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オタクと萌えと性差別~君野イマ・ミライの事例から

※それっぽいタイトルにしたかっただけで「オタク」はあんまり重要じゃないです

君野イマ・ミライって誰?

話題になっている環境省Twitterアカウントのこちらのツイート。
ここから、君野イマ・ミライなる「萌え」キャラクターが再び注目を集めている。

このキャラクター事業は環境省の”COOL CHOICE"プロジェクトの一環とのこと。
イマとミライは並行世界上の「もう一人の自分」であり、ミライはイマを「COOL CHOICEの伝道師」にするためやってきた…という、突拍子がないのかベタすぎるのか微妙なストーリーが設定されている。

最初にこのキャラクターが発表されたのは2017年。寡聞にして知らなかったが、当時も多少は話題になったようだ。
その後は動画を作成するなどしても評判は微妙で再生数も伸びず、事業として好調とは言い難い状況だったが、このツイートによって再び注目を集めることとなった。


「萌え」キャラクターとしての君野イマ・ミライ評

いまどき「萌え」という言葉が堂々と使われていることに眩暈がするが、デザインを見ると確かに「萌え」の時代を彷彿とさせるテイストだ。
しっかり者がぐうたらな子を啓蒙する…という仕立てによるのかもしれないが、表情・髪型・服装などを取ってもかなりテンプレ的に見える。

キャラクターデザインは公募で、Maou_Illustという人が担当されている。
こちらで公開されているラフ画を見ると、彩色によって更に「萌え」テイストが強まっているようにも感じられる。彩色担当の名前は公開されていないようだが。

このMaou_Illust氏だが、この名前では他に活動実績もなく、SNS等のアカウントも見つからず、検索しても出てくるのはクラウドワークスのプロフィールページと、この環境省プロジェクトに関するページのみだった。
因みに動画の声優には竹達彩奈、サウンドには八王子Pというなかなか知名度のある名前が並んでいるのだが…。


「萌え」は性差別か?—0.序

本題に入ろう。

この事業について様々な角度から批判はあるが、ここで取り上げたいのは「性差別的である」という批判だ。
そういった批判は2017年の段階から存在している。
(ただし2020年現在のTwitterの様子などを見ると、それが主たる批判とも見えない…ということは書き添えておく。)

2017年当時のこちらの記事を参照すると、東京新聞に掲載されたコラムで「”萌え”の概念は性差別とも取れるもので、政府には推進して欲しくない」という主張があったとのこと。
「萌え」と性差別を巡る主張は他のトピックでも度々見かけるが、御多分に洩れず、このコラムについてもオタク層から強い反発があったようだ。
(記事中の「アニメ・漫画ファンらの声」はあまりにも貧相で、反論にもなっていない暴言ばかりだが…。)

改めて。
「”萌え”の概念は性差別とも取れる」という主張について、どう思うだろうか?
賛否以前に、どうしてこのように主張しているか理解できるだろうか?

個人的にはその理由・理路が恐らくこういうものであろうと想像できるのだが、それが簡単には理解されないであろうこともまた、想像に難くない。
きちんと説明せずして「"萌え"=性差別」と主張するのはあまりに乱暴でなかろうかとも思う。

以下、わたし個人が考え得る範囲でこの主張について詳細化していく。


「萌え」は性差別か?—1.「萌え」の定義問題

この問題を考えるにあたって、「萌え」の定義を決めることは重要だ。
これが曖昧なまま主張をすることは、この議論が荒れやすい要因の一つである。

さて定義を提示するとして、性差別を指摘する議題においては、「萌え」と「エロ」の結びつきをどう解釈するか…というのが重要なファクターになる。
「"萌え"=性差別」を主張する論者は、「萌え」とは「エロ」が含まれている概念だと捉えている傾向があるのではないか。
ここでWikipediaの「萌え」ページを参照してみると、  「萌え」とエロティシズム の項目がある。
ここからも分かるように、「萌え」には「エロ」が含まれているという解釈自体は、そう特別なものではない。

また、「萌え」と「萌えキャラ」でも多少話は違うだろう。
(「〇〇萌え」という用法なら、無機物にさえ使われる。)
ただ君野イマ・ミライ自体が「萌えキャラクター」を自称しているのだし、この用法における「萌え」概念として考えると、主に美少女キャラクターを指し示すものという定義には、大きな異論は出ないだろうと思う。
(2020年にもなって大真面目にこんなことを語りたくはないものだが…。)

これらを踏まえ、本記事内では以下の2段階の定義を提示する。

「萌え(キャラクター)」とは
①美少女である(つまり、女性であり、未成年であり、かわいい)
②しばしば軽いエロ要素を含む


「萌え」は性差別か?—2.性差別とは何か

「"萌え"=性差別」という主張について考えるにあたっては、もう一つの語、「性差別」とは何なのか…も重要になる。

そんなことまで改めて問い直していては議論などできない…というのも尤もだ。
しかし、「性差別」と聞いてイメージされる行為が、例えば入試において女性のみを一律減点するとか、そういった直接的かつ明確に性別によって扱いを変える行為だけであれば、「"萌え"=性差別」という主張を理解するのも極めて困難に思われる。

