楽園への夢うつつ

 死んでいたのかもしれないと思う程、穏やかな朝がある。カーテンを開けているわけではないのに隙間から一直線に入り込んでくるただ優しいだけの日の光と、うっすらと冷たい顔に当たる空気。休日の何も予定が入っていない早朝に、文字通り空っぽの自身を感じられるからかもしれない。布団に横たわった四肢は、微動だにせずぼうっと天井を見つめることになる。コンタクトをつけていないぼやけきった視界が伝えてくる光景に情報は無い。消音モードのアイフォンが横たわっている。いっそ死後の世界ならこの後やるべきことを考える必要はないのだが、そうではないから起きる必要がある。右手は頭皮に、左手は腹部に。ボッティチェリのヴィーナスには程遠い、パジャマの隙間から腹の出た女の寝起きがただ存在しているだけだった。この、楽園とは程遠い光景を第三者視点で見ることがあったなら絶望して死んでしまいたくなるだろう。

 出勤日は尚更、穏やかに死期を早めている。毎朝一時間の仮眠を取るのだ。二度寝にしては少し間が開いているし、仮眠というには長いような気もするが私の生活には必要な一時間である。出勤前の支度を全て整えた後、薄い敷布団に横たわり、重い身体に更に重い布団をかけて目を閉じる。そうするとほぼ百パーセントの確立でレム睡眠なのだろう。夢を見ている。

 明晰夢がほとんど無いのは元来夢見がちだからか、単に私が鈍いからなのかは分からない。ただ楽しい夢ではないことは確かなのだ。目が覚めても数分ぼうっとし、今までの出来事は実際に起きていないものだということを脳に擦りこませる。汗だくになっているシャツや靴下の中の指先一本一本に言い聞かせるようにして、私は身体を起こすのだ。

 目の下の隈、カラカラの口内、なぜか出来ている左ひざの青痣。これらは現実の私に物理的な証拠となって表れている。それなのに、上司に的確なアドバイス込みの説教を受けている瞬間より、口いっぱいに砂利を詰め込まれている質感の方がリアルに思えるのだ。だからなのか、目覚めた瞬間の現実に絶望する。生活は長い。出勤をして仕事を終えて諸々の支度を済ませなければまたここに戻ってくることが出来ない。布団を出る前から布団に帰りたいと思っている。社会人になってからは特に「目が覚めなければいいのに」と思う頻度が高い。例え説教されていても砂利で口を開くことが出来なかったとしても、温い布団の中の仮想現実に留まっていたいのだ。起き上がった瞬間に込み上げてくる吐き気と生臭い自身の内側のにおいと、節々の痛みは年々増しているような気がする。職場に付いたら自分の立ち位置の確認で夢どころでは無いというのに、年を重ねていけば行くほど現実から逃げようと布団に戻りたくて必死である。

 私を無理矢理生かし、首根っこを引っ張っているのはきっとアイフォンの通知音なのだ。溜まった仕事の連絡を確認するごとに、眉間の皺が増えていく。一件消してはまた溜まっていく業務連絡を一気に処理できる能力は生憎私に備わっていない。諦めてトーストでも焼こうとする時にはもう穏やかな朝は終わりを迎えていて、隣の部屋の人がバタバタと動き出す音が聞こえる。外からは車のエンジン音とキジバトの鳴き声と、男子中学生の一言、二言が自転車で走り抜けていく。

「お前うざーっ」と聞こえたのを合図に台所へ歩みを進めた。

 まあその通りだよな、と思いながらSNSに目を通し始める。結局まんまの食パンとインスタントコーヒーを貪る。シーツにボロボロと零れているパンくずを人差し指にくっつけながら溜息を吐くと、大体午前も後半に差し掛かっているのだ。

 昨晩の事切れてからの安らぎを知りたいものだ。私の知らないところで、私はヴィーナスになれていたのか。浴室へ向かうため、布団を畳む。髪の毛も爪の薄皮も落ち切っていなかった化粧も、いろんなものがシーツにぼろぼろと零れていたけれど押し込むようにして畳んだ。引っ越してから一度も入っていない浴室に、今日くらいお湯を溜めてみるかと思っている。シャワーの蛇口を捻る頃にはすっかり忘れているくせに。

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