「日本のメディアの矜持は」

 メディアはかつて第4の権力と言われてい時の時の権力をその言論の力で監視し、国民に未来に向けた情報発信する役割を担っていた(かもしれない?)。
 本来なら、メディアは、政治に関わる金の流れの監視、政治家の行動の牽制さらには、今のように国会の議論が矮小な方向に流れるときには、日本の未来に向けての問題提起を各媒体を通じてなされるべきである。
 が、しかし、今では権力の番犬に成り下がり、決して権力の息の根を止める批判はしなくなった。そればかりか、戦後延々と続く権力が危うくなれば、そのお先棒を担ぎ、批判者を牽制する論陣を張ったり、権力が漏らした批判する人のスキャンダルを煽ることで権力の延命を助けてきたのだ。
 もはや今では、自ら特ダネを探る努力をすることなく、記者クラブという謂わば権力側から公認されたメディアに情報を垂れ流されるシステムに安住することによって、メディアの手足を縛られてきたのだ。
そして、記者クラブに入れない新興メディアやフリーランスの記者たちがそのシステムを批判したり、行動を起こしたりすると既成の大手メディアが先陣を切って、その人たちを牽制するのだ。
 2024年の「報道の自由度ランキング」が世界70位でG7最下位なのは政府だけではなく、大手メディアの責任でもあるのだ。
 これでは、権力を鋭く批判追及することはできず、またかつてのように「大本営発表」を延々と報道して日本を破滅の道に落とし込んだ悪夢を再び見ることになりそうだ。
この状況に恥じる心を持つ大手メディア記者の奮起を期待したい、が・・・???
 

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