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へらへら笑ってろ(双極性障害の私)。<6>決まり事がスムーズに生きさせてくれる。

双極性障害の人にとって大切なことのひとつに「心地いい程度のルールや決まり事があること」があると思います。

なぜ完全な自由が駄目かというと、双極性障害をもつ本人が、ふわふわした不定形の人間なので、地に足をつけてくれるための機能がないと、社会生活が難しくなるからです。

私自身、完全な自由は苦手です。

20代後半で、私は、オフィシャルに(?)発病しました(病院に行かなかったから診断されなかっただけで、20代前半には発症していたな、と振り返ると思います。心当たりがあります)。そのときは、「鬱状態」という診断で、入院もしました。
当時、私は、編集プロダクションに所属するライターだったのですが、退院後、再発しないための解決策として、フリーランスのライターになることを選びました。
大学時代に、故・千葉敦子さんの著書のほとんどを読んで、フリーランス・ライターになることは、ずっと憧れでしたし、自分には自由が必要だと思っていたので(会社勤めが鬱の原因だと思っていました)、いい選択だと自分では思っていました。

これが失敗だったと気づいたのは、実はつい最近のことです。

フリーランス時代の私は、自分で時間を管理することが、本当に苦手だったのです。1日24時間の使い方を、真っ白な状態から考えることが苦痛だなんて、自由に憧れていたときの自分には、想像すらできませんでした。
ほどなく、生活スタイルは乱れ、夜型になり、日中を無駄にし、仕事の優先順位もつけられなくなり、よって締め切りも守れなくなり、最終的にはまた鬱に戻ってしまいました。
2度目の入院を経験し、ライターの道は諦め、東京から故郷に戻りました。そして、まったく別の仕事を始めました。

双極性障害の人には、「時間割」が必要だと最近思います。ただ、がっちがちの時間割ではなく、適度に自由な、ざっくりした時間割であることも大切だと思います。
思うに、入院生活で躁鬱が良くなるのは、この時間割のおかげもあります。起床時間、食事の時間、就寝時間などのスケジュールを、ざっくり決めてもらえているのが、病気がひどい時期には、すごく気持ちがいいのです。本人は苦しい渦中にいるので、気持ちよい、は言い過ぎかもしれません。それでも、安心感は感じていると思います。無理のない程度だからいいのです。

私が何度も入院した精神科は、開放病棟で、起床時間や就寝時間、病棟外に出てもいい時間帯は決まっていましたけれど、あとの時間は何をしていても自由でした。まさに適度に縛りがあって、適度に自由な状態でした。

特に鬱のときは、自分で考えたり決断したりすることがとても苦痛になるので、「このルールで生活してくださいね」とゆるやかに決めていただけたことは、本当に救いでした。生活リズムも整いました。

私はいま、会社員ですが、仕事を続けていられているのは、時間割のおかげだと思っています。
私の職場は、英会話学校で、タイムテーブル(時間割)があります。1時間ごとに担当するレッスン名が書かれていています。1時間の休憩時間やミーティングの時間もここに書かれて、コンピュータ上で管理されています。
もし、このタイムテーブルがなくて、いわゆるデスクワークを就業時間内に自分のペースで終わらせなければいけないような仕事だったとしたら、私のようなタイプは破綻してしまうのではないでしょうか。業務には、レッスンを教えるだけではなくて、レッスンするための準備(教材研究など)や書類作成といった業務も含まれていますが(先生方によっては、自主的に、こうした業務名をタイムテーブルに入れて管理しています)、タイムテーブルのおかげで、いつ何をやるかを悩む必要はありません。

私は仕事では、ウィークリーの手帳を使っていて、そこに1週間のすべてのタスクのリストも作っているのですが、タイムテーブル上の空きコマに手帳を見つつ、優先順位をつけながら、デスクワークをこなしていくのは本当に楽です。

タイムテーブルよ、ありがとう!と言いたいほどです。大げさでなく、時間割って、それくらい双極性障害の人には重要だと思います。

時間管理については、まだまだ書きたいことがあります。
適度な縛りと適度な自由の大切さについて、また改めて書かせてください。

【今日の1枚】
今住んでいる町にある、江戸時代に作られた庭園。無料で公開されています。頭をすっきりさせたいとき、私のアパートから徒歩数分のこの庭園に散策に出かけて、静寂のときを過ごします。散歩の楽しみを知ったのは、30代になってからです。

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