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「全部書く」

植本一子さんの日記の話をしたり、全部書くことをしているひとの話を聞いたりして。

全部書く、の全部ってなんだろう。
そりゃあ無理よ、などと思いながら、けど書いてみることにした。

岸本さんのエッセイにもあるように、残そうとしなければ消えてしまうのだ。誰も知らないまま、わたしすらもきっといつか忘れてしまう。

今日は装丁の案を出力しまくりたくて、会社へ。
たくさん出してたくさん検証するぞう、とはりきっていたのに、昨日の夜に「ああ、これじゃないかな」と眠くなりながらもはっきり思ったものを出してみたら100%の気持ちで「できた」と思えた。
そしてものすごくどきどきした。
いやいや興奮しているだけかも、と思ってしばらく知らんぷりして寝かせてみたり、会社のラウンジに持っていって違う光の下で見てみたりもしたけど、やっぱりできていた。

うれしい。

ずっと好きなものや、最近入ってきたものたちが絡まり合って一つになった感覚があった。


あれこれしていたら遅くなってしまったお昼は、野菜が食べたくてひとりでベトナム料理屋さんへ。
野菜の量が一番多いセットを頼んだ。
生春巻きと、野菜スープと、野菜と海老とフォーの麺を炒めたもの。
お店はガラガラ。それは良いのだけど、ごはんがおいしくなくてしょんぼりしてしまった。失敗しちゃってごめんよ、わたし(からだ・きもち)。

本屋さんで気になっていた「ブルースだってただの唄」を買って、
あやうく甘いものを買いそうになるやさぐれた気持ちをおさえて、珈琲屋さんでカフェオレを買って戻る。

明日はお昼のついでに気になっている古本屋さんへいけたらいいなあ。
本当は今日も写真展に寄りたい気持ちがあったけど、なんとなく、自粛。
それよりもちゃんとおいしいごはんを作りたくなってしまった。

年が明けてから本をとても良いものにしたい気持ちでずっとそわそわしている。なんだか凶暴といってもいいくらいの熱量。
インプットとアウトプットのバランスを上手に取りながら作っていけますように。決して健康は損なわずに。


こわさがうれしさになる瞬間がもっともっとほしい。

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