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小さくて、近くて、濃い

みんなの診療所を開所して三週間が過ぎました。

ここでは私の超個人的なこの三週間の想いを書いてみたいと思います。
原の脳の中を探りながら書く文章ですので興味のある方のみお読みください。

<1>診療について
朝から晩まで、土日も外来に立ち、まるで研修医の時のような生活が戻りました。朝5時におきて5時半にいえを出て、21時まで休憩なく診療し帰ってくると、次男と次女はすでに眠っています。わずかな休息を家で過ごし23時頃には寝室に行き、気がつくとまた5時の目覚ましがなります。

今までの生活を振り返ると、この合間に当直が入っていたましたので、それを考えるとだいぶ楽な生活なはずですがはじめの10日くらいは、診療のリズムにも慣れず、5時の目覚ましが非情に感じて、みんなが長い診療時間に対して心配してくれる意味をなんとなく理解しました。しかし、第2週目も終わりになってくるとだいぶ通常診療のリズムも出てきて、体が軽くなってきました。

久しぶりに第一線で診療にあたる日々を懐かしく思うとともに、成長のチャンスは常に臨床の中にこそにあるということを実感しました。奄美には島外から数ヶ月での短期研修で来島する医師もたくさんいます。いつも私はその先生たちに目の前の症例について真摯に臨むことさえ怠らなければ東京でも鹿児島でも奄美でも同じ成長ができるはず。成長できるかは施設や指導者ではなく、患者さんが目の前にいさえすれば後は自分の姿勢で決まる。だからどんな環境でも必ず成長することは可能であると伝えてきました。

みんなの診療所での診療も日々新たな症例に遭遇し、診療の合間に最新情報の確認や、復習、もしくは新たに出会った症状に対する調べ物など学ぶべきことは目白押しです。この生活を始めて三週間、私は臨床にドップリと浸るということにとても満足感を覚えています。

<2>家族について

家族との時間は県病院の救命センターにいるときより劇的に減りました。妻には今まで以上に家庭のことに対する負担は大きくなる上、結局、診療所の運営にもガッツリ関わってもらうことになってしまいました。私が全く買い物や銀行、郵便局、役場などにいけないため、診療所外に出る必要がある作業は全て妻任せになってしまっています。子供たちとは日曜日のよるにおやすみをすると木曜日の朝まで最悪会えません。私は一方的に寝顔を見てニヤニヤしていますが。

それでも、会議や出張で家族との時間を取ることができないよりはずっと私自身の罪悪感やストレスはありません。実は昨年、長男の中学受験も重なり、センター長としての出張なども増え、鹿児島と奄美をこまめに往復する生活になった時はしばらく原因不明の皮疹に悩まされていましたが、今はそれもすっきり消えました。

家にいる時間が短くなった分、家にいるときの家族との時間が本当に尊く感じます。診療所にいない時は家にいたい。診療していない時は家族との時間を過ごしたい。診療と家族との時間。この2つしかない生活は私にとってとても有意義で幸せな時間です。

私が本当にやりたいことをしている事が、きっと最終的には妻にも子供たちにも良い事だと信じて、この生活を選びました。これからドンドン成長していく子供達に全力で生きている私の姿を見てもらいたいですし。そして、私が全力で働けることの裏には妻のサポートが不可欠です。もはや家でも仕事でも助けてもらってばかりで、妻の体は私の体の一部になりつつあります。本当に本当に感謝しています。私より妻の体が心配です。休めるときにしっかり休んでほしいです。

私の幸せは、妻や子供たちの幸せなくしてあり得ませんので、妻や子供たちにもこの生活の中で幸せに日々を過ごしてもらえるように夫として父としてのこの生活での在り方を常に模索して行きたいと思います。

<3>職員について

この三週間。私が想像していた以上に様々な病態の方が受診に来ていただいています。私としてはとても嬉しく、この地にみんなの診療所を開所できたことに喜びを感じています。そして、受診してくださる皆様の期待を裏切らないよう、日々学ぶ姿勢は忘れずに成長を続けていきたいと感じています。

