《翻訳トリビア~終戦記念日に寄せて》

トリビア:「黙殺」をうまく訳せなかったから、原爆投下を招いた(かもしれない)。

ポイント:翻訳によって歴史が変わった(かもしれない)例。


高校受験の夏。

先生:さぁ、今日の英語の授業はマンガだぞー!
生徒:やったー!

ガッツポーズのまま、もう片方の手で受けとった教材プリントには、広島原爆を題材にしたマンガ『はだしのゲン』の英訳版が刷られていました。

"あちら"の世界を知るだけじゃ足りんよ。"こちら"のことを"あちら"に理解してもらわにゃならん。だ・か・ら、英語を学ぶんじゃ。

先生の被爆体験談をからめた熱い授業は、受験には効き目が薄かったのですが(笑)、国際人マインドを芽ばえさせてくれるものでした。

その後、筆者が翻訳者として英語に携わるようになり、翻訳の先輩から原爆にまつわる誤訳トリビアを聞いたときも、恩師のメッセージを思いかえしていました。



第二次世界大戦の末期(1945年7月26日)、日本軍の無条件降伏を勧告するポツダム宣言が発せられます。これを受諾しなければ「迅速且つ完全なる壊滅あるのみ」と、連合国側からスゴまれました。

翌日、これに対する政府の見解として、鈴木貫太郎首相が記者会見で使った言葉は「黙殺する」。国内の通信社は「ignore it entirely(完全に無視する)」と訳し、海外通信社は「reject(拒絶する)」と報道しました。

こんな英訳じゃ、ポツダム宣言を拒んだと解釈されて当然、トンデモナイ誤訳だ、この誤訳のせいで原爆が落とされたんだ、という有力な説があります。

たしかに、日本語の「黙殺」には「知っているけど知らないフリ」という意味合いがあり、時間かせぎをしたかったのかもしれません。一方、「考えておきます」が断り文句になるのと同様、結局は拒否したい意図も見えます。どちらがホンネでどちらがタテマエなのかさえもが黙殺されてしまっています。

そんな日本語独特のあいまいさを持つ「黙殺」は、聞き手の都合によって何とでも解釈できる危険なフレーズのひとつ。今なら、翻訳者が機転をきかせて、「No comment.(ノーコメント)」とでも意訳するところでしょう。

しかし、当時の日本語の辞書には「ノーコメント」という項目はなく、英語の世界でも比較的新しい表現だったようです。ポツダム会談の出席者であり、奇しくもこの「黙殺」発言の日に政権交代で退陣したイギリスのチャーチル首相は、この便利な表現についてこう言い残しています。

I think 'No comment' is a splendid expression. I am using it again and again.
「ノーコメント」とは実にうまい言い回しだね。私は何度も使わせてもらっているよ。(訳:筆者)

本当に誤訳が原爆投下を招いたのか? ノーコメントと訳せば、原爆投下をまぬがれたのか? ひょっとして、どう答えようがどのみち原爆は落とされていたのではないか? などなど、歴史の真実は神のみぞ知るです。

ただ、英訳者として学んだ真実は、英語の「実にうまい言い回し」を、日々たくわえておかねばならない、ということ。"こちら"のことを"あちら"に理解してもらわにゃならんのですからね。

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以上、拙著『翻訳者はウソをつく!』「Chapter2 英語は都合よくウソをつく」より引用→ http://eigo.in/book


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