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2.早く大人になりたい(中学生時代)徐々に落ちこばれていく・逃げ場がない子ども

小学3年生で引っ越しをした
引っ越し先が近場だったので転校することもなく家が新しくなった。祖母の家から離れたことや祖父が亡くなったこと(祖父が亡くなったときの話ー更新予定ー)もあり、私は某宗教からも離れることができた。その活動に父は反対していたし、これで一つ自分は自由になれたそんな感覚もあった。しかし子どもの頃の刷り込みと一度ついた印象は自分や周りを変えてくれることはなかった。

中学生になったら
急に先輩・後輩という見えない階級みたいなのができる。入学してすぐ、先輩に呼び出された。小学校の頃から中二病だった私の存在は、先輩にとって生意気で鬱陶しい存在だったんだと思う。
『あんたは問題起こしそうじゃけい、運動部にははいらんでな』
たくさんの先輩に囲まれていた。問題を起こすと試合に出られなくなるから、問題児のあなたのような人に入部されると迷惑だとスポーツ系の部活の先輩はみんな言っていると言われた。
『じゃけいなに?頼まれても入らんし』
怖いなって思ったけど、日常的に暴言や暴力を受けていると、父より怖いものはなかった。本当に可愛くない子どもだったと思う。私は吹奏楽部に入った。やりたくもない部活。学校が嫌いになり始めた。

先生とか大人について
子どもの頃から大人や学校の先生とかに好かれたことがない。だから呼び出されたことも親や先生には話なかった。感覚的に言ってもどうにもならないことはわかっていた。小学校の時も女の子特有の無視や仲間はずれがひどくなった時も、助けてはくれなかったし、逆に先生が気に入ってる子に何かあれば私は注意を受けた。そんな記憶がある。私は早くから尾崎豊みたいなことを思っていた。中学はブルーハーツが支えてくれた。大人でもわかってくれる人がいるはずだって思えたのは、甲本ヒロトがいたからだ。

人と違うこと
違いは、自分自身の恥ずかしいところだ。そんな思いがあった。祖母が近所でも布教活動をしていること、親に褒めてもらえない存在であること、自分自身視力が悪く眼鏡をかけていること(この頃は小学生から眼鏡をかけている子どもはクラスに1、2人だった)今じゃ考えられないけど、『眼鏡ザル』って言われることがすごくつらく感じた。ブスって言われている気がしていた。親からも教師からも先輩からも友達からも、認められていないと感じていた。そんなことが思春期も相まって自分は運が悪い人生だっていつも思っていた。だけど、その反面大人になれば何かが変わるんじゃないかって期待があった。こんな田舎にいるからこんな思いするんだとか思うことで現実逃避をしていた。

楽しくない学校 
学校を休みがちになっていた。朝、父が出勤したら、母に『頭が痛い。学校休む』とよく言っていた。母は何も言わず学校に電話してくれた。私に関心がなかったのか、めんどくさかったのかわからないけど、何も聞かず学校を休ませてくれたことに私は今感謝している。言葉には出来ない感覚的なモノで登校したくなかったので、色々聞かれていたら生きていられなかったかもしれない。そして父には言わずにいてくれた。ほっとした。
友達もいたし、好きな子(小5から18歳まで同じ人が好きだった話ー更新予定ー)もいた。いじめられてた訳でもない。ただ家でじっとしていたい。誰にも会いたくない。今思えば鬱症状だったのかもしれない。

下がる成績・高校受験が迫る
休み休みでもなんとか学校に行っていた。そんな状態なので成績は下がっていった。小学校の時は成績は良い方だったからどうにかなると思っていたけど、どうにもなってなかった。どれくらい下がったかというと、成績表をもらって帰ってきた日に、父に成績表をビリビリに破かれるくらい悪くなっていた。この出来事も私にとって大きな出来事だった。勉強の出来ない自分、親の期待に答えることの出来ない自分。そして、この破られてしまった成績表のことを先生に言わなくてはいけないという気まずさ。そして高校受験が迫る。

高校受験
私立の滑り止めは受かったけど、遠方で通学するとなると早朝に電車に乗らないといけないような場所にあった。公立高校ならどこも自転車でいける。公立高校に行くように父からは言われていた。少しチャレンジするかたちで、大半の子が行く公立高校を受けるか、誰でも受かる偏差値の低い高校を受けるか選択を迫られていた。『絶対受かるところでいいか』諦めモード全開だった。受験失敗してまた怒られるのが嫌だった。親の期待を裏切ることに後ろめたさも感じた。3年経てば卒業するしどうでもいいやどうせバカだし、そんな気持ちだった。

親になって思うこと
私は学歴コンプレックスがある。うちの息子は小さい時から勉強が好きだった。公文のプリントをすごい量やって先生にびっくりされたり、世界の国の名前を覚えて、首都や国旗も勝手に覚えて、私に教えてくれるような幼稚園児だった。すごいなぁって嬉しくなった。中学受験をしたいと小学校の低学年から言い出すような子どもで勝手にやっているんだけど、私は周りの人から教育ママと言われた。中学受験のための塾を探し、送り迎えをし夏休みや冬休みには1日中塾で勉強するため、お弁当を持たせ、夜の分は出来立てのお弁当を塾まで届けるような生活をした。中学受験を経験したことある方ならわかると思うが、受験の中で1番過酷だと思う。本人だけじゃなく家族全員がヒリヒリする。それが3、4年続く。その大切な受験を私は失敗させている。中学受験の失敗は親の責任だと思った。私が頑張ったことのない類のことだったから、うまくサポートできなかったと思った。(中学受験ー更新予定)それもひっくるめて、受験は本人が全て決定することが一番大切だと思う。自分の時も親の意向が強くしんどい選択だった。息子の時も結果的に私が口を出してしまった。受験については受ける本人が最終的に全て決めることが重要なんだと今なら思える。中学生活は燃え尽き症候群みたいになって、努力は報われないという思いが強くなったようで、中3になるまで全然勉強をしなかった。賢い子どもを持つ親の気持ちも勉強しない子どもを持つ不安も経験した。3年の秋から息子は変わった。昔に戻ったみたいに楽しく勉強を始めた。お友達や塾の先生のおかげだと思う。この春息子は公立中学から、第一志望の高校に合格することができた。

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