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アーティスト・インタビューvol.2 : オルガニスト 冨田一樹さん

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オルガニスト冨田一樹さん(同志社中学校・高等学校グレイス・チャペルにて)  

オルガニストの冨田一樹さんに、現在の活動について、演奏に向き合う姿勢、オルガンやオルガン作品の変遷について等、沢山お尋ねしました。一部専門的な内容を含みますが、冨田さんの音楽観に迫れる濃密なロングインタビューになりました。

インタビュー:2022年2月グレイス・チャペルにて 聞き手:佐川 淳

佐川:冨田さんは 2019 年のチャペルコンサートシリーズで初めて本校で演奏して下さったのですが、その後世の中の状況がすっかり変わってしまいました。演奏家として、コロナで変わったと感じられることはありますか。

冨田:コンサートはあるのですが、やはりちょっと少なくなっています。2020 年の 1月の本番を最後に、僕は半年以上舞台に立てなかったです。そこから演奏会の数も戻ってきましたが、色々とやりにくさを感じます。

ハーモニーへの意識

佐川:音楽的なことについてお尋ねします。冨田さんは和声に強い関心を持たれていて、和声の変化に音楽のドラマを見出し、それを軸に音楽を作っておられるように感じます。そうした音楽の捉え方が、冨田さんの最大の魅力だと私は思っていますが、ご自身ではどのように意識されているのでしょう。

冨田:確かにそうですね。僕はもともとバッハに出会った時からハーモニーが好きだったんですよ。和音に興味があったんです。例えば有名なバッハの「トッカータとフーガニ短調」には「ティラリー」というのが 3 回あって、ペダルが鳴り、その上に減 7 の和音が鳴ります。なんか「やったらあかんことをしている感じ」がしたんです。


佐川:やってはいけないことやっている!(笑)


冨田:そこからハーモニーに興味を持ちました。特にクラシック音楽はハーモニー抜きには語れないことに気付き、和声法はとても真面目に勉強しました。和声や対位法を勉強しながら自分も何か曲が作れないかと色々試行錯誤すると、どんどん楽しくなってやめられなくなりました。
特に僕がハーモニーを意識して演奏するようになったのは、バッハコンクールに出場した頃からです。それまでも意識していましたけど、演奏には今ほど表れていなかったと思います。

バッハ国際コンクールのとき、参加者はライプツィヒの音楽大学の練習室で何時間か練習できるんです。すると、練習中に隣の部屋から別の参加者の音が聞こえてくるんです。その時に、「皆あんまりハーモニーのこと考えてないな」と感じ、「ハーモニーをもっと意識しながら演奏した方が差別化が図れる」と思ったんです。僕がラウンドを上がっていって1位を取れたのも、あの時の気付きがあったからだと思っています。ハーモニーを大事にする弾き方はコンクールの後、自分の個性としてさらに意識するようになりました。

マルチに考えるということ


冨田:音楽は本当にいろんなエッセンスで成り立っています。ハーモニー以外でも対位法も重要ですし、オルガンを弾くならレジストレーションの知識や音響学的な知識も必要になってきます。オーケストラなら管弦楽法、それも時代によって少しずつ変化することも知っていないといけません。一つのことだけ勉強して勉強した気になっていては良くないと思っています。

佐川:そのような、幅広い物事が影響し合って繋がっているという考え方はとてもドイツ的だと感じます。私はドイツの音楽大学でオルガンを学び始めたときは、まだオルガン音楽がどういうものかよくわかっていませんでした。だから当時教会付属の合唱団に所属してカンタータなどに触れていたことは、とても助けになりました。

冨田:そうですね、マルチに考えるというのは大事ですね。指揮も作曲も編曲も演奏もできるし歌えて、というのが本来はないといけなかったはずなんです。何でも良いのですが一つのことを深く学んでいくと、その隣の世界にも深い世界があるんだろうと想像が働きます。そうやって勉強していくものだと思うのです。

和声への関心

  
佐川:和声への関心のルーツには、バッハのトッカータ以外に何かありますか?

