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教育家「じゃがいも先生」が成長した理由

今回は、教育家として、塾経営、高校教師、習い事教室の講師、教育アプリの製作、YouTube事業などをされているじゃがいも先生にインタビューしました。特に成長のヒントだと感じた、「家庭環境」と「キャリア選択」について、深堀りしてみました。

恵まれていた幼少期の家庭環境

じゃがいも先生の子供時代は、とても恵まれていたと振り返ります。母親は深い愛情を注いでくれ、読書好きで頭の良い人でした。父親は教師であり、人格者でした。祖父母も元教師で、親戚の多くが教師という家系です。

少年の頃、トランプで軽いレートの賭け事をしていたことが分かると、母親は大激怒しましたが、父親はその様子を見て、「お金が欲しいのか?」「お前にとってお金はなんだ?」といった、本質を考えさせるような人物でした。おそらく、幼少期の多くをお父さんから学びとったのでしょう。放任でも過干渉でもない関わり方で、適度な距離で家族から見守られる時期でした。金銭的にはそれほど裕福とは言えないものの、山や海などの自然体験や、博物館や美術館などにもよく連れていってもらったそうです。そのようにして、家族という非常に影響の強いコミュニティにおいて、考える力や、人格が磨かれていきました。

人生を変えた就職活動

母親は、多くの日本人と同様に、良い大学に行き、良い会社に就職することが、我が子の幸せにつながると考えていました。日頃から口数の少ない父親は、普段から「就職しなさい」とは言わず、自分が好きなことをすれば良いというスタンスでした。じゃがいも先生は、国立大学に進学しました。大学2年の頃には就職活動を開始し、その時点で既に、ある企業から内々定が決まっていました。とは言え、たくさんの企業が集まる就職説明会は社会勉強になると思い、就職活動を継続することにしました。

大学3年生の時、人生を変える出来事がありました。ある就職セミナーに参加したときのことです。たくさんの大企業が参加する中、中小企業のブースは閑散としていましたが、中小企業のブースに積極的に参加するようにしていました。その方が話しをじっくり聞くことができるし、何より、会社の幹部が直接対話してくれることが多いからです。無名の企業ですが、非常に話が深い、そう感じたそうです。そこで、ふと気になって、セミナーに参加している学生達をどう思うか、その印象を尋ねてみました。年配の人事部長は「作られた目の輝きやね」とゆっくりと答えました。それを聞いたじゃがいも先生は、「やっぱり自分が好きなように生きよう」と思ったそうです。

教育との出会い、そして塾を創業

「好きなをことをする」と決めたじゃがいも先生は、2つのことをやろうと思いました。一つは、バックパッカーとして旅をすること。もう一つは、あるスポーツをとことんやることです。既にかなりの腕前に達していましたが、スポーツクラブの上級者の方の中で歯が立たない人がいて、なんとか勝ちたいという気持ちだったそうです。とは言え、それだけで安定した収入があるはずもなく、工場で日雇いバイトをしながら、スポーツクラブに寝泊まりする日々が続きます。そしてある日、大手塾の講師をしている人が、そのクラブにやってきました。その人といろいろなことを話すうち、「ブラブラしているなら塾講師をやってみないか?」と誘われました。そのようなきっかけで、教育業界に身を置くこととなり、30歳にして私塾を創業することになります。「子供の目が輝くような教育」を目指し、塾講師、高校教師、将棋教室の講師、教育アプリの製作、YouTube事業など、多岐にわたる教育家として活動中です。

「ワクワクが止まらなくて、眠っていても目が覚めてしまう」。じゃがいも先生が何気なく発した言葉ですが、とても印象に残る言葉として、私の胸に深く刻まれています。

じゃがいも先生はなぜここまで成長できたのか

じゃがいも先生の過去を聞くと、「自ら考え、自ら選択し続けた」ということが、成長のヒントになりそうだと思いました。母親からの深い愛情、そして自己肯定感を高める言葉掛けがベースにあり、父親の適度な距離感の教育、哲学的思考を促すような言葉掛けにより、幼少期の頃に「考える素地」「誠実さ」が出来たように思います。紆余曲折ある人生の中で、自ら決断することを怠らず、「自分の好きなように生きる」「子供の目が輝くような教育」という軸が、年輪のようにより太くなっていくことを想像します。

それぞれの家庭や、本人の資質によって、生き方は様々ですが、人の自己実現には何らかの共通点や原理原則があるだろうな、と改めて感じさせていただいたインタビューになりました。


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