改めて、入学試験において女性のみを一律減点するのは性別によって扱いを変える行為そのものであり、非常に分かりやすい性差別だ。
これは社会状況がどう変化しようとも認められるべきではない
現状において性差別によって不当な扱いを受けている、また特に深刻な不利益を被っているのは女性であり、その状況下で「男性差別」の概念が認められるかについては議論の余地があるだろう。ただ、性別によって不当に扱いを変えてはならないという理念においては、男性が差別されることもあってはならないのは当然だ。
(予め書いておくが、アファーマティブアクション等を挙げての反論は断固ご遠慮願いたい。格差是正・差別解消を目的として扱いを変えることを"不当"だと思うなら、回れ右して差別について今一度考えを深めることが先決だ。)

さて、このような分かりやすく文字通り説明しやすい差別に加えて、今ある差別や偏見を強化する行為もまた差別であると言える。

性差別とは異なるが、「萌え」に関わる一つの例として。
メディアに出てくる"オタク"キャラクターが、例えば不潔だったり、太っていたり、服装がダサかったり、やたら早口だったり、おどおどしていたり…そんなキャラだったらどうだろうか。これは「オタク差別的だ」とは感じないだろうか?

同様に、性別に関わる一つの例として。例えば男性を博識な説明役として登場させ、女性を無知で従順な聞き役として登場させる行為はどうか。
これが何故問題になるかと言えば、「男性は論理的で女性は感情的」であるとか、「女性に難しい学問は向いていない」であるとか、そのような差別的偏見が現に存在するからである。
現実には女性が男性から何かを教わるシーンは当たり前に存在する。
しかし今の社会状況においてメディア上でそれを描く行為は、どうしても偏見を強化するはたらきが生じてしまう。

ここから、差別的偏見を強化する行為もまた差別的であると言えるだろう。

さて、これが差別的行為と呼べるとして、では元となる差別・偏見が完全になくなるまでは、太ったオタクキャラも聞き役に徹する女性もメディアに登場させてはいけないのだろうか。
当たり前だが、それを禁止するのはまったく非現実的であるし、それを実行しては新たな偏り・歪みが生まれてしまう。
もっとも、それを要求する人は滅多にいないだろうが。

一般的に言えるのは、政府や自治体広報など公共性の高いメディアにおいては、特にその扱い方に気を付けるべきだということ。
要は、単にまったく登場させないということではなく、必要がないシーンでは避けるとか、多様な性別・年齢・人種などを登場させることによってバランスを取るとか、そのような形で調整が必要になるということだ。


「萌え」は性差別か?—3.「萌えキャラ」一般を考える

ここに至るまでが長くなったが、しかしこれまでの定義云々をしっかり考えれば、あとはどのように適用されるかというだけの話である。

改めて書くと、本記事では「萌え(キャラ)」について
①美少女である(つまり、女性であり、未成年であり、かわいい)
②しばしば軽いエロ要素を含む
という定義を示した。

これを当てはめたときにどのような批判が成立するだろうか。

定義①を適用して考えた場合。
今ある差別的偏見として、例えば「若い女性には美的な商品価値がある」「加齢によってその価値は減衰する」という価値観がある。
美少女的表象を使うことは、それを強化する行為なので差別的だという指摘は出来るだろう。
「若い女性をアイキャッチに使うな」という指摘もよく行われるが、おおよそこのような意味である。
(モノ化ーObjectificationという概念・表現もあるが、これもまた一言では説明しづらいものであるため、触れる程度にしておく。)

ただ前述の通り、「だから一切使うな」と主張するとすれば少々無理があろう。(そのような主張をする人は多くないと思うが…。)
子どもに関する事業だからキャラクターも子どもであるという理由がある…つまり若いことに必然性があるとか、男子キャラクターも登場してジェンダーバランスも意識されているであるとか、そういった配慮が行き届いているならば、全体としては大きな問題なし、と評価できよう。

定義①②の両方を適用して考えた場合。
これは、未成年を性の対象として扱うことになるわけだから、厳しく考える必要がある。
差別というよりは性暴力の是認と呼ぶ方がより正確にも思えるが、性暴力被害者の多くが女性であり、それが差別構造の上に成り立っていることを鑑みれば、性差別の一部と考えるのも決して間違いではないだろう。

これについては、少なくとも公共表現にはまったく適さないし、バランスを取る云々ではなく即時改善することが必要になるはずだ。

「"萌え"=性差別」と主張する人に出会ったなら、このような理路でもって主張しているのだと考えてみて欲しい。
その上で、その通りだとか、私もそう思うとか、でも具体的なこの表現はセーフじゃないのとか、アウトじゃないのか、言い分は分かるけど言いすぎだとか、自分の頭でもって考えた上で自分なりの態度を形作ればよいのではないか。

