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久石譲コンサート。交響曲に包まれて#424

7月29日、人生に一度は久石譲のコンサートに行きたいと思っていた小さな夢がかなった。

家で、目を瞑り、しっぽりと久石譲を聴くだけで泣けそうになるのに、生で聴いたらあたしはどうなってしまうんだろうか。

想像もつかない。

17時半開場。

フェスティバルホールに初めてきた。

入口の豪華なレッドカーペットを見るだけで、良い意味でゾクゾクっと毛が逆立ち、ひとり気持ちが高ぶる。

18時半開演。

プログラムは「水の旅人」で始まった。

なんと始まりにふさわしい曲なんだろうか。

目を瞑ると、身体が上下にゾクゾクしているのがわかる。

ついに始まったんだぁ・・・と、胸が熱くなった。

オーケストラの楽しみ方

オーケストラの楽しみ方はきっと色々ある。

始まってみると、右隣の人が、とても前のめりでオーケストラを見ている。

自然と目に入ってきた。

私も途中そうしていたが、おそらく右隣の人も、今誰がどんな音を出しているのか、指揮の動きとどう作用しているのか、後ろの打楽器の人はちょこちょこ動くのをみたり、そういうのも楽しい。

それから、パンフレットを読み込むのもいいだろう。

久石さんが今回のコンサートへの想いなんかも書かれてある。

今回でいえば、久石さんは、親しかった大林宣彦が2020年に他界されたことから、愛しむ想いを込めているようだ。

そうすれば、別の音色になるかもしれない。

けれども、僕が大事にしたい聴き方は、そうじゃないよねと、途中で思い始める。

東洋哲学の言い方でいえば、表層意識ではなく、深層意識で聴くんだ。

目で見るんじゃなくて、心の目、心眼でみる。

鼓膜を震わせて聞くんじゃなくて、心を震わせて。

奏でられる音を全身で感じながら、内へ内へ入れていく。心へ、魂へ。

すると交響曲が壮大な世界へ連れて行ってくれる。

一番最後に流れた曲は、「World Dreams」なんて、そのために作られたんじゃないだろうかと思う。

自然に、わたしたちを世界へ連れていってくれる。

今聴いても、なぜか涙が出そうになる。

どういう気持ちなのかとかわからない。

音がその時の私の意識と呼応して、聴くたびに立ち現れてくるものも違う。

けど、この曲は、いつも世界へ連れていってくれる。

それは、私の中では、悲痛にも繋がることでもある。

この世界に起きている戦争をはじめとした時代の病が至る所にあるから。

それでも、この世界は何億と、奇跡を積み重ねて、脈々と続いてきている。
ずーっと受け継がれてきている。

わたしたちが今、当たり前のように生きているこの世界は、とんでもない何かに支え続けられ、広大無辺の神秘の中に生きているのだ、ということ感じさせてくれる。

あぁ、なんて世界に生きているんだろう。。。

「調和」

家に帰ってパンフレットを改めてみると、「調和」の文字があった。

なんて深い言葉なんだろうと思う。

わたしには到底語り得ない。

けど、きっと調和なるものは、生きとし生けるものの「いのち」に流れているんだろう。

2022年7月30日の日記より

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