冨田:僕がピアノを始めたのが小学校 4年生頃だったのですが、最初に習う和音がドミソ(C)とシファソ(G7)でした。これが弾けたときにすごく感動したんです。それで、白鍵でドミソを弾いて、一個ずらしてレファラ(Dm)と弾くと途端に和音が暗くなるんです。当時、「なんなのこれ?」って不思議だったんですよね。

佐川:ドミソとレファラのシンプルな違いに感動できるのは、すごいことなのかもしれませんね。

冨田:感動というか不思議だったんです。後になって「なんでそうなるのか」を考えるようになって、「音楽って数学なんだ」と気付かされたのです。音楽は非常に理屈で理解することができます。理屈を理解するだけでどの調でもパッと自分の好きなコードを押さえることができるんです。謎解きのパズルが解けて、大きな扉が開いた感じがしました。

 音楽の基本は即興演奏


佐川:話は変わりますが、日本ではバッハ以外のオルガン作品のレパートリーはあまり知名度が高くないと思います。でも本当はバッハ以外を知ってこそ、バッハももっと面白くなると思っているんです。
ただ、バッハ以前の作品を演奏する際には、バッハの作品以上に楽譜から音楽を解釈する力がオルガニストに要求されるように思うのですが、冨田さんはどのようにアプローチされていますか。


冨田:僕は、音楽の基本は即興演奏だと思っています。遊び心を持って弾いているうちにアイディアが浮かんでくるわけです。それを記録したものが今残っている楽譜だと理解して良いと思います。特に北ドイツの音楽にはそれが色濃く表れていて、ブクステフーデのトッカータやプレアンブルムなどは楽譜を読み解く力も大事ですが、即興的なセンス、演奏者が即興演奏をやっているかどうかでもアプローチが変わってきます。

論理的なものと感性的なもの

冨田:程度は違いますがバッハも同じです。
例えばブクステフーデのトッカータやプレリュードは、最初に自由なセクションがあり、論理的に作るフーガ、また即興演奏があって第2フーガがあります。感性で作る音楽と論理で作る音楽が入れ替わってでてくるわけです。それに気付くと、一つ一つの作品にどうアプローチすればいいのかが見えてきます。もともと音楽は論理で作るものだったんです。それがどんどん簡略化されていって、感覚で演奏できるように変化していったのです。

佐川:論理的なものと即興的なものが共存するスタイルはイタリアにルーツがあるのでしょうか。

冨田:どうなんでしょうね。複雑に影響し合っていると思います。例えばトッカータはもともとイタリアのメルロやフレスコバルディのトッカータあたりがルーツにあり、それをスウェーリンクらが受け継いでいます。でもスウェーリンクはイタリアだけでなくイギリスのバージナル作品などにも影響を受けていますので、色々なものが影響し合った結果としてこうなっているとしか言えないんです。説明するのがとても難しいです。

ブクステフーデの音楽

佐川:スウェーリンクにはイタリア的な要素は垣間見えますが、一方でブクステフーデほど大胆に様式を変えたわけではないように感じてしまいます。

冨田:そうですね。ブクステフーデの音楽も辿っていけばイタリア音楽に行き着きますが、北ドイツオルガン楽派の最初の巨匠がスウェーリンクで、それがブクステフーデに到達するという感じで捉えていいと思います。ブクステフーデの時代はハンザ同盟の影響で貿易がさかんで、楽器が巨大化したということも音楽に大きな影響を与えました。バッハも北ドイツの巨大なオルガンに憧れてリューベックへ行ったんだと思います。楽器の音色も非常にカラフルで、それが面白さの一つだったわけですよね。だからそれを活かせる音楽を作ろうとしたら結果としてブクステフーデの音楽になったのではないでしょうか。



佐川:それはとても納得がいきます。 

冨田:イタリアの影響も残しつつ、楽器が大きくなったことでできるようになった音楽、という感じです。例えばペダルでソロを演奏するという発想は北ドイツが初めてなんですよね。

