映画『カモン カモン』で引用される書籍などの不完全なリスト
noteに書くのは久しぶり。
エディタ画面がだいぶ変わりましたね。
あいかわらず映画をよく観ているのだが、先日観たホアキン・フェニックス主演の映画『カモン カモン』が、今年の暫定的ベストと言ってよいほどに素晴らしかった。
『フレンチ・ディスパッチ』も『アネット』も『ザ・バットマン』も良かったですよ。
どれも「あのシーンはどういう意味だったんだろう?」「あの台詞の意図は?」と観劇のあともずっと思索に耽らせる映画だった。
でもそれって、作家性に関わるところの話なのだ。
『カモン カモン』の余韻はそうじゃなかった。
思いをめぐらすのは、監督の意図やメッセージ以前のところ。
スクリーンに映し出される役者の魅力的な演技と、そこから発せられる「語りの内容」そのものに、しばらく思いを巡らせることになるのだ。
映画のあらすじや人物関係については公式ページやいろんな特集記事を見ていただくとして、この『カモン カモン』では、物語中にその内容に深く関連する引用がいくつか登場する。
書籍名などは字幕で表示されるのだが、これが一瞬のことなので、映画館にメモでも持ち込んでないかぎりとても覚えきれない。
パンフレットに載っているだろうと思って、後日別の映画館で買ってきたのだが(ぼくが観たシネコンでは売り切れていた)、それにも載っていなかった。
しょうがないので、公開されている脚本を検索して、ダウンロードする。
そうしてようやくそれぞれの出典がわかった。
せっかく見つけたのだ、同じようにこの映画をより深く味わいたいという方のために、noteに情報を残しておこうと思う。
まず最初に登場するのは、双極性障害を持った母熊のことを理解しようとする子熊の奮闘を描いた物語。
アンジェラ・ホロウェイ 『双極熊の家族』
Angela Holloway “The Bipolar Bear Family: When a Parent Has Bipolar Disorder”
『カモン カモン』に登場する9歳の少年ジェシーは、音楽家の父が双極性障害を負っていて、自分自身も大きくなったら父親のようになるのでは?という根源的な不安を抱えている。
「どうして奥さんと別れたの?」と質問するジェシーに、「長いあいだいっしょにいると、自分と相手の境界線があいまいになる。でもお互いを幸せにすることができなくなるんだ。そうしたいと思っていても」と答えるのが、ホアキン・フェニックス演じる伯父のジョニー。
「いい夢を見ろよ」と言ってジェシーを寝かしつけたジョニーが、ベッドサイドで見つけるのが、この『The Bipolar Bear Family: When a Parent Has Bipolar Disorder』だ。
本書は、双極性障害の親を持つ子どもたちが抱えている「親がこうなってしまったのは自分のせいなの?」「この症状は自分にも遺伝するの?」といったさまざまな問いに答えてくれるという。
ジャクリーン・ローズ 『母親たち』
Jacqueline Rose “Mothers: An Essay on Love and Cruelty”
妹ヴィヴの代わりにサンフランシスコでジェシーの面倒を見ていたジョニーだが、どうしても仕事でニューヨークに帰らなければならなくなる。
そこで彼は妹に電話をかけ、ジェシーをニューヨークに連れて行く許可をとろうとする。
執拗に反対する妹。
それは仕事のあいだに放っておかれてしまうであろう息子を案じてのことだ。
母親が子どもに対して抱いている普遍的で複雑な感情が伝わる、そんな一連のシークェンスのあとで、ジョニーが妹の部屋で見つけるのが、この『Mothers: An Essay on Love and Cruelty』だ。
彼は本書を手にとり、読みはじめる。
子育てという過酷なミッションが、いかに母親に丸投げされているかに気づかされるジョニー。
このモノローグのあと、ジェシーのために万全の準備を整えることを妹に約束して、物語の舞台はロサンゼルスからニューヨークへと移っていく。
このジョニーの朗読、そして副題からもわかるとおり、本書『Mothers: An Essay on Love and Cruelty』は母親の愛情と母性の残酷さについて思索をまとめた一冊だ。
ロアルド・ダールによる児童文学『マチルダは小さな大天才』から、古代世界における母性についての考察、そしてイギリスにおけるシングルマザーへの偏見についての考察まで、ふだん見過ごされている母性というもののさまざまな側面に着目し、論が展開されていく。
クレア・A・ニヴォラ 『星の子ども』
Claire A. Nivola “Star Child”
ニューヨークでの育児代理生活にも慣れたころ、ジョニーはジェシーを連れて、インタヴューの仕事でニューオーリンズまでやってくる。
仕事のあいだは信頼している仕事仲間のファーンが、ジェシーの面倒を見てくれる。
そんな彼がジェシーに読み聞かせているのが、この『Star Child』。
