見出し画像

「私の夢はスイスで安楽死」を読んだ

安楽死に興味を持ったきっかけ

私は5歳のとき、祖父と慕う男性を亡くした。
父の父がわりをつとめてくれていた人だ。
その人のお葬式には、子どもは参列できないから。と、行けず、仏間でしみじみと泣いた。
私が「死」を意識した一番最初の記憶だ。
それが、連綿と続いて、看護師になり、寺嫁になった。点と点はつながっていく。

「安楽死」に興味を持ったのは、10年以上のブランクを経て復帰した病院での勤務がきっかけだ。
「障害者病棟、にいってほしいんですが…大丈夫ですか?」
と、実におそるおそるといった感じで配属先を提示されたそこは、ひらたくいえば「植物状態」の人間がたくさん入院しているところだった。約50床のうち、40床が経管栄養。長期入院がほとんど。お亡くなりになる方がおられても、すぐに満床になる病棟。実際、私の後に配属された人の何人かは、メンタルをやられて転属・退職していった。
入院患者さんの中には、神経難病の方がいつも1人か2人はいた。お粗末なスペックの自助具、思い通りにいかない身体、全てを他人の手に委ねる生活。毎日毎日、じわりじわりと状態が悪くなっていく。この間まで食べられた形態の食事が食べられなくなっていく。人工呼吸器を拒否してなくなっていく。急変してなくなっていく。決してよくなることはない。疾患名に違いはあれど、みなさんそうだ。
良くなって退院することは、絶対に、なかった。変化なしか、悪化しての退院だ。

私は、彼らの姿を自分におきかえ、自分だったらどう対応してもらいたいか?そもそも、どのように治療や入院と向かっていきたいか?とよく考えていた。

もともと希死念慮のある私は、もし神経難病になったとしても、彼らのような療養生活は送れないかもしれない…と、うっすら感じていた。

NHKのドキュメンタリーとALS嘱託殺人事件

2018年、NHKにてスイスで安楽死を選んだ小島ミナさんのドキュメンタリー「彼女は安楽死を選んだ」が放送された。

関わられたジャーナリスト宮下洋一さんの著書
「安楽死を遂げるまで」

「安楽死を遂げた日本人」

を読み、

ブログ「多系統萎縮症がパートナーになっちゃった」

を読み、ミナさんが、安楽死を望んだひとたちが、どんな思いでいたのかを読み取ろうとした。
というのも、病棟では、このような話題はできなかったからだ。

また同時期においかけていたのが、ALS嘱託殺人事件の容疑者のひとりである大久保愉一容疑者のTwitterだ。


彼は「羆(ひぐま)」というハンドルで発信、「高齢者を枯らす技術」というブログや本を書いておられた(Amazonでは現在販売停止となっており、購入しなかったことを今も後悔している)。

「人間はいつか死ぬ。絶対に死ぬ。人間の死亡率は結局は100%なのだ。」とは、私が20歳の頃に聞いた講演会で緩和ケアの第一人者である柏木哲夫先生がおっしゃっていたことだ。

そう。私たちは、全員、いつかは死ぬのだ。

なのに、こんなに苦しんでいる患者さんがいるのはなぜなんだろう?

緩和ケアが提供されるのが「がん患者」だけなのはどうしてなのだろう?

今でこそ、ようやく心不全末期にも適用はされるようになったが、それでも適用条件が厳しい。

さらにいうなら、がん患者ですら、満足な緩和ケアは受けられない。

そもそも…なぜ、死ぬまで治療を受けないといけないのだろう?

生きなくてはいけない、命は大切だ…でも、それがいちばんの苦痛だとしたら、それを緩和することはできないのか?

ずっと、そんなことを考えていた。

治療や検査を拒否する患者さんとの関わり

病院で働いていると、ぜったいに遭遇するのが、治療や検査を拒否する患者さんだ。その中でも、認知症である患者さんには、「頭がはっきりしている」人より、強引にことをすすめることが多いように私個人としては感じている。

もちろん、そこには、気持ちをうまく切り替える言葉がけがあり、結果的に治療や検査をすすめることが回復や穏やかな最期につながることもあるのだが、それでも、治療や病院そのものを、かつて元気だった頃のこの人なら、きっと拒否しただろうなと思えることもあり、ひとの意思とはなんだろう…と私は思ってしまっている。

意思をいくら表明したとて、認知症になってしまえば、たやすく無視されてしまう「いや」「やりたくない」「食べたくない」。

尊厳ってどこにあるんだろうか?