冨田:ブクステフーデのようにペダルでソロを演奏するというようなことは、当時の音楽観からするとすごいことだったんじゃないでしょうか。バッハをきっかけにオルガン音楽を知るとその感動というのはちょっと半減してしまうけど、おそらく当時はとても印象的だったんじゃないでしょうか。


佐川:ブクステフーデがあってその先にバッハがあるというのは間違ってはいないんですけど、ブクステフーデはバッハとは音楽的にかなり違うように感じます。

冨田:楽器が大きく違っていたから、作る音楽も違わざるを得なかったんだと思います。ブクステフーデはとても大きな教会で演奏効果の高い作品を作ることができました。だから鍵盤交替があってペダルソロもあるような音楽が出来上がったんだと思います。バッハはそんなに大きな楽器で演奏していた訳ではなかったんです。ほとんど2段鍵盤のオルガンばかり弾いていたと思います。教会もさほど大きい訳ではありませんでした。

佐川:そうなんですね。
 
冨田:正確にはわかりませが、おそらくそうだったと思います。だけれども北ドイツ楽派のような演奏効果のある曲を作りたいという思いはありました。劇的な和音には、とにかく人を驚かせたい、楽しませたいという若い頃のバッハの野心的な姿勢が感じられます。だけど自分が使っているオルガンでは限界があり、だんだん違う手法も取り込み、音楽を深めていったんだと思うんですね。

バッハの場合ブクステフーデの影響は初期に特に色濃く出ています。中期後期になるにつれ、例えばフランス音楽やイタリア音楽からも影響を受け、論理的な音楽になっていきます。特に 552 番の Es-Dur は完全にフランス風序曲をまねているし、色々な音楽をたくさんまねて、いいところだけを残している。これこそ自分が求めていた音楽、これこそ後世に残す音楽、これこそ最も美しい音楽だというのをまとめてバッハは自分の音楽に集約していった、それがバッハの功績だと僕は思います。

佐川:それを全部自分のものにしてしまっているのですごいですよね。 

冨田:面白いことに、バッハは海外に全然出たことがなかったにも関わらず、ちゃんと海外の音楽のスタイルを習得していた。フランスは陸続きだったから当時フランスの楽団が来ることもよくあったらしいですし、実際にフランスの音楽を生で聴く機会もあったでしょう。でもイタリア音楽なんかは楽譜を頼りに読み取っていくしかなかったはずなので、よくやっていたなと思います。本当に勤勉で、音楽の本質をしっかり見抜いていたのだと思います。 

 ミーントーン


佐川:バロックのレパートリーの中で、一般的にはあまり知られていないけど冨田さんのお気に入りの作品や作曲家はありますか。 

冨田:僕はスウェーリンクが結構好きなんです。でもなかなか合う楽器がなくて、演奏できないんですよね。僕ミーントーン(ルネサンスから初期バロックにかけて用いられることの多かった調律法。3度が心地よく響くように調律されるのが特徴。)大好きなんです。ミーントーン大好きなんですけどミーントーンの楽器があんまりないので、なかなか演奏する機会がないんです。

異なる調律法と移調

冨田:バッハはおそらくミーントーン好きではなかったと言われているんです。バッハのやりたい音楽には合わない調律ですから。バッハを弾くときはヴェルクマイスターなど柔らかめの古典調律、それ以前はミーントーンになります。僕はミーントーンで弾けるものはなるべくミーントーンで弾きたいんです。移調すればミーントーンで弾けることがあるのですが、例えば僕は、ブルーンスの大きな e-moll のプレリュードを 3度上げてg-moll で弾いたことがあります。松蔭(神戸松蔭女子学院大学チャペル)のオルガンで。
 
佐川:え!

