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配信版オルガンコンサートについて綴る〜メシアン・ミュレ・デュプレ〜

昨年からチャペルコンサートが実施できていない。パンデミックの波が日本に上陸してから1年半以上経つが、未だチャペルに学内の生徒も集えないでいる。当然以前のようなオープンなイベントはほとんど開催できていない。2020年はシリーズ開始3年目で、「パイプオルガンを軸としたオープンイベント、チャペルコンサートシリーズをより活発に」と意気込んでいた矢先であったので、先の見えない「できない」壁の厚さにすっかり意欲を失ってしまった時もあった。

「世界中のコンサート会場から音が消えた」という表現は誇張ではない。それでも世界のトップクラスの演奏が「デジタルコンサート」という形で自宅で楽しめるという、奇妙にリアルなコロナ禍ならではの方法がやがて浸透していくのも早かった。コンサートシリーズ完全中止となった2020年度を終える頃には、次年度は配信しかないと決心していた。問題は、パイプオルガンの演奏をそこそこ十分な質の画像で配信する録音・編集技術がどこにあり、財政的に賄えるのかということであった。(コロナ前のコンサート運営も、財政とスタッフ配置が常に課題ではあったが。)既に2回のコンサートを配信している現在、あの手探り状態からよくぞここまで形になったと感慨深い。多忙ななか収録編集に時間を割き、この配信版シリーズに全面協力をしてくれているマルチタレントな同僚たち、サポーティブな宗教部のメンバーに心から感謝している。

2021年度の配信コンサートは全3回で予定している。6月に第1回、9月に第2回の配信を開始し、第3回はおそらく来年1月頃の配信になる見込みである。2 回目にはスペシャルゲストとして大平健介さん(日本キリスト教団聖ヶ丘教会オルガニスト・明治学院大学横浜主任オルガニスト)をお招きしたが、大平さんについては別途回を割いてご紹介したいので、ここではまず第1回の配信版オルガンコンサートについて書こうと思う。

有客でコンサートを実施していた時は、年間4公演開催していて、2019年度はざっくりではあるが「オルガン+他の楽器」「ゲストオルガニストの公演」「オルガン+声楽」「現代作品を軸にしたプログラム」という公演ごとのテーマを作っていた。(コンサートの詳細は私のHPで書いているので、興味のある方はそちらを参照してほしい。)配信の今年度はプログラムのテーマまで見通す余裕はとてもなく、多くの制限の中であるのでオルガンコンサート一本でやるしかない。ゲストは1人しか招べない。それでも「教会的な内容」(Vol.1)「ゲストのオルガニストを招いて」(Vol.2)「現代作品を軸に」(Vol.3)というイメージで構成している。

1回目のコンサートでは、アンリ・ミュレ (1878- 1967)、オリヴィエ・メシアン (1908-1992)、マルセル・デュプレ( 1886-1971 ) という3人の20世紀フランスのオルガニストの作品を取り上げた。中でも2曲目のメシアンの作品、『ペンテコステ(聖霊降臨祭)のミサ』Ⅳ. 聖体拝領唱「鳥たちと泉」は、メシアン好きで学生の頃より絶やさずメシアンを弾き続ける私の、最も好きなオルガン作品である。特に中間部分に聞かれる、水の雫と鳥の鳴き交わしのような静謐で繊細な世界観が大好きだ。

メシアンは1930年代以降『キリストの昇天』(1934)を皮切りに、キリストの生涯をテーマとしたスケールの大きいオルガン作品の数々を創作する。クリスマスをテーマにした『主の降誕』(1935)、復活をテーマにした『栄光の御体』(1939)の三作品いずれにおいても、メシアンらしい語法によって色彩感豊かで饒舌にキリストの物語が語られ、必ず華麗で情熱的な楽章が含まれる(例えば『主の降誕』では最終曲の「神は我らのうちに」)。メシアンのオルガンツィクルスの創作はここで一旦第二次世界大戦によって中断される。従軍したメシアンはヴェルダンにてドイツ軍に捕虜として捉えられ、ゲルリッツの強制収容所に入れられた。その収容所内で創作され、収容所の音楽家たちで演奏するためピアノ・ヴァイオリン・チェロ・クラリネットという変わった編成で書かれ、メシアン自身がそのピアニストとして極寒のなか初演した『世の終わりのための四重奏曲』は聴く者の胸を打つ作品で(そういえば今年よく上演されていた)よく知られているが、『栄光の御体』に続くツィクルスは大戦後しばらく経った1949年にようやく書かれた『ペンテコステのミサ』である。

