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心通じる時

みんなの診療所は小さな小さな診療所 採血も院外に依頼し、CTもない でも心通じる仲間がいる 強くそれを感じるのは時間外に来院された方に対する対応を見た時 私が診察室で診察をしている最中に診療時間を過ぎる時はよくある その方の診察を終えると一人追加で受付が上がっている 例え時間外に来院されても足を運んでくださった方をそのままお返ししないで きちんと受付を済ませて、予診やバイタルチェックをしてくれている その方の診察をしているとさらにもう一件電話が鳴る 診察を終えると『あと1

    • 小さくて、近くて、濃い

      みんなの診療所を開所して三週間が過ぎました。 ここでは私の超個人的なこの三週間の想いを書いてみたいと思います。 原の脳の中を探りながら書く文章ですので興味のある方のみお読みください。 <1>診療について 朝から晩まで、土日も外来に立ち、まるで研修医の時のような生活が戻りました。朝5時におきて5時半にいえを出て、21時まで休憩なく診療し帰ってくると、次男と次女はすでに眠っています。わずかな休息を家で過ごし23時頃には寝室に行き、気がつくとまた5時の目覚ましがなります。 今

      • その先に光差し込むように<最終>

        そこに当たり前のように在りたい<地域と医療との接点を増やすには> これまでの文章の中で私は *元気な人が突然、病気や怪我になり亡くなってしまう場面をたくさん見てきた *奄美は特に若い人の大病が多い感じがするし、実際に数字の上でもそうである *奄美の医療は転換期にさしかかっていて今後を考えるには地域との対話が必要 *その対話の場を増やすために医療の間口を広げてもっと身近なものにしたい というお話をしてきました。 しかし、忙しい毎日を過ごしているあなたや、今は特に症状のあなたは

        • その先に光差し込むように<4>

          『県』から『地域』へ:そして始まる『みんなの診療所』<県立大島病院の役割> 1901年県立大島病院は始まりました。100年以上も前から奄美の医療を守り続けてきた大島病院はとても素晴らしいと思います。県組織として手順や規定を重んじ、なかなか物事が動かず歯痒い思いもたくさんしましたが、それを差し引いても、この長きにわたり島の医療の中核を担い続けていることは並大抵のことではないと思います。働いている一人一人もとてもいい人たちです。医療職でない県職員の方たちも自分たちの時間を削って業

        心通じる時

          その先に光差し込むように<3>

          子供たちに渡した『10歳の教科書』<親として子供に伝えた『幸せ』> さて、前回の最後で私はもっと『医療』というものを広く捉えたい。そうすることで、可能性が広がる気がすると言いました。 『医療』とは医学の知識や技術を使って人がより幸せになるサポートをすること と、前回私は書きました。では、『幸せ』になるという表現に私はどんな想いを込めたのでしょう?こんな書き方をすると、聞く人によっては怪しい民間療法や**団体的な発想かと思うかもしれません。自分でも書きながら字面だけ見る

          その先に光差し込むように<3>

          その先に光差し込むように<2>

          医療ってなんだろう<奄美の今、そして、これから:奄美医療圏の話> 奄美群島の医療の現状についても少しお話しておきます。もちろん、各市町村ごとに見るとまた異なる課題を抽出することも出来ますが奄美群島全体の大枠としての現状をみなさまと共有をしたいと思っていますので、今回は奄美医療圏として少しお話させて頂きます。まずは下のグラフをご覧ください。これらのデータも前回同様、地域医療情報システムから引用したものです。 これは医療、および介護の需要の推移を予測したグラフです。全国平均と比

          その先に光差し込むように<2>

          その先に光差し込むように<1>

          これからの『奄美』の話をしよう<世界の見え方は人によって異なる> 2019年11月11日あまみswitchまちおもいキャンプ移住定住編の第3回講師としてお声かけ頂きましてお話する機会をいただきました。昨年は受講生として参加させていただいたこの講座は、奄美のことが好きで、奄美の未来を自分たちの手で描いていきたいと思っている奄美在住者が集います。そして様々な背景を持つ人たちの中で、自分たちの課題を見つけ、チームを作り、共に取組んでいく、その方法を学んでいく講座。『魚を与えるのでは