それについてきてくれる職員には本当に感謝しています。
私が思ったより処置も多いです。半分見栄で揃えた、松葉杖やシーネ、バストバンド、酸素などもすでに何回か使用しています。先日ついに救急車の受け入れも行いました。小児の受診が多いことにも驚いています。そして皮膚科領域の受診の多さにも同時に驚いています。四人の子供達を育てた経験が今、仕事でも活きています。

この多種多様なニーズに対応する診療にフットワーク軽くついてきてくれる職員たちは本当に心強いです。小さな小さな診療所ですので、職員とはコミュニケーションを密にして、少しでも働きやすい職場になるようにしていきたいと思っています。そして、まずは何より職員がみんなの診療所で働くことにやりがいを感じてもらい、職場を好きになってもらえるように努力していきたいと思います。と、言っても具体的な作戦は全くないのですが。。。
少なくとも、目の前の患者さんに対して丁寧な診察を心がけ、みんなの診療所で診察を受けた方が、最終的に笑顔で日々を過ごせる事が私たち職員にとっては何よりのご褒美ですので、そこだけはブレないような診療を続ける事が、職員のやりがいや愛着につながっていくのではないかと、漠然と考えています。

そして、人生で初めて人に給料を払いました。
一体どんな気持ちになるのかと思いましたが、なんとも不思議な感覚でした。
一言で言うと『尊い』と感じました。

すでに診療所に関わる様々な支払いが始まっています。
建築、備品、医療機器、公共料金などなど、通帳だけを見ると職員に支払う給与もその中に埋もれてしまいます。ですが、職員に給与を支払う手続きをしている時、ただの数字にはしたくないと思いました。私が生まれて初めて支払う給与ですしと思い、職員一人一人に一言だけメッセージを添えて給与明細を渡すことにしました。

職員のみんなの頑張りを見ると給与ももっと支払ってあげたいと思う気持ちもありますが、もちろんそういうわけにもいかず、もどかしい気持ちになりました。今まで公的医療機関の勤務医として給料をもらう立場だった私にとって、自分の診療に対して直接診療報酬が支払われ、その中かから職員の給与を支払うという、ごくごく当たり前のことをすごく特別なこととして実感することとなりました。実際に自分で経験してみないとわからないことばかりだなと改めて痛感しました。

職員に給与を支払うという行為は、私にとってとても、尊いことに感じました。6月1日から一緒にオープニングに向かって歩んできた仲間に感謝の気持ちを込めて給与をお支払いさせていただきました。これからも、ただの数字や対価としてではなく、共に診療所を作り上げてくれているという事に対する感謝の気持ちが伝わるような給料日にしていきたいと、そんなことを感じました。やりがいと収入、きちんと両立できる職場となるように日々努めていきたいと思います。

それにはやはり何より地域のニーズに応える。そしてそれを越える。受診した方の満足度を追求する。ということをまず第一に心がけて診療をしていくしか他に方法はないという思いをさらに強くしております。

職員のみんなの満足感も常に追求していきたいと思います。

<まとめ>

まだまだ始まって三週間。これからたくさんの色々な課題や、乗り越えるべき壁に直面することだろうと思います。そんな時も、家族や職員とコミュニケーションを取り合いながら、ともに乗り越えていきたいと思います。

若くして救命救急センター長にしていただいた上に、県立病院の職員という安定と地位を捨てて、自分の想いを実現させるべくリスクをとって始めたこのみんなの診療所。その志をいつまでも忘れずに、そして、その真意を家族や職員、何より地域の方々に理解し、受け入れていただき、共感してもらえるようにこれからも日々の診療に努めていきたいと思います。

とても新鮮で、やりがいがあり、ワクワクした三週間の滑りだしです。
それもこれも私を支えてくれる家族、職員、多くの仲間たちのおかげです。
いつもありがとうございます。
そして引き続きよろしくお願いします。

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