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自己肯定感

 COVID-19が流行してから、6か月ぶりに親友とネットで一緒にビールを飲みました。それまで、よく一人で犬と猫を守れたと自分を褒めて上げました。私は否定されながら育ってしまったので、自尊心は皆無でした。性同一性という個性は私の生まれた時代には存在さえ知られていなかったのです。

 私は女性ホルモンを使わないで、現在に至ります。それは、美の追求でもありました。筋肉が着かないように、できるだけ運動をしないように生活していたのです。そして、どうしても必要だった手術を受け、現在に至ります。そんな私でも、愛してくれる素敵な夫と出会えたことに感謝しています。手術にはリスクは付き物で、喉仏だけはどうしても隠したかった。たった、それがあるだけで差別や偏見を受けたことがあります

 人と違うということは、個性だと割り切れなかったのです。私が手術したのは、顎のインプラント、胸のインプラント。これも何も知識がなかったからこそ、容易く決めたのです。でもね、ありのままを愛してくれる人って、どこかに居ると思うんです。傷ついた分だけ、人には優しくなれます。優しすぎるというのは、良いことなのですが不都合な面もあったりするのですね。

 生活保護より低いお金で暮らしていましたから、何でも手作りでした。夫の帽子を作ったり、それを喜んで身につけてくれることが幸せ。そして、髪の毛も18歳から33歳まで私が切っていましたから、お金はかからなかったのです。そして、ジャムを作ったり、夫に料理を作ってもらったり、とても幸せな日々でした。

 たまに思うんです。お金なんか無い世界だったら幸せは続いていたんだろうと。私は親族でお金の争いや、お金で失敗してきた人を沢山見てきましたから、お金という存在が怖かったのです。でも、節約というのも楽しかったんですよ。喜んでくれる人が居れば、節約というスキルなんです。

 「私にはもったいない人」だとずっと思っていましたから、どうしても彼の夢を成功させてあげたかった。全力でした。運命の人と出会えた自分と、自己犠牲で生きてきた夫を褒めてあげたいのです。お互い足りなかった自尊心。だからこそ、強い結びつきだったのだと思います。

 私のスキルを上げてくれたのは夫です。すごく頭が良くて、天才でした。ただ、相談をすることを知らなかったのです。それが悔やまれてなりません。私が頑張れば頑張るほど、相談はできなかったのだと思います。女性男性関係なく、人を立てて上げることは大切なことです。日本らしい美だと私は思っています。人を建てるということは、尊重することです。

 私が選んで、夫が選んでくれたこと、とても感謝しています。そして、失った時に、支えてくれた親友のことは絶対に忘れません。

 ただ、思いダンボール箱が届いた時、それを動かせなかったこと。なんでも話せる人が身近にいないことは、すごく辛いことでした。辛いと思えることって、自分のことを考えることが出来ている証なんです。「あ、自分のことを考えてる!」と気づいた時、まだ自分を大切に出来ている証なんですよ。

 私の自尊心は夫が与えてくれたんです。まだ、大丈夫とは言えない。でも、確実に前へ進んだんですね。

 個性とは、愛を認めることなのかも知れません。12歳年下の親友が、私より大人になっていたこと。そして、立派な母になっていたこと。科学者よりも信憑性のある考えを学んでいたこと。愛というスキルは万能です。人は居るだけで有り難いものです。射ないとしても有り難いこと。


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