美奈子は、別に驚いた顔はせず、「こんなおばさんに…。テレビ局ってよっぽど暇なんですね」と言って笑った。
 萩原は、美奈子の言葉に驚いた。この人は、なんて強い人なんだ。と舌を巻いた。いや、そうではないだろう。一連の報道や娘の死によって、強くなければ生きてこれなかったのだろう。
 迷惑ではないんですか? と、尋ねようとして愚問だと気付かされた萩原は、それでも、「迷惑ではないんですか?」と、尋ねずにはいられなかった。
「迷惑ですよ。あることないこと、それに私が思ってもいないことが書かれてあったり、テレビで流れるんですから。それに、あまりひどいことが書かれてあると、仕事ができなくなるかも知れません。でも、そんなことにいちいち一喜一憂していたら生きていけません」
 美奈子は、それが生活の一部になっているかのような口ぶりになった。「違いますか?」と、逆に複雑な顔になった萩原に尋ねた。
「そうですね。」
 萩原は、自分の不用意な記事で多くの人が傷つけられるかもしれないといまさらのように思い知らされて、「私だけでも、ジャーナリストを貫いて、まともな記事を書きたいと思っています」と、襟を正した。

「ジャーナリストですか?」
 美奈子は、驚いた顔になった。
「週刊誌の記者がジャーナリストでは、おかしいですか?」
 萩原は、知らないうちに厳しい顔になっていた。
「いえ。少し驚いたものですから」
 美奈子は、言ってから視線を落として、「あなたのような人が、もう少しいてくれたら彩乃も苦しまずに済んだのかも知れません」と言ってため息をついた。
 萩原は、そうなのだろう。と、漠然と考えた。社会に出るときは、ジャーナリストを目指していた記者も、社会の現実や自分たちの置かれている立場からジャーナリストとはかけ離れた記事を書くようになる。俺は、それが嫌だった。ただそれだけだ。「私は、おかしいのでしょうか?」と、自然と口から出た。
「いえ。あなたはまともだと思います。世間が狂っているだけなんですから。気にしないで自分の意志を貫いてください」
「ありがとうございます」
 萩原は、礼を言ってから、「これで失礼します」と言って頭を下げた。

 テレビ局は、萩原が去って数分してやって来た。「何か知っていることがあれば、取材に応じるのが義務ではありませんか? それほど重大な事件なんです」というレポーターの上から目線の不用意な言葉で、美奈子にドアを開けさせる。いや、対応させる気力もなくさせた。
 ただ一言だけドア越しで、「あなたたちは、それほど偉いお方なんですね。お引き取りください」と皮肉を言って、食い下がるレポーターを無視することにした。

「今回のハッキング犯行声明に対して、我々は渦中の女性に取材することができました」
 小泉秋乃は、少し得意な顔になった。
「それは、薬害で亡くなった高校生の親族ですか?」
 司会者は、敢えて薬害という言葉を使って尋ねた。薬害法案は、廃案になった。薬害であることは、関係者のみならず素人でも分かることである。その想いから司会者は、薬害という言葉を使った。『高校生の親族』が、藤田美奈子であるということも当然知っていた。マスコミや関係者それに、『彩乃のおはなし』を閲覧している人には、誰か分かっていることである。プライバシーに関することで、一般人の名前を電波に乗せるわけにはいかず、名前の代わりに親族という言葉になった。
「はい。薬害法案は呆気なく否決されましたが、政府の今までの対応を見ていると薬害であることは明らかです。ハッキングの犯人は、今回の薬害法案廃案を受けて犯行を行なった可能性が強くなりました」
 小泉の言葉に、ある程度気がついていたコメンテーターの一人は、「何か根拠があるのですか?」と、尋ねた。
「渦中の女性から、薬害法案が廃案になった翌日に、廃案に対するアンケート画面が出たという情報を得ました」
 スタジオは、一瞬どよめいた。廃案に対するアンケート? そんな物があったのか?
「アンケート画面は、薬害法案が否決したことに鉄槌を加える。廃案に対して、政府の対応は是か非か、アンケートを取った上で最終決定をするという内容でした」
「渦中の女性は、どうしたんですか?」
小泉は、少し躊躇したが、「アンケートの、非に投票したそうです」と、聞いたままを伝えた。