初めの3つのツィクルスに比べると、『ペンテコステのミサ』は音楽的に随分性格が異なる。そもそも教会暦の中でもキリストの誕生や受難・復活、昇天などと異なりペンテコステ(聖霊降臨祭)は最も抽象的なテーマで、教会外ではなかなか理解されにくい概念ではあるのだが(教会にとっては伝導の始まりという非常に重要な意味を持つ)、他の作品とは異なり『ペンテコステのミサ』は実際のカトリックのミサの典礼に即して作曲されているのが大きな特徴である。ミサ中に使用できるように、それぞれの楽章の演奏時間が決められている。評判の高かったメシアンのオルガン即興演奏を作品化した、とも言われており、確かにメシアンらしい音楽的要素が詰め込まれている印象を受けるが、実際にはもっと練り込まれて創作されたに違いない。グレゴリオ聖歌や鳥の歌、メシアンの和音とリズムなどあらゆる彼特有の語法が凝縮して詰め込まれているにもかかわらず、大戦前に書かれた3つのツィクルスが非常に絵画的・色彩的な描写をしているのに対して、本作品に絵画的な要素はあまり感じられず、ペンテコステのテーマに相応しい深い精神性が顕れているように思う。

実際のところ、『栄光の御体』と『ペンテコステのミサ』の創作の間には、メシアンの人生にとって重要な出来事がたくさんあった。第二次世界大戦従軍、捕虜としての収容所生活は当然のこと、やがて解放された後パリ音楽院に和声法の教授として着任したこと、『わが音楽語法』の出版やアメリカでバーンスタインの指揮により初演された大作、『トゥーランガリラ交響曲』の創作などである。さらにメシアンは1951年にダルムシュタット夏季講習会で教鞭を取り、トータル・セリエリズムの理論を初めて提示した作品を発表するなど、セリエルに傾倒する時期がある(オルガン作品では、1951年の『オルガンの書』に現れる。)が、やがてまもなく従来の語法に回帰するようになる。『オルガンの書』の6楽章目、「車輪の中の目」(Les yeux dans les roues)はオルガニスト的にはこの時期のメシアンの作品の中で最も「えげつない」ものである。

のちに「電子音楽の父」と謳われるカールハインツ・シュトックハウゼンはこの時のダルムシュタットでメシアンの『音価と強度のエチュード』を聴き衝撃を受け、その後まもなくパリ音楽院で1年ほどメシアンのクラスを聴講したそうだ。『ペンテコステのミサ』はこうしたメシアンのセリエル実践の直前に書かれているが、音楽的には『オルガンの書』よりもむしろ、大戦前のオルガンのための3つの大作をより精神的に昇華させたものと形容する方が相応しいように思う。メシアンのオルガン作品を見渡した際に、『ペンテコステのミサ』が最もメシアンのオルガン作品を象徴しているように思えるのだ。

「鳥たちと泉」を中心に組み立てたプログラムの残りの2曲のうち、おそらく比較的知られているのがマルセル・デュプレの「行列と連祷」である。デュプレは長くパリ音楽院でオルガン科の教授を務めていたため、弟子の数が非常に多い。メシアンもデュプレの弟子の一人に数えられている。バッハの10回にわたる全曲演奏(しかも暗譜)という驚異的なチャレンジも有名であるが、セザール・フランクに始まりヴィドール、ヴィエルヌらを経て引き継がれるフランスのオルガン音楽の伝統はデュプレに辿り着くような印象を受ける。メシアンは伝統を踏襲しつつも全く独自の世界を作りあげたが為に、そしてメシアン以降の世代はあまりにメシアンの影響が大きすぎて、デュプレまでの系譜からはどこか異なるものになってしまっているように思う。実は正直なところ、私はどういう訳かデュプレやヴィエルヌなどのフランスの大家達に苦手意識があるのだが、デュプレの作品の中では個人的には『受難交響曲(Symphonie-Passion op.23)』が最もお気に入りである。

「行列と連祷」は、カトリックのミサ風景が目に浮かぶ作品である。デュプレはおそらく別のイメージで作曲したのであろうが、私のイメージはヨーロッパのカトリック教会のミサ中のコミュニオーン(聖体拝領)とよばれる儀式を上から覗いている光景である。まさにメシアンの「鳥たちと泉」がそのための音楽として書かれているが、カトリックのコミュニオーンは拝領に多くの人が並ぶため、結構多くの時間が割かれる。ドイツに留学していた当時、カトリック信者ではない私は拝領に参加できなかったので、友人がオルガンを弾いている側でオルガンの演奏台がある教会の上階から列に並ぶ人たちを眺めていることがしばしばあったが、「祈りを捧げて聖体を受け取る」という行為が繰り返される様を眺めるのは不思議とこちらも浄化されていく気持ちになったのを思い出す。

アンリ・ミュレについては、あまり多くを知られていない。おそらく日本のオルガンコンサートでもあまり取り上げられていないように思う。パリのサクレ・クール寺院で、オルガニストの父親を手伝いつつハルモニウムを演奏していたそうだが、丘の上にそびえるあのビザンティン様式の白い聖堂はどうやら1919年に完成したものらしい。ミュレの10曲から成る作品『ビザンティンのスケッチ』も同じ頃に作曲されたようなので、完成して間もない聖堂に捧げる作品として書かれたものだったのだろうか。10曲目の「汝はペトロ(Tu es petra)」はいかにもフランス的なトッカータで悪くはないが、個人的には今回プログラムに入れた3曲目の「バラ窓(Rosace)」が素敵だと思っている。

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同志社中高オルガンコンサートシリーズ2021 Vol.1 


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