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へらへら笑ってろ(双極性障害の私)。<3>手持ちのカード。

カードといっても、クレジットカードやポイントカードのことではありません。トランプでいう手持ちの札のこと。
ある尊敬する先生に「人間は、手持ちのカードで勝負するしかない」と言われたことがあります。私には、長らくこの言葉の意味が理解できずにいました。むしろ、自分の手持ちのカードの少なさや、カードの弱さを運命として呪っていたようなところがあったと思います。

なぜ、私には〇〇が無いんだろう。どうして私には、〇〇ができないんだろう。病気に圧倒されていたころの私は、そんなことばかり考えては落ち込み、さらに病状を悪化されていました。

自分の手持ちのカードを受け入れて、それらに感謝できるようになってきたのは、最近のことです。双極性障害も、私のカードのなかの1枚。このカードのおかげで学んだことも得られたこともたくさんある、と思えるようになってきました。

探す気になりさえすれば、誰しも結構使えるカードを持っているものだ、とも、いまは思っています。1枚と言わず何枚も。

最高のカードは、生きているということであり、ひとりではない、ということだと思います。そして、自分の好きなこと、得意なことは、何でも手持ちのカードと言えるでしょう。

この「手持ちのカード」について意識するようになってから、私はカードを自分の力で増やすことを心がけるようになりました。努力しているわけではなくて(いつかまた書くと思いますが、努力はしないことにしたのです)、要は楽しみを増やすようにしています。
もともと私は飽きっぽく、熱しやすく冷めやすいタイプなので、やりたいことはたくさんあります。もうすぐやってくる自分の誕生日にも、何を自分へのプレゼントにして、どんな新しい趣味を始めようか、とわくわくしています。

飽きっぽいといえば、前の記事にも書いたように、読書は最高の趣味なのですが、1冊を集中的に読んでいくタイプではありません。いつも数冊を同時に読んでいます。主な読書時間は、朝、ベランダで煙草を吸う時間なのですが、ベランダに出るたびに違う本を読んでいるようなところがあります(続きが気になって、1冊しか手を出さない日もありますが)。ひとつのデバイスに大量の本をダウンロードできるKindleだからできることでもあります。

こうして、いろんな本を同時に読んでいることも、私にとっては、手持ちのカードが多い状態。たとえば、仕事で何か嫌なことがあったとき、ストレスが溜まっているときも、こうした、カードとしての複数の本があることで気持ちを盛り上げることができています。1冊の本が、その日の気分に合わなくても、別の本を読めばいいのです。読み終えることも、特に目指していません。そのときの自分が欲している本なら、自然に読了できると、気楽に考えています。

選択肢が多いということは、それだけ心の余裕を与えてくれます。これしかない、という背水の陣をできるだけ避けて、たくさんのカード(強弱は関係ありません)をもって生きていきたいです。

【今日の1枚】
写真は、以前持ち寄りパーティ用に作った、にんじんのディップ。そういえば、お料理のレパートリーを増やすことも、手持ちのカードを増やすことになりますね。

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