冨田:e-moll ってミーントーンにはもともと合わないんですよ。だって、5 の和音が H-Dur でこれがもうミーントーンに合いませんから。
 
佐川:そうか、なるほど。 

冨田:g-moll だったら割と合うんです。しかも松蔭の楽器ってピッチが半音低いので、g-moll で弾いても実際に聞こえるのは fis-mollです。そして北ドイツのオルガンって今より半音や全音ピッチが高いんです。ということは、結果的にそんなには変わらないはずなんです。 

冨田:あるいは、ブルーンスの e-moll の小さい方のプレリュード。あれもミーントーンに合わないから北ドイツのオルガンでは d-moll で演奏される録音もあるんですよ。当時の作曲家はどう考えるかはわかりませんが、今の古いものが好きな演奏家の中では、「移調して弾くのはありだ」という認識があるんですよ。

佐川:そもそも移調したりオルガンのピッチが違うというのは、冨田さんは何も苦にならないですか? 

冨田:僕は慣れれば大丈夫です。はじめは不思議な感じがしますが。 心配なときは、移調した音源を自分で作ります。パソコンで変調させた音源を作っておくんです。 

佐川:どうなるか聞いておくということなんですね。 

冨田:そうすると、すっと慣れます。バッハコンクールの時もそうやってました。 第一ラウンドは標準ピッチなんですけど、第二ラウンド、第三ラウンド、ファイナルラウンドはみんなピッチが高い楽器だったんです。

佐川:そうだったんですね。 

冨田:半音高い楽器だったので、半音高い音源を作ってずっと耳を慣らしていました。 事前の準備ってすごく大事です。

いずみホールの企画について

佐川:いずみホールの企画について聴きたいのですが。

冨田:ああ、3月のやつですね。全3回で、今年(2022年)の 3 月 21 日、次が来年の 3 月 21 日、その次が再来年の 3 月 21 日って・・・ 

佐川:ああ、バッハの誕生日。 

冨田:そう。バッハの誕生日にコンサートします。 
まず今年後期の作品をやります。(*2022年3月21日に開催されました。)来年は初期の作品。最後は中期の作品をやるという。 

佐川:いいですね。美味しいところを最後に取ってあるんですね。

冨田:そうなんです。やっぱり僕、バッハの作品の中で中期の作品が一番好きなんで、それを最後に持っていきたかったんです。それに後期の作品、初期の作品とコントラストを付けた方が面白いと思いました。
バッハの色々な部分を見せる企画になると思っています。今まで挑戦していなかった曲を弾けるチャンスにもなるので、お話を頂いたとき、「是非やらせてください」と言いました。

佐川:いずみホールのオルガンは、オーバーホールしてからとても評判が良いそうですね。

冨田:そうですね。非常に扱いやすくなったと思います。元々繊細で華奢でとても上品な音色だったけど、それがさらに磨きがかかった気がしました。

音楽以外の趣味について

佐川:最後の質問になりますが、冨田さんにはオルガン以外の趣味はありますか? 

冨田:基本的に音楽以外の趣味はないです。 

佐川:それは予想していました。(笑)

冨田:でもパソコンいじるのは好きなので、趣味で YouTube の動画編集をします。自分で全部作ってます。撮影も編集も自分でなんとかして頑張ってます。最近ちょっとお休みしてますけど。
 
佐川:今はなぜお休みなんですか?
 
冨田:1年ちょっと前までは色々アップしてたんですけど、あれはドイツにいたときの録りだめなんです。録りだめがなくなって出せるものが少なくなってきちゃったんです。そういえば僕、この(同志社の)楽器で2年前に録らしてもらった曲が2曲あるんです。でも当時は映像を撮ってなかったんです。
 
佐川:いつでも撮りに来てくださいね。

<以上>

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冨田 一樹(Kazuki Tomita) Profil

大阪音楽大学オルガン専攻を最優秀賞を得て首席で卒業。同大学音楽専攻科オルガン専攻修了。ドイツ・リューベック音楽大学大学院オルガン科修士課程を最高得点で修了。オルガンを土橋薫、アルフィート・ガストに師事。古楽をハンス・ユルゲン・シュノールに師事。

ライプツィヒ第20回バッハ国際コンクールのオルガン部門にて日本人初となる第一位と聴衆賞を受賞(2016年7月)。平成29年度「咲くやこの花賞(音楽部門)」受賞。令和元年度「坂井時忠音楽賞」受賞。

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