日本でも『その手に1本の苗木を―マータイさんのものがたり』で知られる、クレア・A・ニヴォラによる児童文学だ。
宇宙の彼方から地球をながめている、星の子ども。
青い海、緑の大地、なんて美しい星なんだ、あの星に行ってみたい!と思いながら、もし行ったら自分はどうなってしまうのだろうと問いかける。
それに対する年長者による答えが、物語で引用されているセリフだ。
夜になり、ジョニーはベッドのなかでジェシーに続きを読み聞かせる。
宇宙の彼方にいる星の子どもが、「地球の時間」に飛び込むこと。
それはまだなにも知らない小さな子どもが、ひとりの人間として成長するための過程に飛び込んでいくことをあらわしている。
成長のために経験していく事柄は膨大で、ひとつひとつはきらめきを放っている瞬間でも、大きくなるにつれて記憶の底に埋もれてしまうかもしれない。
本を読み終え、ジェシー(甥)はジョニー(伯父。名前ややこしいよね)が泣いていることに気づく。
甥「泣いてるの?」
伯父「そのとおりだ。忘れてしまう。みんな忘れてしまうんだ」
甥「ぼくらは忘れないよ。伯父さんは忘れない」
伯父「きみはほとんど忘れてしまうよ。この旅の思い出のほとんどを」
旅というのは、はじめて母親のもとを離れる旅であり、LAからNY、ニューオーリンズという物理的な距離の旅でもあり、子どもから大人になる旅でもある。
ぼくたちもどれだけのことを忘れてしまっているんだろうか。
最後に、これはおそらくドキュメンタリー監督のカーステン・ジョンソンが『カメラパーソン』という自伝的映画で述べていることなのだと推察するのだが、
カーステン・ジョンソン 「撮影者が可能にすることの不完全なリスト」
Kristen Johnson “An Incomplete List of What The Cameraperson Enables”
というものが登場する。
これは映像制作者と被写体の関係性、カメラの客観性と介入によって生じる緊張、そしてフィルターにかけられない現実と作り上げられたものとの複雑な相互作用など、主にドキュメンタリー映像を制作している人間が考えなければならないことが網羅されているリストだ。
ウェブ上の資料から抜粋すると、
で、簡単に翻訳してみると、
撮影者が可能にすることの不完全なリスト
(撮影者自身にとって)
自分の世界ではない世界にアクセスし、そこに留まる理由を与えてくれる
社会的な規範に反するようなふるまい、問いかけ、行動をする許可を与えてくれる
自分の人生から完全に目をそらすことができる
経験したことの証拠を創造する
物理的に可能な範囲よりも近く、または遠くへ(レンズを通して)行く機会
感情的なつながり
トラウマ(代理的、二次的、直接的にも)
影響力や権力の強化
自分は目に見えないんだという感覚
無敵感
魔法のような思考
時間の停止
(被写体にとって)
いままで話したことのないことを話す、いままで思ってもみなかったことを口にする機会
自分たちがもはや生きていない未来に思いをはせることができる。ただし、彼らの言動は別のかたちで保存される
自分自身を(時間と注意を払うに値する)客観的対象として見ることができる
異なる結果を想像する機会
コミュニティ(家族、村、職業)における地位の変化をもたらす
自分自身の安全および/または評判に対するリスクの増加
自己イメージの創造。そのイメージの世界規模での拡散を永久にコントロールできないこと
自分自身を異なる視点から見る機会
どのような逸脱が可能であるかについて見方が変わる
撮影スタッフとの感情的なつながり
撮影されることによって自分の運命が変わり、将来の状況に影響を与えるかもしれないという希望
となっている。
撮影、あるいはインタヴューという行為は、「撮影者 > 被写体」という一方的な力関係のもとに成立しており、制作をする者はその危うい関係性をしっかりと認識していなければならない。
宿題をするジェシーを気にしながら子どもたちのインタヴューをノートPCで編集するジョニーは、このリストを念頭におきながら自問する。
「取材者はその場所から離れることができるが、取材対象者はそれができない」ということばが、現在の世界情勢ともあいまって強く心に響く。
それは一時的な子育てを引き受けた独身者のジョニーにとっては、ドキュメンタリストと独身者という二重の意味で、自分に跳ね返ってくることばなのだ。
世の中には安易な感動ポルノに仕立て上げられたドキュメンタリーや、一見社会情勢に深くメスを切り込んでいます風の、その実はなにも伝えていないドキュメンタリーであふれかえっている。
そして振り返ってみれば、ぼく自身も世界にカメラを向けているし、インタヴューの仕事で相手の世界に土足で踏み込むこともある。
この「不完全なリスト」は常に念頭に置いておかなければならないな、と思うのだ。
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