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わたしと合理的配慮

こんばんは。わたしです。

言葉にならないモヤモヤが澱のように凝って、タイトル画像を作ってから2週間以上記事を熟成させていたら、タイトルと中身があまり一致していないかも…なんて気づいてしまいましたが、良かったら読んでね。

ルックバックについて

あのね、ルックバックの記事覚えてます?
わたしと当事者意識】この記事の1つ目の話題です。
これね、書き換えられたんですって。
犯人は『思うように絵をかけなくなり病んだ幻聴に支配された精神疾患の男性』ではなく『殺意を持て余した健常者の男性』になった。

これね、良くないと思うの。わたしは。
作品のレベルとか、筆者の言いたいことが、とかじゃなくてね『声を上げさえすれば精神疾患の障害者を特別扱いしてもらえる』という前例をこさえてしまったってこと。
だって、『殺意を持て余した健常者』は、世の中にごまんといる訳じゃないですか。口に出さないだけで(しねよ)みたいな事を考えたことない人ってあんまり居ないと思うの。そういう『健常者』は犯罪者として描写してよくて、『ハンデを持っている人』は犯罪者として描写してはいけない。って、そもそもが差別じゃない?

そもそも【創作の世界】に於いては何が起きても【虚構】なわけで、世界にそれが発表されたら賛否両論起こるのが自然でしょ?それなのに賛否両論の否の部分の声にだけ応えた訳じゃないですか。変でしょ?
社会が、ひいてはオトナが『これは虚構だよ、人殺しはやってはいけないよ』と教えるだけでいいのに、『精神疾患を抱える障害者が殺人を起こしやすいと誤認されかねない』ってのは、オトナが既に教育されてない或いは学ぶ気がないから、与えられた虚構をマルっと信じてます。子供を教育する気もありません。っていう、最大限の手抜きじゃないか。

最初にリンク貼った記事に、Twitterでのわたし(当事者兼表現活動者)とAさん(当事者兼支援施設勤務)の感想合戦が転記されています。
こういう感想合戦があって普通だし、賛否両論から学びを得て子どもたちを育んでいくのがオトナの役目でしょ?

そもそも、世の中に【障害者】と【健常者】を【被保護対象】と【保護者】みたいな構図を当たり前だと勝手に考える当事者たち(障害当事者、健常当事者)が蔓延ってるから『障害者を犯罪者として描くのは虚構だとしても許されい』なんて馬鹿馬鹿しい話が湧いてでるんじゃない?

ってことは、オトナが障害者に対しての学び不足なのよ。
差別しちゃいけないってのは特別扱いしないってことでも特別扱いするってことでもないよ?


合理的配慮について


で、ここで考えるのが合理的配慮なの。
合理的配慮ってのは、特別扱いでも平等でもなく、公平の考え方。

例えば、視力が弱い人はメガネが発明されるまでは視覚障害者でしょ?メガネをかけても普通なのは合理的配慮。
【メガネかけてない子が羨ましがるからかけるな!】
っていう先生は居ないでしょ?

ってことは、
【識字障害/書字障害があるからタブレット端末を使いたい】
っていうのも【メガネをかけたい】って訴えと同じ。
なのに、これはダメなのが現状。

【骨折したから松葉杖使いたい】
っていうのは認められるのに、
【算数障害があるから電卓使いたい】
は認められない。

わたしは算数障害があって、文章題から式を立てるのは国語力でなんとかなるけど、計算が出来ない。
グラフや展開図とかの意味はわかっても計算が出来ない。
化学もめちゃくちゃ好きなのにmolとかの計算で答えが合わない。
電卓が計算してくれれば、式が正しいから答えは正しくなるのに。

学校は【解き方】【考え方】を学ぶところじゃないの?
それを理解してるけど、脳の機能の問題で計算が出来ないってだけで落第者の烙印を押されるなんて…。

こういうことの積み重ねで、発達障害や局部的な学習障害を持つ人達が2次障害でうつ病を発症したり、適応障害を発症したりする。

もっと、日本が他人に寛容になればいいのに。
平等の精神じゃなくて、公平の精神を持てばいいのに。

ワクチンだって、平等にこだわるから都道府県市町村足並み揃えなきゃっていって足を引っ張りあってるじゃない。
そうじゃなくて、公平さでしょ?今必要なのは。

そんな感じ。

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