「それが、犯罪に繋がるかもしれないと考えなかったんですか?」
 コメンテーターの一人で、容赦ない言動が売りの弁護士斉藤が、勢いづいて一刀両断に切った。
「事情聴取に来た刑事にも、犯罪に繋がるか尋ねたそうです」
「で、渦中の女性はどう思っていたんですか?」
 司会者は、コメンテーターの代わりに尋ねた。このまま、コメンテーターの辛辣な言動を許すわけにはいかなかった。
「彼女は、『罪になるなら、甘んじて罰を受けます。原因を作った政府や製薬会社にも、責任を取ってもらいます』と、答えたそうです」
「そこまでの覚悟があったのですか」
 司会者はしみじみとした口ぶりだったが、小泉には、単なる受け答えにしか聞こえなかった。安易に口に出しただけだと…。
「それは、詭弁ですよ。きれいごとを言っていても、単なる復讐に過ぎない。復讐は良くないのでは?」
 コメンテーターの斉藤は、怒りだした。

「あなたは、正論を言っているかも知れないが、薬害法案は廃案になったんですよ。巨悪は裁かれないで、アンケートに投票しただけの一般女性を責めるのはお門違いではないでしょうか」
 もう一人のコメンテーターで、系列の大朝新聞編集委員の新谷は、斉藤に異を唱えた。
「そんな復讐をするなら、世論に訴えて薬害を明らかにするのが本来の姿のはずです」
 斉藤も負けてはいなかった。

  テレビを見ていた藤田美奈子は、いつものテレビの展開にため息をついた。自分の想いを、小泉は分かってくれた。しかし、ワイドショーで報道されると、勝手に自分の発言がコメンテーターという有識者然とした人種に掻き消されて自分の本意とかけ離れた結論にもっていかれる。テレビは、本質的なことより自分が行ったアンケートの投票というどうでもいいことを議論し始めた。テレビを見るのをやめようと思った時に、小泉の新たな発言におや? と、興味を抱いた。

「我々の取材に普通の対応は、取材を避けるか迷惑だと怒るだけですが、彼女は違いました。今回の取材で、我々の取材…、いやマスコミの取材の行き過ぎなど、取材姿勢に関して渦中の女性から指摘がありました。我々は、この指摘を真摯に受け止め、これからの取材姿勢を見直す必要があると考え異例ではありますが一部始終を放送します」
 小泉は、そこまで言ってから、「音声は、プライバシーを守る観点から音声を変えております」と、続けた。それから、画面が変わり美奈子の首から下が画面に映し出された。
 美奈子は、その画面を驚きをもって見た。テレビで、そんなことができるのか?
 画面は、美奈子が小泉を自宅に招き入れる前のやり取りがすべて流された。

「何ですか? この映像は? 本題からずれています。我々は、ハッキング事件を報道しているのですよ!」
 斉藤は、声を荒げた。
「では、お尋ねします。渦中の女性がアンケートに投票したのを復讐だとおっしゃいましたが、ハッキング事件の本題から外れてはいませんか? 他にも多くの人が非に投票しているのです。興味本位だけの人も多くいたのでは? 彼女だけを責めるのはお門違いです。本来なら、ハッキングと薬害について報道するはずなのに、我々は、本来の目的を失って興味本位の事柄にとらわれていませんか?」
 小泉は、臆することもなく堂々と発言した。
「そうかもしれない。しかし、薬害はハードルが高いし、ハッキング事件も何も分かっていない。なら、関係者から事情を聴くのが最良ではないのか?」
 斉藤は、少し落ち着いたのかそれとも小泉の臆することのない態度に動じたのか、少し話のトーンが下がった。

「だったら、何をしてもいいというのですか? 情報を提供された相手の、あることないことを報道していいものでしょうか?」
 小泉の発言に、斉藤は初めて首をすくめた。
「この映像の女性だけではありません。他にも、我々の行き過ぎた取材で傷ついた、名誉を傷つけられた人も多くいることでしょう。我々は、自戒の念を込めてこの映像を流させていただきました」
 小泉は、美奈子とのやり取りを流した理由を語った。
「我々はマスコミの一員として、行き過ぎた取材や取材対象者の名誉を傷つけないように配慮することを肝に銘じるべきです」
 新谷は、小泉の発言を擁護するような口ぶりになったが、カメラの映像が他の出演者に変わったのが分かると横目で小泉を睨みつけることも忘れてはいなかった。小泉は、新谷の目が何を意味しているのか理解した。気持ちはわかるが少しやりすぎだぞ。と、その目は言っていた。

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