106 パーキング

 パーカーの右ポケットに入れっぱなしにしていた鍵を投げつけた。当てるつもりだった。迫力など全くないまま、コンクリートの上にカシャンと鳴って落ちる。
「赤ちゃんかよ」
 感謝の言葉は無いようだ。こちらを睨むこともせず、ユリカはあっさりとパーキングに向かった。かっこつけんな。背中にぶつけるつもりだった恨み言も、右手に引っ掛けられたキーホルダーを見ているうちにタイミングを逃した。ヒールの音が軽自動車のドア音に消え、すぐにエンジン音に変わった。もう会わなくなるのか。あれが手元に無い自分を想像すると、頬が熱くなって背筋がぞくぞくした。くそだせぇデザインにされた気の強そうな顔面の女の元ネタはどっかの国のアイドルらしい。半年前、彼女は大事そうにそのラバー部分を除光液で拭いていた。自身のマニキュアを拭き取るでもなく、わざわざそれに液を使うのかと横目で見ていたら「良いっしょ」と自慢げな顔をした。
「興味ねぇ」
「まあ、最初はあたしもそうだった」
 画面には手足の長細い女の集団がいて、ビカビカした映像に目を細めた。短い丈の衣装と、高いヒール。怖い顔をした小顔の女が、画面越しにメンチをきっている。お前そういうのが好きだったんだ。ぽつりとこぼしたわたしの幼稚さも、ユリカには合わなかったのだろうか。聞き覚えの無い言語で綴られたラップパートの上に、業務内容を通知する連絡が飛んできていた。出張なんて、このご時世に存在するのか。月が経つごと話題に出される名称に自分の居場所が無くなった。上司と同期と後輩の近況。別の家にある車を毎月わざわざここに持ってきてやる自分が惨めに思えた。終わりだ、終わり。グレーのスーツと伸びた焦げ茶色の髪の毛を見た瞬間に、反射的に投げつけてしまった。
 鼻をすすりながら駅に背を向ける。背後からクラクションが幾度か鳴ったが、無視して歩みを進めた。左ポケットからスマホを出すと見覚えのあるアイコンから通知がきていた。
『小銭が無いので貸してください。ラーメンおごります』
「かっこわる」
 精算機の前でうろたえるユリカが必死にこちらに手を振っている。後続車にクラクションを鳴らされ続けている様がおかしい。一歩ずつ軽自動車に近づく自身の足下にあるコンクリートを見ながら、耐えきれず笑い声が漏れた。

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