          その先に光差し込むように<1>

          霧の中の医療、霧の中の私<7>

          地域で『守り』『信じ』『育てる』医療<シャッター街の構図> 今の奄美の医療はシャッター街の構図と酷似していると私の目にはうつります。地元の人は自分の生活圏内で用事が済むように様々な店舗の出店を商店街に希望するでしょう。しかし、店舗のサービスの質を維持するためにはそれを維持するだけの経験が必要です。サービスを提供するお客さんが少なければ品揃えは悪くなり、サービスの質は低下します。 大型チェーン店が郊外に出店すると、価格の安さや品揃えの豊富さ、駐車場の広さなどから利用者がその店

          霧の中の医療、霧の中の私<7>

          霧の中の医療、霧の中の私<6>

          変わりゆく奄美の医療。そして。。。<頂に登ると> 2017年度奄美ドクターヘリは509時間の飛行時間を記録しました。これは全国のドクターヘリで二番目に長い飛行時間です。この年、全国のドクターヘリ平均飛行時間は230時間でした。予想をはるかに上回る675件のドクターヘリ要請と523件のドクターヘリ出動を記録したのです。 これは私たちが目指した奄美ドクターヘリが奄美群島にとって必要不可欠なシステムであったことを裏付けることとなり、それを目指し続けていた私としてはとても喜ばしいこ

          霧の中の医療、霧の中の私<6>

          霧の中の医療、霧の中の私<5>

          命を救う翼<奄美で腰を据える決意> 私が奄美に帰ってくると同時に長女は小学校入学、出産間近だった妻は引っ越し後間もなく入院しそのまま出産、二男庵(いおり)が生まれました。5人家族となりスタートした原家の奄美での新しい生活が始まります。これからは奄美で腰を据えてゆっくり奄美の医療と向き合うつもりでした。その中で、きっと辛いこともあるでしょう、心折れる時もあるだろう、そんな時奄美から逃げ出したくならないように自分の腹をくくるため今回奄美に移ってくる際に、本籍を奄美に移し、自宅を建

          霧の中の医療、霧の中の私<5>

          霧の中の医療、霧の中の私<4>

          青天の霹靂〜今日を大切に〜<スーパーマンへの幻想> 八戸市立市民病院での出来事も書き始めたらきりがないくらい盛り沢山なのですが、今回は私の自己紹介と、奄美と接続する部分が大事なので、そこに論点を絞って書き続けていきます。 まず何より久しぶりの大病院でした。奄美にいたときは自分の施設では治療できない専門的な疾患や重症例は転院の依頼をするのですが、転院となると院内でそのほかの診療科に相談するよりずっとハードルは高くなります。 それに比べて、ほぼ全ての診療科が院内に揃っています

          霧の中の医療、霧の中の私<4>

          霧の中の医療、霧の中の私<3>

          島だから助けられなかったをなくしたい<原はキャリアを捨てたのか?> 医師3年目に自ら進んで60床、常勤医3名の小規模病院に行きたいと申し出るのはかなりレアケースであったと思います。ただでさえ臨床研修が必修化されたため今までに比べて専門研修を開始するのが遅れています。だから3年目はできるだけ症例の多い病院で、自分の将来目指す専門医を少しでも早く取得できるようにと勤務先を選ぶことが普通です。2年の臨床研修で広く様々な領域を診られるようになったとは到底思えなかった私は、3年目を最も

          霧の中の医療、霧の中の私<3>

          霧の中の医療、霧の中の私<2>

          奄美で無力を知り、奄美で宝を得る<離島研修で知る無力> 1年の研修が終了し年間9000台も救急車が来る病院で、3日1回の当直をこなした私は離島でもなんとかやっていけるのではないと幻想を抱いて奄美にやってきました。それはほんの数日で完全に打ち砕かれることになりました。 今まで経験したことがない毎日の定期外来。山積みにされるカルテの中に”SGB希望"とメモが挟んであります。意味がわからない私は看護師に聞く。『SGBってなんですか?』『なんか首のブロックですよ。K先生に聞いてく

          霧の中の医療、霧の中の私<2>

          霧の中の医療、霧の中の私<1>

          原純は一体何者?あまみSWTCH2の参加者の皆様向けという表向きで今現在の原純を省みる機会をいただきましたので長い長い自己紹介をしてみようと思います。が、長文嫌いの方のために一言で私を表すとすると、 医療をきっかけに奄美全体を元気にして 島生まれの妻や子供達に明るい奄美の未来を見せたいと思っている 本籍まで奄美に移した東京出身医師 です。移住、定住、奄美の未来、インフラとしての医療。なるほど。こうして端的に自分を表現してみるとどうしてあまみSWITCH2の講師として自分が

          霧の中の医療、霧の中の私<1>