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書を読むと書いて読書

”書”という字が3つもあってだんだんゲシュタルト崩壊起こしそうなタイトルですが。

こんにちは。

私は読書が比較的好きな方です。昔は全然本とか読まなかったのですが、ここ2、3年で本を読む機会が増え、読む冊数が増えていくうちに、だんだんと中毒性が出てきて、変な脳内物質が出始め、読むことが好きになりました。でも、読むのは得意ではありません。よく寝落ちします。

そんなこんなで、日々読書をしていると十中八九考えてしまうことがあります。​

読書って意味あるの?

これです。

個人的には、意味なんてあってもなくてもどちらでも良くて、好きだから読んでいて、なんか良い効果があったらお得だな、くらいに軽い気持ちで考えてはいますが、かと言って何にも指針がないとそれはそれで不安になるものです。

そんなあなたにオススメしたいのがこちらの本です。

岩波文庫の古典。読書とは何か、本を書くこととは、について。
古典ですがかなり読みやすく、何より内容がとても面白いです。


読書とは

読書とは、つまるところ他人の考えを読むことである。本に書かれていることは、その本の作者の考え方であり、その作者がこうだと思う持論を読んでいることになる。問題提起から始まりそれに対する解答まで書かれているため、言うなれば問題集の解答を読んでいるような感じですね。

つまりは、本を読むことで他人の他人の考えに沿って思考が動き、たくさんの本を読むにつれ、自ら考え答えを出す力が弱くなるということだと本書で語られています。だから、多読はやめましょうとハウエルさんはおっしゃっています。

これは確かに理解できます。

世にある様々なキャッチーな本を読み漁ると、他人の考えでかつ表層的知識だけを捉え、さも自分の考えかの如く語るようになり、分かった気になるが、しかし詰まるところ自分の中で咀嚼して、自分の言葉として解釈しているわけではないので、本質は理解できていない。どこか空虚な自分を感じてしまう。


では、読書は意味がないのか?


とは言え読書は面白いですよね。本書では、表層的には、読書は悪みたいな書かれ方をしていますが、必ずしもそういうわけではなく、やたらめったら読むのはやめましょうというのが重要なところだと思います。つまりは、良い本を厳選してしっかりと自らの血肉となるように読むこと、が真に重要なことだと思います。

他人と考え方をなぞるだけでは意味がないが、読書をしないと考え方が凝り固まってしまうので、視野を広げるためには必要、でもそれは良書であるべきで、話のネタ探しに本を読むのでは本末転倒であると。

売れてる本を読もうとする行為は、みんなと同じ考え方になりたい、共通言語で話したい、会話を共有したいということであり、それはつまるところみんなの集合的人格により近づいていく過程で、多数派になる事で他者と均一になる事を加速させる。結局は個性が薄まる方向へ向かっていく。

総合的に考えると、
できるかぎり、客観的事実に基づいた本、信頼できる著書の本、曖昧な表現や簡易すぎる表現で逃げていない本などをいっぱい読みましょう。
そして自分の中で、悪書がどういうものか何となくの判断基準が形成され始めたら、あとはただそれらを避ければ良い。さすれば、自ずと良書だけに時間を費やす事ができる。

読んだ冊数では語れない、物事の本質を追求しよう。それによって自己肯定感で満たされれば幸せなのだ。

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