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へらへら笑ってろ(双極性障害の私)。<14>心の骨折と心の筋肉痛は違う。

ペンネームを変えました。
物書き志望で、以前考えていたペンネームをメモしておいたのが、WorkFlowy上に見つかりまして。なんでも記録しておくことって大事ですね。せっかくなので、今からこのペンネームを使おうと思います。

さて、昨日職場の上司から、最年少のとある同僚について相談を受けました。どうやら、自分のことを「絶対」鬱病だと言い切っているそうなのです(上司は、別の同僚からそのことを聞かされたそうです)。

そのことを聞いて以来の、私のもやもやは、書くことで解消するしかないと思いました。

私が最初に思ったことを書いていいですか?

鬱病、なめんなよ。
です。

お辛いのは、わかるんです。助けを求めているのも、もがいているのも理解できるんです。SOSを出してるんだから、会社の先輩として、また、リーダーとして、なんとか寄り添えたらとも思います。

が。

鬱病、そんなものじゃないです。

私の場合は、双極性障害であって、鬱病ではありません。ただ、鬱状態は何度も何度も、本当に何度も繰り返してきたので、どういう状態なのか、わかっているつもりです。個人差はあるものですが、同時に共通項があるのもわかっています。

かつて、主治医に、「鬱は心の骨折」だと言われたことがあります。安静にする以外に治療法はないのだ、と。
私が、「心の風邪」という表現に違和感を感じていることをお伝えしたときに、教えていただいた表現で、とても納得がいったのを覚えています。

「心の風邪」という表現にも、確かに効用はあったと思います。一時期よくあちこちで目にしましたよね。製薬会社の鬱病啓発キャンペーンで使われた表現なのだと読んだことがあります。

誰もがかかりうる病気で、また、ちゃんと治療すれば治るものという意味では悪くない表現だと個人的には思いますが、数日寝て治る風邪とは、やはり一緒にしてほしくないという気持ちがあります。風邪をこじらせても、死にたいとは思いませんよね。むしろ早く元気になりたいですよね。ところが、鬱病は、死にたくなる病気なんです。治す気力さえ奪ってしまうのです。

話を、鬱病だと言っている同僚のことに戻すと、もし、そう思っているのなら、私は早く医療機関を訪ねるべきだと思っています。鬱なのだと思うほどしんどいわけですから、誰かの助けは、絶対に必要だと思うし、心配です。

そして、たぶん鬱ではないはず、という私の予想も当たってほしいです。私は、その同僚をそばで見ていて、たぶん、心が筋肉痛を起こしているのだと思っています。使い過ぎて、悲鳴を上げている。やはりその筋肉を休ませることが大事でしょう。と同時に、その筋肉は、上手に使っていけるよう、上手に付き合っていけるよう、鍛えていってほしいとも思います(私のほうが、立場は上なので、こういう上から目線をご容赦ください)。

週明けには、笑顔で声をかけようと思っています。私の病気のことは明かすつもりはありませんが、何らかの力にはなれたらなと思います。本当に心が骨折したら(十分あり得ます)大変です。

私は、双極性障害を受け入れているつもりですし、発症したことに対する恨みや後悔はありません。でも、鬱にならずにすむのなら、それに越したことはないですよね。
同僚の心に、平安が戻ってきますように。

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