ないものにするのは自分にとって不健全#131
なんか上手く動けていないことに、SSCの仲間から色々フィードバックいただいて気付きがあった。
どうやら私は焦っていたようだ。計画通りいかないことに対して焦りがあり恐れもある。
不思議と気付けるだけで、こうしたいというのが出て解消された感じがある。
昨日もボクササイズという新しい体験をして思ったのだが、私は自分で気づいていない感情がまだまだある。
たとえばわかりやすい話、有名にならなくていいといいながら、ないたい欲求がないと言えばそれは嘘になる。
有名になること、影響力をもつこと自体が目的化してしまうと、大切にしたいことが大切にできず悲しくなってしまうことを避けたいだけで、結果として、有名で影響力があることは、それはそれで嬉しい。
だから発達すればするほど、欲は小さくなっていくのだが、あるにはある。
優先順位は低いが、それを認めたほうが健全だし、ないものにすると自分にとって不健全に思う。
それこそ、発達は「含んで超える」のであって、過去の欲も実はあってその受けとめ方、認知そのものが変わっていっているのだろう。
人間でいる限り煩悩はあって、ブッダも常に修行中であるといっていた。
いつまで立っても自分の煩悩を認め受けとめつつも、その境地への道を大切にしたい。
2021年4月18日の日記より
2021年4月24日
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?