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1. 虐待的な関わりと宗教・親とは何か?(〜小学校)


一番古い記憶
一番古い記憶は、祖母に連れられて、某宗教の活動をしていたものになります。祖母はその活動である程度のポジションにいたようで、毎日、困っている人の家に訪問行ったり、家にはいつもたくさんの人がいつも集まっていました。私の父は自営業をしていて、母は看護師。同じ敷地内の隣に自宅があったので、昼間は祖父母の家で過ごし、夜は家族と一緒という生活でした。

人と違うと良くないという感覚
でも宗教の制約や周りからの偏見は小学生になった私にとって辛いことが多くありました。『あそこは宗教してるからね』と友達の親から言われたり、友達から宗教のことを言われて疎遠になったり、楽しみにしてた秋祭りも神社のお祭り行っちゃだめだとか、宗教絡みで嫌な思いや人とは違うんだって疎外感みたいなものを感じたりしてました。このことで仲間に入れてもらえないとか人から変な目で見られるという感覚を経験しました。その時私はどう感じていたのか?あまり思い出せないけど、人と違うと良くないというような感覚が残りました。

信じるものがあると強い
でも悪いことばかりではなかった。宗教は制限があったり複雑な人間関係があったり大人はするけど、子どもだった私は同じくらいの年齢の子が体験しないこともいっぱい経験できた。神様とか使命とか祈りとか、目に見えないものを信じることが
そんなに難しくなかった。信じるものが在ることの強さや同じものを信じる組織の強さを知りました。

いろんな話を聞く日常
そんな宗教的な集まりの時は、生死をさまよった病気の話借金や不倫や浮気、それに伴う離婚から現在の生き方などの話を聞くことも多くあった。小さい頃から結構ハードめな話を聞いたりした。そして、家では母親が仕事から帰ると、病気の話や
看護師の仕事についてなどの話をしてくれたことで私は4歳にして、看護師になると決めて一度もそこは変わることなくその後看護師になるのです。

誰も助けてはくれない
看護師に魅力を感じたのは、自立できるという理由もあったと思う。小さいことから、父はよく暴力をふるった。説教が始まると深夜まで長時間怒られることもあった。それは高校卒業まで続く。母は助けてはくれなかった。その時は幼心に、
私が悪いから怒られているんだ。お母さんもお父さんに怒られるのが怖いから何も言わないんだって何も気にならなかった。自分が悪いから叩かれる。怒られる。
それが当たり前。怖いし嫌だったけど仕方ない事と思っていた。『私が悪い』
口ごたえをするから、家のお手伝いをしないから、そんな理由で怒られていたんだと思う。

今思えば虐待だ
手足を縛られて山に捨てられそうになったこと、顔を何回も殴られて3日くらい学校に行けなかったこと、朝まで正座して説教をされたこと、寝るのが早いと起こされて勉強をすることを強要されたこと、大声で否定されること。
努力と結果が見えないことは悪いことなんだって思った。父を苦しめているのは私なのかもしれないと思うことさえあった。親の期待や言いつけを守れない自分は出来が悪い子どもなんだって思った。そんな日が多くあった。怒ると手に負えない父を止める人はいない。助けてくれる人は誰もいなかった。

100%悪い人はいない
その後家を出て、自立した私を父が怒ることはなかった。子どもを育てることや心配する気持ち、思い通りにならないことでイライラして、感情のコントロールが効かないそんな状態だったのかもしれない。殴られて育った人、満足な愛情が受けられずに育つと、与えることが上手くできないのかもしれない。父はその典型だ。戦後生まれで時代的にも大変な時だったんだと思う。

いなくなって考えること
ただ父は、私たち子どもの可能性を最大限に引き出したいとやりたいことはなんでもさせてくれた。習い事や子どもの挑戦は惜しみなく応援してくれた。よく話もした親子だと思う。とても不器用な人だったのかもしれない。
父が亡くなった今そんなふうに感じている。


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