(はい、こんなややこしいことを常々考えているのが私なんですよ本当に自分でも面倒臭いやっちゃな〜と思います)

ということで本の感想(長い(前振りも長い

そんなわけで、安楽死、意思表示、というトピックは、私にとって死とならんで興味のある分野だ。

著者のくらんけさんには、羆先生のTwitterから辿ったのが最初だったと思う。安楽死について発信し、試行錯誤される様子と、彼女のnoteを興味深く読んでいた(無料部分のみ)。

ライフサークルからの許可が出たがコロナで渡航できなくなり、じりじりとタイミングを待ち、ようやく2021年の8月末に渡航。

そして、決行せずに帰国されて、この本を書かれた。

「安楽死」というのだから、宮下洋一さんの書かれたルポルタージュのようなものかな…と気軽に読み始めたが、とにかく、詰まって、読めなかった。たいていの本は一気読みする私が、平易な日本語で書かれているにもかかわらず、だ。結局2週間近くをかけて少しずつ読んだ。

内容は多岐にわたる。病歴、学校生活のこと、大学病院での理不尽な「治療」、スイスへの渡航、大久保愉一先生とのやりとり、そして、一番読めなかったのがスイスへ同行されたお父様と、生活の介護のほとんどを担うお母様、お二人の手記だ。

安楽死の本ではなかった。

徹底的に、今まで、自らの意思を無視されることが当たり前だった著者が、自らの意思を貫こうとした、という本だった。

治療についての記述は、どれもこれも、ご本人の強い意思に基づいて行われたものではなかった、ただそれを最終的に受け入れざるをえない立場に追い込まれてのものもたくさんだった。親が子どもに治療を受けてほしいということそのものが、虐待ではないかとすら思えた。

インクルーシブ教育とかんたんにいうが、当事者の気持ち、お世話係の気持ち、そういったものに配慮はどうなんだろうか。小学生の子どもにお世話「係」をさせることは、そもそも適切なのだろうか。

教育者の不適切な態度。敏感に感じ取る子どもには、大人の思惑など全て見抜かれている。

子どもどうしでの適切な衝突がないまま成人するということ。

小児がんサバイバーの方達の、ある意味達観したような言動や振る舞いの理由が、「徹底的に意思を無視される」というところ、お世話「係」というような理不尽な扱いを受けるところ、関係あるんじゃないかと思った。

とにかく、濃度が、えぐい。

安楽死ではなく介助自殺であり自殺幇助

先にあげた多系統萎縮症を患った小島ミナさんも、この本を書かれたくらんけさんも、実際に自殺を試みられている。ミナさんは何度も、だ。
お二人がのぞんでいるのは「安楽死」ではなく、「自殺幇助」の結果としての安楽だった。
日本語で「安楽死」といったときの定義のふわふわさを、くらんけさんは本のいちばん最初で触れられている。そここそが、議論のはじまりであるべきではないか。

治療をのぞむかどうか。

どのように生きたいか。

その延長線上にある、安楽な死、そこまでの安楽な道のり。

ただ、それを望んで、貫こうとしている、31歳女性の姿がかかれた本だった。

安楽死を議論するには、必読書だと思う。何より、スイスで決行直前で、やめて、帰ってこれるという、自己決定。

がん患者で写真家の幡野広志さんも、猟銃自殺について書いている。

猟銃を所持していたからこそ「いつでも死ねる」、それが生きる支えになったというのだ。

神経難病では、死にたい、と思った瞬間には、もう自らの手で実行するのが難しい。

介助自殺の良さは、私は死にたいのだ。という意思表明とともに、周りの人間に気持ちの用意ができるところにあると思う。
家に帰ってきたら鴨居にぶら下がってたとか、しばらく連絡がなくてドアをあけたら異臭がしてたとか、行方不明を探したら変わり果てた姿で見つかったとか、そういう衝撃をずいぶんやわらげてくれると思う。

自らの最期を自らで決められる権利が日本にもほしい。

年をとった患者さんがたが「もうお迎えがきてほしいわあ」と言ったところで、家族の意向があれば、心臓マッサージに人工呼吸器というフルコースが待っている、なんてことはまだある話だ。

自らの意思決定が無視されるお国柄なんかもしれんなあ…とよく感じる。

どんな手段を講じても生きていたい!苦しい治療をしても、そこに一縷の望みがあるのなら賭けたい!という患者さんを支えるのは、今までの医療だとめちゃくちゃ得意だと思う。

けど、もうええわ、ほどほどで、とか、そういうのって全然実現させてくれへん。自然な経過に任せない老衰、悪液質に1日1500mlの輸液とか、緩和ケアのかの字も知らない、苦痛を増やすだけの「治療」。何が緩和ケアやねん、という現実を目の当たりにすることもある。

自らの最期を、自ら決められる権利。
私もほしいとしみじみ思いました。


誰かこの本読んだひとと、感想語り合いたいです。


投げ銭はいつでも歓迎でございます🙏