ところで、ここでは公共的メディア表現をベースに考えたが、理屈としてはそれ以外の私的な表現(例えば商業出版されている漫画であるとか)にも当然当て嵌まることになる。
ただし、責任の重さは大きく違うであろうことは念頭に置きたい。
とは言え、批判するという行為も言論の自由の一環であるのだから、私的な表現としての「萌え」を批判する人がいたとしても、それ自体が不当な行為とは決して言えない。


「萌え」は性差別か?—4.君野イマ・ミライの場合

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画像 https://ondankataisaku.env.go.jp/coolchoice/character/release/ より

ここまで来れば後はもうおまけのようなものだが、件の君野イマ・ミライの場合であればどうなのかを考えてみる。

くどいようだが改めて書くと、本記事では「萌え(キャラクター)」とは
①美少女である(つまり、女性であり、未成年であり、かわいい)
②しばしば軽いエロ要素を含む
ものだと定義した。

①は君野イマ・ミライについてもその通り当て嵌まるだろう。
②はどうだろうか。見る限り、特別に性的要素を含んだり強調しているとは思えない。

では①のみに当て嵌まるとして、使い方としてはどうだろうか。
このキャラクターは"COOL CHOICE"事業の若年層への認知度アップを狙って製作されたそうだから、高校生であること自体にはそこまで違和感はない
イマとミライは並行世界の自分同士だそうだし、ミライがイマを啓蒙するという構図であっても、性別による差別・偏見を助長することはない
一方で、ジェンダーバランスとしては偏っていることが指摘されるだろう。
男性キャラも登場させる計画…もあったらしいが、残念ながら進んではいないようだし、「萌え」を冠しておいて男性キャラも登場させる計画があったというのはちょっと信用しがたいところだ。

総合的には、全く問題ないとは言えないがそこまで強く批判するほどでもない…というのが個人的な意見である。

ただし、「萌え」はエロ要素を含むものだと解釈・認知している論者からすれば、「立ち絵一つ取ったら大きな問題はなくても、『萌えキャラ』自称するからには性的なアピール要素が多少なりとも混入されるのではないか」…という懸念があるかもしれない。
そういった立場から批判しているという可能性も、十分に考えられる。

その主張が気に入らないからと言って「絵に嫉妬している」などと不当かつ見当違いな侮辱をしたり、「オタクや萌え絵が嫌いだから言っているのだ」などと下衆の勘繰りで頭ごなしに否定することは避けていただきたいものである。


キャラクター事業としての個人的評価

さて、性差別の側面ではそこまで大きな問題とは感じないと評したが、しかしキャラクター事業としては「もっと真面目にやれ」と言わざるを得ない。

2020年にもなって「萌え」キャラで、このデザインだ。
アニメ・マンガ等を日常的に消費している層であればこそ、古さを感じずにはいられないだろう。
オブラートに包んで言えば「古き良き萌えの時代を思い出させるテイストで味がありますね」…といったところだろうが、好みの問題はあれど、どうしても今どきのデザインとは言い難い。

若年層をターゲットに「萌え」が刺さるという発想も、一体どんな時代感覚をしているのか甚だ疑問である。
これが単にアニメ・マンガ的キャラクターを使うことを意味しているのだとしても、それだけで目を引くとは到底思えない。
例えば新海誠作品があれだけのヒットを飛ばした現代日本である。消費者の目はそれなりに肥えているはずだ。キャラクターでもって注目を集めたいなら、時代に合っていてかつクオリティの高い作品でなければ不可能だろう。

アニメ・マンガ的表現を使うにしても使わないにしても、税金を使った公共事業である。可能な限り差別的な表現を使わずに、その上でしっかりと成果を上げられるものを作って欲しいものだ。

おわりに

最近では赤十字献血ポスターの『宇崎ちゃんは遊びたい!』、NHKのサイトに出演したバーチャルYouTuberキズナアイ、更に遡れば東京メトロのキャラクター駅乃みちか、三重県志摩市の公認キャラクターになりかけた碧志摩メグ等々…「萌え」あるいは美少女キャラクターの登用が「炎上」騒ぎになることは少なくない。

どれも議論は紛糾…というかおかしな形で騒がれすぎて、議論にならないことがほとんどだったが、ここまでの内容を当て嵌めて考えれば、批判者が何を考えているかもそれなりに見えてくるのではないだろうか。

キャラクター表象が批判されているとき、「オタク」的には自分の好きなキャラクターやコンテンツ、或いは自分自身が批判・否定・攻撃されていると感じてしまうのかもしれない。
しかし、ほとんどの場合はその使われ方が批判されているのであって、キャラクターそのものを攻撃しているのでもなければ、「萌え」絵を憎んでいるなんてこともそうそうない。

言うまでもないことだが、主張に同意・賛成するにしても否定・反対するにしても、まずは主張の意図を理解しようと努めることが大事だ。
ぜひ感情的にならず冷静に物事を見て、その上で自分なりの意見を述べて欲しいものである。

この記事に対しての意見や感想も、きちんと理解に努めた上でなら、ぜひ賛否問わず書いていただきたい。

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